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『さよなら すべてのハルマゲドン07』 〜イエス・キリストとは誰だったのか〜


 旧約聖書の記述の正体について、これまでかなり長いお話を続けてきたが、もう結論から言えば、「あれは古代中東の単なる神話群である」としか言いようがないものだった。

 日本にもイザナギ・イザナミを始めとした創世神話があるし、それこそ世界中に「世界のはじまり」について語った物語があるが、聖書の創世神話も、元ネタについては、それらと実はあまり大差がない。

 ところが、それを「あたかも理論的で、理知的で、真理真実である」かのように編集してきた勢力がいて、僕たち私たちは、まんまとそのワナにはまっていたのだ、ということを証明してきたのだが、いかがだっただろうか。

 その編集者たちは、もちろん一人ではないし、長い間かかって聖書を編集・調整しつづけた。その時代ごとに調整のニュアンスも微妙に違うのだが、中核となるメインテーマが意外と「一貫していた」だけに、なんとなく聖書全体が統一性のあるもののようになってしまったから、後代の者から見れば大変に罪作りな書物として仕上がってしまった部分はあるだろう。

 統一テーマはシンプルである

「カナンの地に永住するために、ヘブライ人にはリーダー(メシア)が現れる。そのリーダーは歴代「預言者」と呼ばれ、エホバのメッセージを届けてくれる。なので、エホバの言うことを聞けば、永住場所が手に入る」

ということだ。

 これが形を変えて信仰上の「天国や楽園」になるし、現実世界では現代国家としての「イスラエル建国」に繋がってゆくのである。


 さて、では新約聖書の主人公である「イエス・キリスト」とはいったい何だったのだろう。あるいは、彼は何者だったのか。

 すでに歴史学者やイエスの研究者たちは、一定の結論や答えを出していて、それらは公開され、出版され、ある程度共通の認識になっている。

 参考文献として

 レザー・アスランによる「イエス・キリストは実在したのか」を挙げておこう。イエスの実像について、かなりはっきり理解できる名著である。


 さて、この連載ではそれらの議論や仮説を踏まえて、ざっくりとイエスの人となりをまとめてしまおう。

■ 大工の息子ヨシュア(のちのイエス)以外にも、反ローマの活動家や、そのために奇跡的な行為を用いる者は多数いた。祈祷師たちがわんさか。
■ 彼らはそれぞれファンを得て、盛大に活動していたが、最終的にはみんな捕まって殺された。
■ ユダヤ人国家の独立を夢見て政治寄りの活動を行った者もたくさんいたが、全部ダメだった。
■ そうした「メシア」っぽい活動をしていた人たちは、ローマの記録にたくさん登場する。
■ 「メシア」は世界の救世主というニュアンスではなく、「ローマ属国であるイスラエルを解放してくれる者」のニュアンスのほうが近い。


という感じである。

 さらに「大工の息子ヨシュア」についてもっと限定すると、聖書の実像と近寄ってくる。


■ マリアのぬるぬるローション儀式を経て生まれた子なので「神の子」であり「処女懐胎」ということになる。もちろん実父はヨセフ。
■ 田舎であるガリラヤのヤンキー。親戚や仲間は漁師とか娼婦とかが多い。
■ 一時期「新興宗教・バプテスマのヨハネ」のもとで活動していた。ルカ書ではおかん同士が親戚だったからとされている。
■ シモン・ペテロとアンデレは、ヨハネ教団から移動してきた。
■ 別のシモンである「熱心党(ゼロータイ)のシモン」が元所属していたのはローマ帝国に歯向かう過激派。
■ ヨシュアくんもちょっと過激派なので、神殿で暴れたりした。


 こうして俯瞰して考えると、「自称解放者メシア」を名乗る「神の子」たちはたくさんいて、新約聖書を執筆編集した「初期イエス教団」の弟子たちは、

「大工の息子ヨシュアだけを特別視して、聖別した」

ということが見えてくるだろう。

 誰か一人だけを「油注がれた」として特別視するのは、ヘブライ・ユダヤの基本的考え方なので、モーセからはじまって「ダビデ」や「イエス」など、毎回誰かを選定し

「この人が本家で、直系なんです」

ということを主張しつづけるのが、聖書編集の基本スタンスだということになる。

 そして、その人物が失策したり、追い落とされたりすると、「神が離れた」ということにしてしまう。ダビデやソロモンは、その手口でダメ人間扱いされたわけである。


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 ということは、イエスキリストが救世主であるという話は、初期イエス教団のメンバーにとっては、自分たちの「推し」なので、

「そう思いたいという希望」「そう信じたいという願望」

に過ぎないことになる。

 ややこしいことに、イエスが亡くなった後、ペテロ派・ヤコブ派・後から参入組のパウロ派などに分かれてゆき、特に海外に布教したパウロ派の解釈によって

「イスラエル人以外に対しても、希望がある」

みたいな教義になってしまったため、キリスト教は世界宗教への道を踏み出してしまったのであった。


 おまけにローマ帝国が、キリスト教を国教にしてしまったものだから、現代の西洋文明は、さらに一層、イエスが「世界人類の救い主であるかのように」思い込んでしまっているわけだ。


 さあ、ここまで来ても、

「それでも創世の神がいて、その子がイエス・キリストで、なおかつハルマゲドンが来てイエスが再臨し、楽園や天国が訪れる」

とあなたは信じることができるだろうか。

 母なる創世神を裏切った牛の神エホバや、ち○こを切られたエル神や、ぬるぬるローションなマリアとその子ヨシュアくんを信じ切ることが、あなたにはできるのだろうか。

 人がエデンの園から追い出されたのは「勘のいいガキは嫌いだよ」と神々が言ったという「鋼の錬金術師」みたいなのが真実だったことや、やっぱりヘビはち○こだったことを知っても、まだハルマゲドンが来ると思えるのだろうか。



 なんだかエロいことばかり書いているようだが、これはマジメな話で、日本神話でもイザナギとイザナミは、天沼矛で濡れ濡れの大地をかき回し、矛のさきっちょから滴ったものが「淡路島」になったとされている。


”彼らはオノゴロ島に降り立ち、八尋殿と天の御柱を建てた。イザナミは自分の身体に足りない所(女性器)があることを発見し、イザナギは余っている所(男性器)があることを発見した。イザナギはイザナミの足りない所に彼の余っているところを差し込んで国産みを行うことを提案し、イザナミは承諾した。”


 またこの話には余談があり、「イザナミが先に言葉を発すると、国産みが失敗してヒルコ(水子)が生まれてしまった、という伝説にもなっている。

 男女のどちらが主導権を持つかは、どの国でも神話と結びつくのだ。


 実はこれと似た話が創世神話にもあり、聖書では「カット」されているが、実はアダムには先妻がいて、彼女の名前は「リリス」と言い、アダムとまぐわうときに

「どっちが上か、正常位がいいのか、騎乗位がいいのかでケンカになった」

という神話がある。

 このリリスとの間に出来た子どもたちが「リリン」で、この話は僕たち私たちが大好きな

「新世紀エヴァンゲリオン」

の元ネタになっているから、そちらはそちらで楽しんでほしい。


 さあて、ながながと聖書の世界観について説明してきたが、結論はズバリひとつだ。


ハルマゲドンはこない。楽園も復活もない。

 今ここにいる、ここに生きているということだけが事実で現実だ。


というオチである。


 もし、あなたやあなたの身の回りで、

「神々のシモネタのせいで、これまでの人生が失われた」

人たちがいたとすれば、即刻その信仰を捨て去るようにお勧めしてほしい。

 親子関係を失ったり、宗教的虐待を受けたり、あるいは信仰によって心の病を発症したり、究極的には命を落としてしまった人がいるだろう。


 あえてキツいことを言うが、それらは全部無駄だった。すべて無意味で、どうでもいいことだったのだ。

 その恨みをぶつける相手は、歴代の聖書執筆者である。彼らは何千年もの前に死んでいるし、そもそも後世そんなことになるとは思っていない。せいぜいイスラエル人同士の間だけで、エホバや神は崇拝されるべきだとしか思っていなかったのだ。世界宗教になんてするつもりは毛頭なかったに違いない。なぜなら、古代ヘブライ人にとっては、ほかはすべて異教の民だからである。


 残念ながら、すべてのキリスト教系宗教の指導者も、現実問題においては加害者であるが、歴史の末端においては被害者である。

 神々のシモネタについて「信じてしまった」哀れな人たちなのだ。その部分については、あなたや私と同じで、人生や時間や、すべてを無駄にしてきた人たちであるということになる。


 さあ、もうわかっただろう。

 人類の「救い」や「希望」の正体は、とんでもない「被害」や「絶望」であった。

 信じる者は救われるどころか、信じたあたしが馬鹿だったわ、みたいなオチだったのである。


 この連載の最初に、私はみなさんを開放するとは約束したが、同時に

「あなたは放り出される」

とも予言したのを思い出してほしい。

 頼るべき教えがまったく崩れ去った今、あなたは自分の足で歩きださねばならないからである。


 けれど、心配ない。私はちゃんと、偽りの聖書に変わる真理真実を知っている。

 このセカイがいったいどうなっているのか。答えはちゃんとあるのだ。

 その話はまた、別の機会においおいしていこう。

 では、今回はこのあたりで。ハルマゲ〜〜ドーン!!!


 (おしまい)


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