無地の音

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    無分別に起きた雑文とある街を巡るショートショートをつめあわせたマガジン。ふと思い立ってnoteを書き始めた2023/08/19の4つの記事。

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未読・多世界解釈

こんばんは。今日もお疲れ様です。 架空の人物、架空のTV、架空の視聴者 この度は、はじめから入力されていた文言をきっかけに、AIの発達度を観察する大人気TVプログラム・ショウの天下をとる MC司会本年度コンテストNo.1のといった、文言のポストモダン的テクスト世界の開拓、ではなく。 わたしたちは、意識による観察を通して、この世界を認識し、人間であること、体験や経験、気づきや様々な認識、それらを統合した心理や、唯一、たったひとつの心という名の動物、そのはたらきについて、ウ

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    • 宝探しに出かけよう

      ほら、きみにとっての宝物を探そう。なに、出かけるのが億劫だって? 生来の面倒くさがりが顔を出したな、けれど、全然そんなの構わない。だって外に飛び出さなくても宝探しはできるから。いや厳密には宝探しをするんじゃない。宝はもう見つかってるんだ。ぼくたちには見えないけどね。ほんとうは、そもそもはってやつ、はじめからってこと、僕たちそのものが、宝だったんだ。だから、宝探しに出かけるっていうのは、宝が宝を探しに行くようなもので、それはコメディーの世界だよ。おめでとう、晴れて宝は見つかった

      • いま認識している「それ」が神の御姿なのである

        あなたがいま目の前にしているもの 「それ」が神の御姿なのである あなたは十分に神を体験していないとおもっていた しかし、あなたははじめこら十分に神を体験していたのである あなたは、ただ「それ」を神ではない、と 否認することだけで、神の体験を拒否していたのだ だから、あなたはどんなものを目の前にしていようとも 「それ」が神であることを知ればいいのである そうすれば、あなたの体験は自ずと神の姿があらわになった 世界を体験していくのである あなたは否認と拒否をやめるだけでいい

        • それは、わたしの思考ではない

          わたしたちにとって、周りの世界が何らかの反映であることは自明である。それが一体かんの反映で、どのような度合いで成されているのか、それについてわたしたちは心配する必要はない。 しかし、よくあることなのだが、鏡の映り具合に関して、気にかかることがある。あなたは鏡の世界に入場を果たす。そこではすべてが一歩遅れた世界で、なんだかやることに追われているような気さえする。あなたの気がかりは正しい。鏡の世界は、あなたの意図よりも一歩遅れて反映しているのである。だから、あなたは鏡の世界で気

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        記事

          願望とは捏造である

          あなたを苦しめているのは現実だろうか。 「何を言っているんだ。当たり前だろう。厳しく辛い現実があるから、わたしは苦しい思いをしているんだ」 誰ともなく聞いてみても、そこにいる誰ともなくこんな答えが返ってくるだろう。 あなたの言い分はわかる。しかし、実際にそうだろうか。 「再び何を言っているんだ。金があって、理想の仕事についていれば、こんな思いしなくて済むはずじゃないか。」 わかった。わかった。 あなたの言い分はシンプルだ。つまり「願望が実現していればいいのだ」。再びつまり「

          願望とは捏造である

          渇望をやめること

          願望実現とは言葉ばかりで、実際には「渇望」を体験していることが多いのが我々だ。だから、ひと思いにその渇望をやめればいいのだ。そうすれば願望に対して実現したいと渇望するのをやめるわけだから、不思議と願望も姿を消していくのだ。あなたは少しずつ立ち位置を修正するのだ。願望実現は大いによろしい、しかし、願望実現と関係なくあなたは大いによろしいのだ。だから、その渇望をやめてしまいなさい。あなたは、願望実現ではなく渇望しているのだと気づきなさい。あなたの今いるそこの価値に気づきなさい。は

          渇望をやめること

          鏡の世界を歩こう(2)

          簡単な例(1) わたしの身近な人物に、こういった人がいる。何かに秀でていたり、何かうまくいったことがあると、それについての職業やスペシャリストになることを勧めるのである。これは、もちろん仕事や職業を特別視し、権威とし、優秀であると見做していることから発生した習癖である。その人物に限らずとも、世間一般の考え方を無根拠に受け入れれば、「自分自身の優秀な個性はそのまま仕事になるのが望ましい」という結論に導かれるのも無理はない、というより自然な流れである。この考え方と結論が幸福に結び

          鏡の世界を歩こう(2)

          バランスーー平衡力の働き

          まあ何事も偏った考え方が見受けられて、事の是非や善悪はともかく、なにがしかの振る舞いを求められている場に居合わせた時、その背後には「振り子」がいるのである。 冷静さや仏教的な諦念や価値観、正確な判断と言われるものが人の目を引くのは、そこにバランスのとれたものの見方があるからだ。そしてそこには、過剰な正しさもなく、どちらか一方あるいはどなたかの一人勝ちを誘発刷るのでなく、「ゼロであることがゼロであるものに向かう」という流れを生み出す。 願望を持った時、それに対して強く握りし

          バランスーー平衡力の働き

          「休みなんて、なくて構わない」

          休みなんてなくていい、そんなこと考えたことなかった。わたしの地球は休みを中心にして回っていた。休みの日がいちばん大切だから、できるだけ休みの日がとれるようにしていた。 なのに、「休みなんて、なくて構わない」とはどういうことだろう? ヴァジム・ゼランドの本を読んでいく中で、過剰ポテンシャルという考え方は「重要性」というキーワードによって紐解かれた。そうだ、重要性だ。わたしがそれぞれの概念や考え方に「それが重要である」という認定を与えていたから、その度合いに応じて「平衡力」が

          「休みなんて、なくて構わない」

          鏡の世界を歩んで(1)

          鏡の世界は遅れてやってくる。反映は、反映であるが故に、あなたの設定よりも遅れて映し出される。 だから、一歩ずつの歩みが必要なのである。あなたが「世界を変更した」のであっても、鏡の世界は以前の世界であるままか、あるいは「あなたの設定と比して」より酷く映る可能性があるが、それは「そう見える」だけのことであり、移行している間の出来事である。電車で次の駅に移動する間の景色と同様のものである。

          鏡の世界を歩んで(1)

          トランサーフィンを読んで

          ヴァジム・ゼランドのトランサーフィンの4冊やタフティを読んで、なるほどつまり振り子や過剰ポテンシャルについて構造は理解したが、わたしにとって何よりも収穫であったのはーーそれは奇跡という果実のようであったがーー重要性という概念(アイディア)であった。 先の2つである「振り子」も「過剰ポテンシャル」も重要性が働いて、そのように見えるだけであり、それは特別な概念や確固たる現実を動かす法則ではない。ただ重要性を与えたものに対して、そのように世界が動いているように見えるだけなのだ。

          トランサーフィンを読んで

          〜できてなくていい

          できな〜い!で荷を降ろす こちらでは108さんの書籍や動画を通じて、気づきを得て、自分の体験がどうなっているのか。意識や観察とはどのような状態なのか、について書いております。 その一環に、願望実現や人生に起きる出来事について理解を深める、なんてことがあります。 そして、108さんのYou Tubeでは「不足を疑う」、「適切性と一致する」、「いまこの瞬間を全力で経験する」というツールを紹介しています。 このなかで「不足を疑う」が最初に紹介されますが、わたしはこれが全然でき

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          神様はいるんですか?

          読んだ本の感想をnoteに書いてみませんか? 神様はいるのだろうか?と問う 「神はいるのか」そう問うて、放っておく。 決して、神を探しに出かけてはいけない。 神の捜索班をつくってはいけない。 「神の捜索班」は長い長い小説なのだから 「神の捜索班」は長大な終わりなきドラマなのだから 読み終えることはない 毎週観続けても、終わらない 「神はいるのだろうか」そう問うて、放っておくのだ。 なぜなら、「神はいる」のだから

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          おれは神に祈ることにした

          こんにちは。午後もがんばりましょう おれは、神に祈ることにした このクソったれの世界で、誰もかれもが何かをしようと、何かをさせようと動いているヴィデオゲームの中で、おれは神に祈ることにした。 どうか、あいつらの動きを止めてください。どうか、おれの働きをやめてください。なんてことじゃない。そんなこと、願っている奴は他にもいる。違う、そうじゃない。おれは神が誰かなんて知っちゃいない。おれは何かを信用しているわけでもない。しかし、おれは神に祈ることにしたんだ。

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          ひきこもりを、やめてみる

          読んだ本の感想をnoteを書いてみませんか? やめる、ということ 「ひきこもり」をやめるということは、なにも外に出ることだけじゃない。他にも、ひきこもりを定義している概念から逃れようと仕事やボランティア、社会活動全般に携わることではない。もちろん、それをしたっていい。全く構わない。なんだったら応援されてすらいる。 ここでは、その「ひきこもり」の定義をやめる、というようなことだ。だから、外に出なくていい(笑)まあこれに尽きるというものだ。 「外に出なくていい」とするのだか

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          神様が、これを経験しているとしたら

          どうしてか生まれてきて、楽しい事や苦しい事があって、様々なことがあったようで、今になればみんな霧のように消えてしまったようだ。記憶になってしまって、それは今も取り出せるけど、記憶は記憶だ。 重苦しいことを書きたいわけじゃないけど、君にとってこれはひとつの真実で、この世に生まれてきて体験したことの数々だ。もちろん、これがすべてじゃないけど、ぼくの正直な気持ちであることは確かだ。 陽だまりで眠るような思い出や経験だって、もちろんあるよ。草むらに寝転がって、青空を見上げればいつ

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