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フロ読 vol.22 石原千秋 『大学生の論文執筆法』 ちくま新書

積ん読状態だったのを掘り返して来たところ、付箋や書き込みが途中まであるものの、あまり覚えていなかったため、イチから読み直す。
 
著者の本は、『教養としての大学受験国語』を愛読しており、なじみ深いものでもあったが、久々の読みはじめとしては、「ん?センセイ、ご機嫌斜め?」といった感じ。
 
「全体的にちょっと意地悪」と著者も断っているけど、特に前半は授業スキルのない教授と、何の用意もない学生に対して当たりがキツい。しかし、読んでいると、学生時代に対峙したレポートの数々が頭を過る。
 
第一部 三・三「パクリはいけない」。ホント、そう。でもね。学生時代は研究史なんて感覚はなかったな…。2年かけた卒論が実はパクリ(後発論文)だったことが分かった時のショックは今も忘れられない…。

まず、この数年間に活字になった論文は原則としてすべて集める。次に、それらの論文に何度も引用されている論文は重要度が高いので古くても手に入れる。こういうやり方で二〇本から三〇本の論文を読めば、量としては一割から二割程度でも、質としては八割程度はフォローできてしまうというのが、研究者の常識だ。

これ、学生の時に知りたかったな…。
 
四、「批評と研究はどう違うのか」。フロ読は批評だからね。ひょっとしたら同じことを誰かが描いているかもしれませんが、いちいち調べてはおりませんので悪しからず。でも、模倣がどこまで「模」でどこまでが「倣」なのか。私は「傲」でなければよしと思っていますが、いかがでしょ?
 
八・二「はじめは書評から」で大笑いした。いつのまにか著者の毒にも免疫ができてガンガン読んでいる。そこに来て、さらなるドクをお持ちの斎藤美奈子さんと闘うんですかい? いやはや大したもんです。結果はともかく、さてはセンセイ、美奈子さん(の文体)にホの字ですな?
 
もう少しで第一部が終わりそうなところで湯だってきたので上がる。ここ数日で金木犀の香りもしなくなり、いよいよ秋かと思いきや、木曜から夏日との報せ。脈絡のない季節感。皆様、風など召されませぬよう。

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