見出し画像

共同通信作文 2013/10/31

私は時代を語るというのは難しいと考えている。「時代というのは見えるようで見えない」と昭和の伝説の作詞家であった阿久悠も述べたように、時代は見えるようで見えないものだ。また、この阿久悠の言葉にはさらに次のようなフレーズが続く。「時代に正対してみると見えてくるんじゃないの?」私は、この言葉にとても重みを感じ阿久悠の作詞家憲法の話の中で一番好きだ。ここで話を阿久悠から時代へ戻そう。今の時代が求められているのはなんだろう。最近、よく感じることは物質的には日本は豊かになったがココロの中は貧しくなったということだ。この国では他人へのおもいやりなどが感じられない事件が起こり、今まで想像もつかなかったような企業の不祥事が起こっている。例えばみずほ銀行の暴力団への融資問題や、JR北海道の線路点検を怠り安全を図らなかった問題もあげられる。さらにいうと、巷で人気のAKB48やEXILEなどはこの人々のココロの貧しさにつけ込んだまるで宗教のように握手券をおまけとして付けたCDを販売している。本来は音楽を楽しむものであったCDが有名人の肌のぬくもりを感じるモノへと変質している。さらに視聴率が平成において、過去最高になった「半沢直樹」の倍返しも人々にココロの余裕がなくなっているからヒットしたのではないか。半沢のような真っ直ぐな生き方をする人が羨ましくもあり、また自分も周りの人間に倍返ししたい欲求が人々のココロの何処かにあるのだろう。とにかく大衆のココロが貧しくなってきているが、このココロの貧しさから他者と繋がりたいという欲求が生まれ、それがTwitterやLINEなどのSNSを人々が使う大きな理由になっている。最後に、今の世の中が生きにくいかと訊ねられると、生きにくいと答える。もはや絶対的な価値観はこの世に存在せず、すべて解体させられた。個人の自由や価値観が蔓延し、昭和の時代にあった常識、良識などは廃れた。よって僕は、非常識社会の中で超常識
を説きたい。

日本の皆さんの愛のあるサポートをよろしくお願いいたします。