無可

日々是好日。心に移り行くよしなしごとに流されて手すさびを記していけたらと思っています。

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日々是好日。心に移り行くよしなしごとに流されて手すさびを記していけたらと思っています。

最近の記事

フロ読 vol.30 サン=テグジュペリ 『星の王子さま』 岩波文庫

ブックオフにて220円で購入。絵も頁もすごく綺麗で状態が良い。思わず栞も金色の鉄製のものを使って瀟洒なものにする。 小生意気な「あの花」の愛し方が分からなかった王子は、花と別れて他の星を見に行きます。様々な星に失望、退屈し、七番目に辿り着いた地球は、どの星よりも大きいものでした。 数字の列挙に加えて、「つまり」のパンチが効いている。なんとくだらない星があったものだろう。今までの星にはおとなが一人で住んでいた。一人でいる分には、奇妙ではあるけれども、だれにも迷惑をかけては

    • フロ読 vol.29 金谷治 『淮南子の思想』 講談社学術文庫 

      淮南王劉安。漢の高祖の孫にして淮南の地に文士を集め、『淮南子』を纂してその文才を誇ったが、後に謀反の疑いをかけられて…という漠然とした記憶しかなかった。 その思想は老荘の影響を受け、かなり該博な内容であるらしい…というのも、まだ『淮南子』を読み終えていないので、ごくごく表層的なことしか知らないからだ。 今日のフロでは、第一章「淮南王とその時代』を読んだだけだが、これだけでもぐっと惹きこまれる。著者劉安の父、劉長は、高祖劉邦にその子であることをほぼ意識されず、やむなく母

      • フロ読 vol.28 吉川栄治 『随筆 私本太平記』 講談社 吉川英治歴史時代文庫

        「南北朝文化展を観て」の一文に、足利尊氏の「清水寺願文」についての感想が書かれている。 なるほど書とはそのように観るものか。吉川英治の簡浄な文体は、私がまだ見たこともない書の前で、ぐっと腕組みをして動かない小説家の像をありありと浮かび上がらせる。 p120の一文もよい。 本文の後半には「随筆 宮本武蔵」が収められている。その序も唸らせる。 吉川英治には創(きず)がある。『三国志』を読んでいて、そこに李白の詩が引用されているのを見たときは、その時代考証の甘さに興を削が

        • フロ読 vol.27 石原道博編訳 『旧唐書倭国日本伝・宋史日本伝・元史日本伝』 岩波文庫

          ちょっと調べものがあって『宋史』日本伝に当たってみた。そのままフロに持ち込んで好き放題読む。 雍煕元年に日本国の僧奝然が朝貢し、中国側の聴取に応じたという。 中国語は話せず、書が出来るだけの僧。それに対して筆談していくのだけでも大変な手間であろうに、聞き取った歴代天皇の名を次つぎと記していく。 国土や産物などは中国にとっても国益になるだろうから、細かく記すのも頷けるが、明らかに発展途上国と思われる国の歴史を、よくも詳細に書き綴ってくれたものだ。日本に、というより、歴

        フロ読 vol.30 サン=テグジュペリ 『星の王子さま』 岩波文庫

        • フロ読 vol.29 金谷治 『淮南子の思想』 講談社学術文庫 

        • フロ読 vol.28 吉川栄治 『随筆 私本太平記』 講談社 吉川英治歴史時代文庫

        • フロ読 vol.27 石原道博編訳 『旧唐書倭国日本伝・宋史日本伝・元史日本伝』 岩波文庫

          フロ読 vol.26 楠木健 山口周 『「仕事ができる」とはどういうことか』 宝島社新書

          のっけから、「仕事ができる人」は稀少と。楠木先生のお話は何度か伺ったことがあるが、その私から見ても、「これって、仕事がこれからできるようになりたい人は、どうすれば…」とわずか2ページ読んだだけで、手が止まる。 年齢からすれば、「スキル」が身につき、「役に立つ」ところまでは来たかもしれない。仕事もそこそこ楽しむ余裕ができて、特に不満があるわけでもない。それでも「この人じゃないとダメだ」と言われるほどの人間になれてはいないし、「自分以外の誰か」にどれほど助力できているかは甚だ

          フロ読 vol.26 楠木健 山口周 『「仕事ができる」とはどういうことか』 宝島社新書

          フロ読 vol.25 大澤真幸 『虚構の時代の果て』 ちくま新書

          我々の世代が知る1999年という数字は思ったよりもそれぞれの心の中に食い込んでいたかも知れない。本書の冒頭で語られる二つの戦争は1995年に起きた二大事件だ。 一つは阪神大震災(兵庫県南部地震)。この未曽有の自然災害は、実に6308人もの人命を一気に奪った。 忘れていた戦争の比喩として、あくまでも〈他者〉からの攻撃(一方的な悪意といってもいい)に慣れていなかった私たちの、反省を超えた恐怖であった。 もう一つがオウム真理教による地下鉄サリン事件。確かにあれは衝撃だった

          フロ読 vol.25 大澤真幸 『虚構の時代の果て』 ちくま新書

          フロ読 vol.24 中島悦次校注 『宇治拾遺物語』 角川ソフィア文庫

          最近の角川ソフィア文庫はぶっ飛んでいるとしか言いようがない。読みたかった古典が続々と文庫化されて、ありがたくも我が本棚を潤し我が財布の中を確実に乾燥させていくのである。 『宇治拾遺物語』は最近出版されたものではないが、新刊の同文庫を何冊か同じ書棚に並び直しているときに、ふっと目に入りそのままフロの供に。 『今昔物語集』から、ありがたい神仏のお話とイイ話とグロテスクな話を捨象すると、色と利得と異形が顔をのぞかせるらしい。 巻第一のニ~七。部立てのしっかりした『今昔』

          フロ読 vol.24 中島悦次校注 『宇治拾遺物語』 角川ソフィア文庫

          忙中之閑

          午前中から家のメンテナンスで業者が入れ替わり立ち替わり出入りしてあわただしいことこの上ない。 やっと最後の業者さんを送り出して、ほっと一息。コーヒーなど淹れてみる。 日向ぼっこしながら飲んでいると、ふと変な句が浮かびました。   シロアリも トイレもチェック 築五年 ん? なんだかちょっと一茶風。 午後は午後でやること満載ですが、暫時休憩。 花と戯れる蝶を観て、静息脱力。 雑務に追われつつもそれを楽しむ一日としたいものです。

          忙中之閑

          フロ読 vol.23 松岡正剛 『日本文化の核心』 講談社現代新書

          「『日本』って何だろう?」という思いは、いつも頭をぐるぐる回っている。少なくともそれは国家としての日本を指してはいないことを、本書は思い出させてくれる。 第一講の「柱を立てる」の段階から、既にして国家日本のどこにもそんな柱は立っていないのが分かる。まっすぐ立つことさえ困難な日本。こんな為体でイスラエル問題など、決して踏み込んではならない。 稲作→稲魂→アエノコト→餅→いただきます。第三講の「イノリとミノリ」を読めば、それだけで私たちが何を失ったかは明白だ。苗代という時

          フロ読 vol.23 松岡正剛 『日本文化の核心』 講談社現代新書

          フロ読 vol.22 石原千秋 『大学生の論文執筆法』 ちくま新書

          積ん読状態だったのを掘り返して来たところ、付箋や書き込みが途中まであるものの、あまり覚えていなかったため、イチから読み直す。 著者の本は、『教養としての大学受験国語』を愛読しており、なじみ深いものでもあったが、久々の読みはじめとしては、「ん?センセイ、ご機嫌斜め?」といった感じ。 「全体的にちょっと意地悪」と著者も断っているけど、特に前半は授業スキルのない教授と、何の用意もない学生に対して当たりがキツい。しかし、読んでいると、学生時代に対峙したレポートの数々が頭を過る

          フロ読 vol.22 石原千秋 『大学生の論文執筆法』 ちくま新書

          フロ読 vol.21 田中優子 『江戸の想像力』 ちくま学芸文庫

          江戸といったら田中優子先生。学生時代に一連の著作に読みふけったことが懐かしい。 今年はご挨拶だけでも果たしたかったが、どなたにも人気のある方なので、遠目から元気なお姿を窺うだけとなってしまった。 本書は学生時代にさっと目を通し、知識だけを得ようと試みたものだが、今落ち着いて読むと誠に味わい深い。 以前には興味を持てず、読み飛ばしてしまった金唐革のくだりをじっと歩む。もともと金唐革は東インド会社、つまりヨーロッパから来たデザイン。 これを平賀源内が、革ではなく紙で

          フロ読 vol.21 田中優子 『江戸の想像力』 ちくま学芸文庫

          フロ読 vol.20 荒井修 いとうせいこう 『江戸のセンス』 集英社新書

          江戸のセンスの話…と思っていたら本当に扇子職人さんのお話なのね。その扇子デザインのセンスの話が冴えわたる一冊。 縞というのはつかず離れず、常に交わらないというところが「いき」。特により平行線を意識させる縦縞が「いき」。これは九鬼周造『「いき」の構造』からの抜粋だが、その後の とか、芝居通が最後まで首をひねっていたという「高坏」のセンスの説明を一通りした後に、 と、言葉の彫琢がまずカッコいい…。 武家社会の能や狂言、町人の日本舞踊――これを知識で結ぶ。 情報の発

          フロ読 vol.20 荒井修 いとうせいこう 『江戸のセンス』 集英社新書

          フロ読 vol.19 ウンベルト・マトゥラーナ フランシスコ・バレーラ 『知慧の樹』 ちくま学芸文庫

          哲学とか宗教とかを語っていると、ふっと我にかえる時がある。 曰く、「脳は脳を語れない」。曰く、「語れないことこそが本質だ」。曰く、「環世界」。曰く、「色即是空」。そう。我々が「こうなはず」と語っていることはただの認識。それがそのまま世界を写し取れているかは甚だギモン。 そんな時、ふっと科学に触れたくなる。いや、分かってます。科学もまた、「科学的=世界の客観視」という思い込みに囚われる限り、哲学の一種でしかないよね。 でもね、物事の真理を見極めたいというのであれば、

          フロ読 vol.19 ウンベルト・マトゥラーナ フランシスコ・バレーラ 『知慧の樹』 ちくま学芸文庫

          フロ読 vol.18 松岡正剛 『山水思想』 ちくま学芸文庫

          ふと安土桃山が気になって手に取った。 織田信長は日本の仏教(朝山日乗)とキリスト教(フロイス)を論戦させた。時代の先端を突っ走る者が作った「対立の構図」。フロイスを面白がった信長の感覚。これが日本のヨーロッパに対する受容の仕方を決めた、とは! ちょっと他の歴史書では見当たらなかった視点にぐっと引き込まれた。これが日本流の南蛮文化を産む。桃山シナシズムとは言い得て妙。 日本とヨーロッパの関係を繙こうとする歴史批評は多いが、著者はヨーロッパに向き合っていこうとする日本の手

          フロ読 vol.18 松岡正剛 『山水思想』 ちくま学芸文庫

          フロ読 vol.17 森博嗣 『夏のレプリカ』 講談社文庫

          通勤電車からのフロ読。 本のセレクトは図書館のリサイクル文庫でただで手に入れたため。森博嗣の一連の作品は『すべてがFになる』以外、読んでおらず、辛うじて西之園萌絵と犀川先生だけ知っていて、他の登場人物は全て初対面。同時並行で進捗中のマジシャンの事件とやらも何のことやら知らないまま読み進める。 全体の語り部を務める簑沢杜萌の秘め事に触れる第八章から俄然面白くなってきた。読みながら人の記憶や認識とは何だろうと考える。 わざと思い出せないのではなくても、人に言えないこと

          フロ読 vol.17 森博嗣 『夏のレプリカ』 講談社文庫

          フロ読 vol.16 鈴木一雄 校訂 『狭衣物語』(下) 新潮日本古典集成

          電車の中で『源氏物語』を読んだので、何となくフロは『狭衣物語』かな…と。 一般に平安後期の物語は『源氏物語』の影響が大ということだが、読後感が残ったまま『狭衣物語』を生で味わうと、それはもう影響とかのレベルではないことがよく分かる。 巻三は、主人公の狭衣大将が高野山にいるところから始まるが、『源氏物語』の須磨の気配が早くも濃厚。夢こそ見ないが、飛鳥井の姫君は危篤になるし、親は待っているしで結局山を下りる。まるで朱雀院失明により帰京を果たす光源氏と同じあらすじだよね。

          フロ読 vol.16 鈴木一雄 校訂 『狭衣物語』(下) 新潮日本古典集成