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#10 最近、与える側になってきとる

これまで多くの場面で「もらう側」だったような気がします。先輩に教えてもらう、身近な誰かにちょこっと奢ってもらう、心配してもらう…etc。それが今年に入った頃から、めっきり「もらう側」→「与える側」にシフトしつつあります。

ときに、「もらう側」には気質のようなものがあると思ってて。白状すると、私もその気質には多少なり自覚的です。どちらかと言えば財布の紐は固めですし、何かをもらうことについての心得がある…ような気がする(笑)あまり威張れるもんじゃありませんが。

で、そういう小ズルさみたいなものが冒頭の通り、しぼみつつあって。もう少しで「与える側」にまわれる(まわる)ような予感がしています。

ここで、「まわれる」と手が勝手にキーボードを打った背景には、何かをもらうことへの後ろめたさがあったのかもしれません。もしくは、小ズルい思考を少しずつ手放せていることへの安堵なんかもあるのかも。という訳で、今年芽吹いたこの小さい変化を嬉しく感じる今日この頃です。

具体的なところで挙げると、大好きなお菓子を譲った、自分のアイディアを惜しみなく誰かに渡した、フリマアプリで粗悪品を手にしてしまった際にそれを再出品せずに自分で留めた…etc、とかです。

ほんの些細なことですが、個人的には大きな変化であり。強いていえば、「ちょっと損した気分」になり得ることを引き受けられるようになった。

そして、そういう身のこなしが気分じゃなくて平常運転になってくると、損か得かの文脈から(ようやく)おりられる気がして、何だかスキッとします。

こういう眺めの延長線上に、マザー・テレサじゃないけれど、彼/彼女らがみた世界観があるのかなーなんて。これまでよりも少し、隣人に想うようになったというお話でした。

今回もお付き合いいただき、ありがとうございます。ではでは。





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