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【毎日映画_0058/1000】9/18_『いなくなれ、群青』

#1000日チャレンジ 再開!

またしても、救ってくれたのは人でした。

こゆきさんに誘われて、黒瀬くんと3人で映画館へ。

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『いなくなれ、群青』(2019)

監督:柳明菜
脚本:高野水登
主演:横浜流星
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〈ストーリー〉
捨てられた人々の島「階段島」。
なぜ連れてこられたのか誰も記憶がない。
ここを出るには自分が失くしたものを見つけなければならないが、何不自由ない生活ができるので、誰も何も考えずにいる。
ある日転校してきた女子高生:真辺由宇。
真辺は自己紹介で早速島から出ることを決意表明し、クラスメイトたちを騒然とさせた。
そしてそれぞれが、この島に連れてこられた理由や未来を考えはじめる。

〈感想〉
この映画はファンタジーなんですけど、高校生の恋物語(いや、もうちょっと深い、相手のことをどう考えるかという物語)を中心とした青春群像劇で、この「考える」ことがミョーにリアルに感じて、ファンタジーよりも恋物語よりも、「環境に左右されず、自主的にどう考えるか」ということをずっと真剣に考えてしまう映画でした。

ボクは大阪の高校を卒業して、1年ほどアルバイト(@大阪〜広島)でお金をため、東京で一人暮らしを始めるんですが、上京した理由が、
「広告批評という雑誌で見かけた多田琢さんという人の話を聞きたい」という、なんとも短期的なものでした。

上京して早速、宣伝会議主催ではない(どこだか忘れてしまったのですが、、)コピーライター養成講座で、多田琢さんと仲畑貴志さんの対談があって、その講座を受けることにしました。
その中で多田さんが、「24時間CMのことを考えている」とおっしゃっていて、なんとそこに感銘を受けてしまい、それ以降、「趣味は考えることです」と口から出まかせ作戦で「考える」を習慣化しようとした短絡的なアホの二十歳そこそこが誕生したのです。

ただ、今のいままでずーっと考えずに生きてきたのが、「考える」の定義でした。

最近になってようやく、「悩むと考えるは違う」悩むは答えが出ないもので、考えるは答えが出るものに向き合うこと、とか、「考えるとは比較すること」みたいなことを考えるようになってきましたが、
二十歳そこそこのボクが考えていたことは、「次なにする?」てことだけで、それを「考える」と呼んでいました。

20年くらい、考えずに生きてきたわけです。
あー恐ろしい、あー恥ずかしい。

で、この映画。
「考える」って、つまり、自分じゃない誰かのことを解決しようとしたり、想ったりすることなんじゃないか。そんなことを教えてくれるものでした。

二十歳そこそこの自分に観せてあげたかったです。


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