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ある時はありのすさびに

人は人のお蔭で生きている。
今日という日をこうしてのうのうと過ごしていられるのは、他人様の物理的サポート無しには考えられない。
「ありがとう」、「すみません」。日常でする定番の挨拶も、その根底には「あなたのお蔭です」という感謝があって然るべきだ。

んなこと全部承知の上で、今日は限界を超えました。
「何に」という具体的な何かはあるといえばある。
無かったことにもできるけど、そしてして来たけど、もう、もうニンゲンの暮らしはまっぴらごめん…という時が年に数回訪れる。
今回は本当に、職場で話している人の声が聞こえなくなる瞬間があり、これは重症だなと自己診断しました。

そんな訳で、今日は昼から川へまっしぐら。
しばしニンゲンのいない世界に逃避です。

はるか遠くに人の声はするものの、風にそよぐ草の音、鳥やカエルの声に囲まれて、ただ無心にウキを眺める。
最初のうちはウキは微動だにしない。
でも、それがイイ。
ひたすらエサを打ち返して魚が寄るのを待つ間の、流れゆく雲とか、トンボの追いかけっことか、手に乗ってきたハエトリグモさえ可愛く思える。
無遠慮な声をかけてくるニンゲンどもとは比べ物にならない優しさだ。

ややあって、ウキにアタリが出始めてくると、忙しい。
上下の動き、横にすべる動き…どこにアワセをくれるべきか。
迷ったあげくのここだ!というタイミングに、魚の手応えがあれば最高。
なくても「あ~」と無念の声を上げて見るのもまた楽しい。
子どもの時はただ悔しいだけだったが、大人になるとそれもまた一興。
そういう声を出す場所、無くなってますもんね。

水槽で飼えるサイズの小物を狙って来たのだけれど、
どうやらここにはヘラブナばかりがいるようで、
私の棒ウキでは微細なアタリが取れず、四苦八苦。
でも、それがまた集中力の活性化を促し、アドレナリンが荒んだ心を浄化してくれるのをひしひしと感じました。

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夕暮れの帰り道。
道で一緒になったバサーの兄ちゃんと四方山話。
もうニンゲンを忌避しなくてもやっていけそうです。

ある時はありのすさびに憎かりき
           なくてぞ人は恋しかりける

遊んでくれた川に感謝して、明日からはまた人波を泳いでいきます。

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