見出し画像

Free the Belly:自分の見た目に対する感情を内省する

Y2Kファッションとボディポジティビティ

Y2Kファッション、つまり2000年代前後の服装が若者の間で流行っていると知ったのは、1993年に生まれた私が29歳になったばかり、2022年の春頃だったと思う。

記事のなかで、米国に暮らす同世代の女性たちが、子どもの頃に憧れていたファッションを身につける様子、過度なダイエットといった00年代の負の側面を再解釈しようとする姿が取り上げられていた。

一方、Y2Kトレンドについて「自分の体や着る物すべてを過剰に気にしていた13歳の頃に引き戻される」という人もいた。「自分は完璧ではない」と感じていた、サイズ2や4(日本でいうSサイズ)でないから、ローライズのスキニージーンズは「着てはいけないというルールがあるように感じていた」という。
その他にも、自分の体に自信を持てず、摂食障害に苦しんだ時代を思い出すというミレニアル世代の声を取り上げた記事は他にもいくつか見つかった。
Y2K Fashion is Back. Are Its Bad Vibes Back, Too? 

それを知ったうえでインスタグラムを眺めていると、短めのトップスにワイドパンツを合わせるコーディネートを真似したくなってきた。私が2000年代と聞いて思い浮かべるのは、浜崎あゆみであり、ローライズのデニムとへそ出しだったからだ。数週間後に、少し短めTシャツにワイドパンツを合わせてみて、「おぉ、小学2年生の私が真似したかったやつだ」と感動するなどした。

と同時に、その格好で自宅の近所、地方都市のなかでも比較的落ち着いた住宅街を歩いていると、すれ違う人が誰もへそを出していないなと思うようになった。へそを出して歩いている人が少ないからこそ、わざわざ「へそ出し」という言葉があるのだ。

そう自覚すると、へそを出して歩く珍しい人に足る腹筋がついているのかとか、すれ違った人が何かネガティブなことを感じたのではないかとか。気になる瞬間が増えた。ボディポジティブやボディニュートラルの考え方もざっくり知っているし、『アイ・フィール・プリティ』を観て、自信がいかに人を魅力的に見せるかも学んだ。それでも、どうしたって気になってしまった。

というような話を、友人の今村桃子ちゃんとする機会があった。彼女は、へそを出したファッションについて、周囲から決して肯定的ではない言葉を受け取った経験があった。数年前に欧米では、女性が公的な空間でもトップレスで過ごす権利を求める『Free The Nipple』ムーブメントが話題になっていたが、私たちはへそですらなんとなく出しづらいと感じているのだなと思った。

そうだ、へそを出して写真を撮ろう

へそを出していることで誰かに危害を与えるわけでもないはずなのに、私は何を気にしているのだろうか。そこには個人的なものや社会的なものも両方ある気がした。

もやもやの輪郭を掴みたくて、あとは単に楽しそうだなという衝動も大いにあり、「二人でへそを出して歩いてみたらいいのでは!」という話になった。さらに同じく敬愛する会社の同僚であるのゆいちゃんも興味を持ってくれたり、ちょうど彼女がポートレートを撮影する予定だったりと偶然が重なり、「みんなでへそを出して歩いて、一緒に写真を撮る」という謎イベントが爆誕した。

写真を撮影してみて

撮影を終えて、写真を眺めながら感想をシェアしていると、自分の体型や顔、肌、ムダ毛など話題は尽きなかった。

見えてきたのは、私たちが見た目に関わるあれこれに対し、ポジティブであったり、ニュートラルであったり、ネガティブであったりと常に揺らいできたことだ。幼少期に身近な親族から言われた些細な一言、メディアから受け取り続けてきた“理想の体型”のイメージ、思春期に同じ制服を着た友人と並んで撮った写真。外からいろいろな影響を受けて、私たちの自分の見た目への捉え方は、変化し続けていた。

そのうえで、私たちは“ありのままの自分”を肯定しようともがいたり、“なりたい自分”を希求して地道に努力してみたり、たまに諦めてみたり。その行き来をすることで、自分の見た目となんとか折り合いをつけていこう、付き合っていこうとしていることもわかった。へそ出しを躊躇う感情を裏付ける社会的な要因が見つかったわけではなかったのだが、私たちが自分の見た目とどう付き合いたいか、何を大事にしたいかの輪郭は、なんとなく掴めたような気がした。

 photo by Takumi Kuroda

3人で話し合う過程で、見た目との付き合い方をリフレクションするための質問、それを可視化したチャートを作成してみた。よければ、親しい友人や知人とも、お互いの見た目にまつわる揺らぎを書いて、話し合ってみてほしい。以下が、私のストーリーだ。

1. 自分の体型や顔、肌、毛と、他者の体型や顔、肌、毛の違いに気づいた、比べるようになったのはいつで、どのようなきっかけでしたか?

  • 物心ついたときから人より身長が高い、大きいねと言われていた

  • 小学二年か三年生のとき、漫画の登場人物が毛深さに悩むシーンがあって、ふと自分と他の人の腕の毛を比べて、「あぁ、結構生えてるなぁ」と思った

2. 自分の体型や顔、肌、毛について「こうだったらいいのに」と感じたことはありますか? いつ、どのように、そう感じましたか?

  • 思春期くらいから身長の低い子が羨ましいと感じることが増えた

  • 特に「手がでかい」ことがなんとなくコンプレックスだった

  • 高校生くらいでいい感じになった人の身長が自分より少し高いくらいで、自分がもう少し小さければいいのになと思った

  • Zipperに載っている身長の小さい子のファッションを真似しても同じようにならないなと思って悲しかった

3. 自分の体型や顔、肌、毛について「ここがいいな」と感じたことはありますか? いつ、どのように、そう感じましたか?

  • 中高はあまり肌が荒れることがなかった(たまにニキビができるくらい)ので、そこまで手入れを頑張らなくていいのは楽だなと思った(のちに社会人になってストレスでめっちゃ荒れた)

  • 年上にみられることはプラスの面もあるなと思うことがちょくちょくあったし、思春期はそれが嬉しかった

  • アメリカに行ったときは服も含め色々なサイズがちょうど良く、このサイズも悪くないなと思った

4. 自分にはこのメイク(あるいは服装)がしっくりくると感じたことはありますか? いつ、どのようなものについて、そう感じましたか?

  • 去年オランダでロングコートを買ったとき「こういう丈をずっと求めていた….!」と感動した

  • あえて少しヒールを履いたりして、体型がなるべく活きるような服装をし始めてから、心地よい、気分が良いと感じられるようになってきた

5. 自分にはこのメイク(あるいは服装)がしっくりこないと感じたことはありますか? いつ、どのようなものについて、そう感じましたか?

  • 一時期、まつ毛を繊維でバッサバサにするメイクが流行っていて真似したが、全然顔に合っていなかった

  • 上下オーバーサイズの服、雑誌で見たら可愛いが、自分が着ると全然可愛くならなかった

一緒に対話・議論をしたももちゃん、ゆいちゃんの記事もよければぜひ!


最後まで読んでいただきありがとうござました!