ガウディの百年

みんなうだっている。
この夏のすさまじいほどの光は強固な檻のかたちを持っている。よほどの用事がないかぎり、一歩も外に出る気を起こさせない。
連日、降り注ぐ黄金の矢のなかに、森も野原も仮死状態となっている。
みんなうだっている。

 デビュー作の冒頭の「みんな、うだっていた」というフレーズを,父親が褒めてくれたという作家の言葉を思いだした、作家は大鶴義丹。父親とは唐十郎である。
唐はかって、新宿の花園神社を根城に、紅のテントを背負って芝居をしていた。表情のあるような、ないような、ごく普通の素顔が、マスクのように見えるひとだった。
彼の脚本には、未完成に終わった冒険の怨みを、芝居空間で暗く燃焼させるような、華麗だけども言葉の整合性のない危うさがあった。
既成の、まっとうな?テーマを持つ演劇空間とは違う、このテントの中では、次に何が起こるかも分からないという、密かな期待感があった。
わたしたちは観客でもあり、芝居の進行になんらかの役割を感じているような。それぞれの夢の熱気を演じる者でもあった。
「何か、見えないけれども、失いつつあるものを守らなくてはいけない」
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そう、あの頃の私たちはみんなうだっていた。

百年は空のめまひに溶けゆくかガウデイの祈りは無への供物
宙に吊るす植物の意志なれ密かにもガウデイの塔は芽吹きはじめむ
八月のノウゼンカズラ空に高く累々と死者の名を積み上げる





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