あかねが淵から(第九章)

楠の木のおばあとかいの行方は五日たっても判らなかった。
 萱の浦の庄屋夫婦は、ようやく、はかどらない捜索のことを、とよに打ち明けた。二人の行方が皆目判らないことを、正直に告げると、、元にもどったように見えるとよの状態が、又、悪くなるのではないかと心配していたのである。しかし、今日の昼すぎには捜索にかかりきりだった村人と、湖がわからの捜索をしていた、湖の里の楠の木のおばあの親類のものが、この座敷に集まることになっている。捜索の見通しによっては打ち切りを話し合うのである。
とよはじっとうつむいて聞いていた。そして、なにも言わずに、頭をさげると、座敷を出て行った。庄屋夫婦は落ち着き払ったとよの姿に気味が悪くなった。
「あの子は、いえ、とよは本当にわたしらの娘のとよだろうか?」
「またもや、お前はしょうもないことをいう。とよはあまりに驚いたのであろうよ。あるいはうすうす感じていたのかもしれんが。昔から、感情をすぐに顔に出す子じゃなかったろうが。」
 地震の後、庄屋の広い庭にはかまどが組み立てられた。それぞれ、ぶつ切りの鶏肉や野菜が煮込まれた大鍋、細かくきざまれた野菜を混ぜ込んだこぶしほどもある饅頭をふかしているせいろ。小豆とサツマイモを煮込んだ大鍋がかけられていた。
 地震で怪我をした人々は、裏庭のむしろの上にに休ませ、必要な手当てが、てぎわよくすませられていく。
村の人たちは、とよのあざやかな手際や、心配りを口を揃えてほめあげた。
よだれをたらして、いつもぼんやり笑っていた山羊飼いのとよを軽んじていたことなど、すっかり忘れているのだ。地震の後とはいえ、村人たちは浮き立っていた。

 報いのない捜索の疲れをにじませて、集まってきた男たちを迎えて、庄屋の座敷だけはしんとしずまった。
「丘の上の見晴らし岩が転げ落ちた後には,深い地の底まで見下ろせそうな裂けめがあって、そこから気味の悪い吠え声と、気色の悪い匂いが立ち上ってくる。万が一、あの二人があのさけめに、転がり込んでいたとしたら、今はもう、、」
そこまで言うと、村人は口をつぐんだ。
もう一人の男、楠の木のおばあの親類の者で、湖がわからの捜索をしていた者が、膝をすすめると言った。
「湖はご承知のとおり、かなり干上がっていたのが、この地震でどこか地下の水脈が増えたのか、濁った水ですが、水量が日に日に増えてきておって、竜の二つ目のように大きな渦ができて、舟を崖のま下までは寄せられませんわ。よほどに水底が深いとみえて、あれほどの岩の影すらも見えませんわ。万が一、うちのおばあとおたくのぼっちゃんがあの大岩といっしょに、水の底に落ちたのなら、こうやって、これだけたっても浮かんでこんということは、、」
それまで、黙って聞いていたとよが静かに顔をあげた。
「万が一というのなら、二人が万が一、逃げられたこともあります。さて、どこへ、鳥ならば空へ、魚ならば水の中へ、二人は鳥でも魚でもないけれど、でも、二人は必ず生きています。かいだけならともかく、楠の木のおばあさんもついているのだから。」
「さあ、そのばあさんだが。あまりに年よりだから、、おっと、しまった。これを言うと、半年は口を利いてもらえんかったんだ。」
湖の里から来た男は首をすくめ、そして両手であふれる涙をかくした。

「やい。手を離せよ。なんであたしを捉まえる。何でも好きに食べてよいといったじゃないか?」
元気のいい女の子の怒鳴り声が聞こえた。
「おだまりよ。いつもむすっとして、道で会ってもろくに挨拶もせん。よそもんの水車小屋のもんだけど、この地震の後だ。腹をすかせていると思ってさそってやったんじゃないか。大体、物欲しそうに、垣根の隙間から、はいりこんできていたくせにさ。」
「ああ、そうかい。それなら、おせわさま。あたしはとよに会いにきたのさ。とうちゃんのつかいでね。あたしは別に腹をすかせているわけじゃないよ」

「ああ、水車小屋の娘だな。元気のいい子供だ」
庄屋が笑うのと同時に、とよが、座敷を飛び出した。
「お待ち、、ひろじゃないの。どうしたの?」
「あ、とよ。お前、急に水車小屋に来なくなったから、案じていたのさ。お前どうした?急にそんなきれいななりをしてさ」
とよにしがみついたひろは、急に身体を離すと、眉を一文字にしたしかめ面て、とよを見つめた。
とよも又、ひろの髪の毛に結ばれている、水色の紐を見つめて、息を呑んだ。
「ひろちゃん、その紐をどうしたの?」
ひろの髪の毛を結んでいるのは、楠の木のおばあの紐結び用の紐だった。
「家の水車にからまっていたのさ。父ちゃんが結んでくれて、とよさんのところに見せに行けって。あたしは食べ物が欲しかったわけじゃない。」
ひろは急に泣きだした、(第九章続く)

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