あかねが淵から(十章より)

古文書の語る(本蔵からかいの持ち出したる)
 ここに綴られたることは、水の神の意志にして、神の予言でもある。この書はあかねが淵村の庄屋の文蔵にて、読む者を久しく待つなれ。
これを読むことそれ、すなわち神の、汝への託宣と知るべし。

あかねが淵村の後方は南国風の巨大な密林となりて続けり。あかねが淵山はその密林の奧に存する。四方を赤き絶壁で囲まれた湖があり、こここそが水の源であり、水の神のしろしめすあかねが淵なり。
 あかねが淵は神のみぞ知る広さと深さを持つ神秘の湖である。五山をめぐる無数の谷川の水の源は、すべて、このあかねが淵の湖なる。この水のかたち、ある時は山中深く忍びやかに伏流水となりたり。あるいは険しい瀧水となりてとどろけども、すべての水は、このあかねが淵を源となせり。
俗にあかねが淵と呼ばれるのは、曙の空を朱に染めて太陽が昇るとき、湖の水面が荒々しく輝くからとも、また、日没のとき、真赤な夕空を映し出す湖面の静かな朱色からともうたわれてきた。いずれにしろ、、あかねが淵の全貌を知る者は神のみである。
人間のあらゆる空想を遮断して、そそり立つ赤き壁の結界として、玻璃でできた細長い二つの塔がたてり。古くは日月の塔と呼ばれしが、年を経るうちに、姉妹の塔と呼ばれるようになりたり。
茜色の岩壁を背後にして立つその塔の美しきこと、天人の姉妹が静かに空に向かって祈りを捧げているようにも、祈りの後、地上から舞い上ろうとする姿にも見えたればなり。朝焼けの紅や、夕焼けの金色を衣とまとう美しき姉妹と見えたればなり。
姉妹の塔の、その形容しがたき美しさは人をして、悠久の時の流れと広大無辺な神の創り出される美に、心をしばし遊ばせるところでありたり。
神の御心に幸いあれ。
この塔は神に近き異界の者のこの世の行宮なり。なれどこころせよ。
ひとたび異界のものの訴えの泪の願文の読まれたれば、この塔は深き悲しみの霧に包まれ、地中深く穿ちてなりたる塔は凍りたる泪の塔と変わるなり。
地中はるか底より溢れ出でたる濁流は尽きることなくわきくれば、姉妹の塔は微塵に崩れ落ち、氷たる心柱は冷たき水となりて、空中高く噴きあがり、広がり、止むことのなく降りつづく雨に変わるなれ。
神も一つの天を抱くなれば、やがて、あかねが淵の湖面は溢れ、絶壁から四方に瀧となって流れ落ちいく。その止むことなき巨大な瀧の環は大地にあるものをことごとく押し流して、海と一体化する。そして、すべては水の世界と変わるなり。
この書を読む者よ。心せよ。己を捨つる覚悟にてなす汝の心の卑しくなかりせば、神はその正当なる怒りをうべないて、その願いは受け入れられるべし。
あるいは、その災いを未然に防がんと願う者ありせば、汝もまた、この世での命を捨つる覚悟にて事をなすべし。
さすれば、己の愛する命を守らんとする心通じて、この五山に住まう人や鳥や精霊の力が参集して、たぐいまれなる力とならん。
その災いを防がんとの願いもまた、かなえられるべし。

この書を開きたる者よ。
神の怒りの力を呼ぶためにか?
神の慈悲の力を願うためにか?
この文書にかけられたる封印がとかれしとき、いずれかを決する時はすぐに迫れり。
さはあれ、すべては神の御心のままに。
神に幸いあれ。

[川のみなさまにさしあげまする。この花はみつ花。お日様の黄色、お月さまの黄色、笑顔の黄色。みっつの金色のそろった花。甘い蜜たっぷりの蜜花でございます。川中を旅するもの、この蜜花を持つ者を御通しください。]

ひろは美しい声で歌いながら、籠いっぱいの花を一つ一つ、流れに投げいれていった。水車小屋には誰もいなかった。ひろの髪に結ばれた紐はそっとほどかれ、とよがそこに結ばれていた楠の木のおばあの便りをすぐに読んだ。
「わしらは二人とも無事でおる。昼休みをしていた岩が割れて、わしらはそこから、深い地下に引きずり込まれている。すぐ横に地下の川が流れているが、湖に流れ込んでいる川とその手前で、横に迂回
ている川があるらしい。わしは何本も紐を流してみるが、どれかが、運よく、目に留まればと願っている。かいはこの月の望月の夜までに、姉妹の塔へ連れ込まれるらしい。」
紐結びを読むとよの顔色が変わった。横でそれを見ていたひろはその顔を恐ろしいと思った。(よだれをたらして、笑っているとよがのほうがずうっといい。」

ひろはため息をつくと、川の水面を覗いた。この遊びはひとりぼっちのひろが考えた遊びだ。ときに、黄色い花の影から、小さい女の子の顔が見えることがあるのだ。

黄色い花が二つ三つ、水面から飛び上った。ぴゅっと水を吐き出す音がして、不意に少年の顔が浮きあがった。

「あっ、かいじゃないか?」

ひろの声に、かいは真っ青な顔でうなずくと、そのまま沈みかけた。

(続く)。


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