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わたぼうしのとぶころに 三章

三章 想いとはちぐはぐな思い

 高校生になっても理系へ進んでいたのだけど、数学や物理は全く頭に入ってこないなか教育の本などは読んでいて想いは膨らんでいった。しかし学力がついていかなくなったのと同時にバイクと麻雀を覚えてしまった。バイクの免許を取得できる年齢になるなり免許をとりバイクも買った。
 友人が麻雀をやりたいというので、その友人のところへ行って麻雀をやっていたのだけど、学校でもやりたいということになり、どこかできる場所がないかと探した。校舎の本館ではなく分館が校舎から離れたところにあって、そこに写真部の暗室があった。窓も密閉されて遮光もされている、しかも内側から窓を締めることが出来るということで、写真部の暗室なら出来るぞとなった。昼間から放課後までずっと麻雀をやっていた。用務員さんが見回りに来たら「シー!」「行ったか?」とコントみたいなことをしながら、夜遅くまで学校で麻雀をやっていた。すると噂がどんどん広まり麻雀をやりたいやつがみんな集まってきて、最初一卓しかなかったけれど二卓になり、それでも立ち見が出るようになった。
 そんな状況になってしまい順番が回ってくるまで暇になってしまった。そこは写真部だから写真の雑誌とか写真の手引書のようなものがあり、そこには現像の方法などが書いてあった。写真を現像するために必要な道具も薬品も、そしてカメラもあり冷蔵庫を開けるとフィルムも入っていた。そして「オレ写真やる!みんな出ていってくれ!」といって学校をパシャパシャ撮って自分で現像しプリントして写真をやってみた。それで面白いって思い、はじめて撮った写真をプリントして写真部にあった「月間カメラマン」みたいな雑誌に送ってみたところ、佳作を取ってしまった。そんなことをしていると卒業アルバムの委員になり、アルバムの掲載写真を写真部として撮ることになった。撮影したものを表紙の裏に使ってもらったり、学校生活のスナップや行事の記録とかをやっているうちに写真が面白くなり、のめり込んでいった。
 そんななか高校三年の夏をむかえた。遊びに夢中で落ちこぼれ勉強もできなくなってしまい、学力的には教育大なんて絶対無理な状況。だけど浪人は嫌だったし就職という感じでもないなと思っていたら写真があった。進路希望を聞かれたときに
「芸大行きます!」って言ってしまい、親に写真をやりたいから芸大に行きたいと言った。
ちょうどバブルの時代で、しがないラーメン屋でも息子を芸大に通わせることができるだけの収入があった。
 その時の自分には出来ることがなかったけれど、写真で芸大に入ることが出来た。だけど写真がやりたかったわけじゃなく、やはり一番なりたかったのは教師だった。芸大の写真学科には教職課程がなく、芸大なのに美術の先生になれなかった。
「うわぁ・・・オレは教師にはなれへんねんな!」と挫折感を味わった。


四章へつづく


※このお話は少しだけフィクションです!お聞きしたお話に基づいての物語ですが、客観性はないかもなので事実かどうかはわかりません。登場人物は仮名です。

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