見出し画像

24.Dec.2019 時間の消費の仕方について考えた

もう25日の終わりに迫ってしまったが、昨日の出来事と考えたことを書いておく。

午前中は少しばかりしなければならないことを済ませ、夕方からは誘われたクリスマスパーティーに準備も含め参加した。以前大学で同じクラスだった友達が友達の友達として呼ばれていて意外な再会を果たしたし、初対面の人ともすぐに打ち解けて楽しい夜を過ごした。

パーティーが非常に楽しかったことは間違いないが、ここにそれ以上書くことはあまりないのでここからは朝考えていたことを書いておく。

話が随分と変わってしまうのだが、僕はソフトテニスを10年続けていた。友人のツイッターで地元から排出された我々にとってはスターのような日本トップレベルの選手が地元の小さな大会に出たことを知った。

彼は小学生の頃から朝、学校に行く前、そして夕方に親と毎日練習をしていたことを知っている。遊び盛りの小学生の頃から、彼は明確な目的を持って時間を消費してきたのだ。犠牲にするものが多くあり、そして誰よりも真剣に勝ち負けの経験をしてきたのだろう。どの分野でも結果を出す人間のその文脈にはやはり確かな積み重ねの質量が存在しているのだと思う。

僕もスポーツという一つの勝負の世界に身を置いてきたが、しかしそれほど真剣に勝利と敗北に向き合ってきたとは言い難い。僕はつい最近自分の人生というフィールドで真剣勝負を始めたような気がする。

僕は今、何をするか。自分が自分の裁量に依って消費する時間に明確なベクトルを持って生きていきたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?