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【宗教2世ごろごろケア日記12】ケアのたてよこナナメ。


 最近はずっと人工知能の話ばかりしていて、ひさしぶりの宗教2世ごろごろケアの話題です。

 テレビなどでもかなり報道されるようになり、宗教2世がどんな被害を受けて来たのかについては、広く知られるようになってきたと思います。

 もちろん、これまではその実態がなかなか明るみに出ることがなかったので、大きな進歩。

 とはいえ、宗教2世当事者、経験者としては、まあ「その宗教の被害」についてはすでに充分知っておりまして、さて、ではどうすれば「被害を救済できるか」「自分が救われるのか」が、次の段階に待っているということでもあります。

 すこーしずつ、支援団体や支援活動をしている人々の話もでてきておりますが、武庫川さんとしても、個人的な研究のお話をここらでしておきましょう。

 もちろん、ケアのお話ですよ。にっこり。


「宗教2世ケア」あるいは「支援」という場合、その領域があまりにも幅広く、「何をどうしたらいいのか」もよくわからないし、自分自身に対しても「どう行動したら良いのか、どう考えたらいいのか」が混乱することが多いと思います。

 そもそも、特定の宗教環境下にあった人は、「比較すべき他の環境のサンプル」に乏しいことがあるので、ほんとに困るんですね。


 そうしたことを踏まえて、「ケア」の前に、「宗教2世の自分軸」を整理しておきたいと思います。


◯ Y軸  過去から今、今から未来への時間軸

◯ X軸  宗教問題を構成する、横のひろがり、分野の軸


の2つをまず押さえておきます。グラフで言えば縦と横です。

 縦は時間、横は宗教的な問題に発する、生き方の要素です。


 まず、Y軸のケアの方法は、タイムマシンを使います。とはいえ、現実にはタイムマシンは存在しないので、本当にその時の自分を変革することはできません。なので、擬似的に。


 さて、ある宗教2世の人とお話しているなかで、

「何歳の自分が泣いている」

という言葉が出てきました。これ!この軸の感じ。このタイムマシン感が、ひとつのケアのヒントになりそうです。

 その方や、何人かとお話する中で、たとえば自分の夫やパートナーに、過去のつらさについてお話する時、

「何歳の自分を抱きしめてもらう」

という方法を試してみよう!ということになりました。効果あると思います。

 誰かに大切にされること、ハグされること、愛されることは、だいじなケアだと思いますが、そこに「時間軸」をちゃんと意味づけてみるという工夫ですね。

「つらかった何歳の自分に、ちゃんと愛を届けること」

をパートナーと試してみるのは、アリだと思います。

 もちろん、自分で自分をケアする時も、「何歳のあたし」「何歳のぼく」というイメージを持つことは、大事だと思います。

 自分の気持ちを、時間の経過にそって、整理することなんですね。

 少年少女の時の自分と対話してみる。

 それは、現実においてはそれぞれの「発達段階」がありますから、その発達段階によって、考えや受け止め方、感情のベクトルも違う、ということを整理することでもあります。

 多くの場合、宗教2世は、「こどもの時にこうしたかった、こうしてほしかった」ことを無言で黙ったまま生きています。それをその時に戻って言ってみる、やってみる、誰か信頼できる人と、そんな話をする。

 これが縦・Y軸のお話でした。


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 では次。横・X軸のお話です。宗教環境下にあったことで、いろんな要素の「悩み、生きづらさ、考えの偏り」が生じるわけですが、ざっとその広がりを分類してみましょう。


◯ この世界のなりたち、どんな創世がただしいのか?という真実を求める気持ち(神はいるのか?も含めて)

◯ 親子間の愛情を求める気持ち、あるいは、親子間の気持ちを信頼できるのか、不安になってしまう気持ち

◯ 自分とは何かというアイデンティティ。自己肯定感。

◯ 社会に出てゆくにあたっての、自立の方法、経済的な問題

◯ ことばにできないさみしさ、喪失感、くるしみ


 これらは「とても幅広く、横方向同士で複雑に絡み合っている」という特徴があります。

 そして、「それぞれひとつひとつは、普通の人の悩みとも共通する」のでタチが悪いのですね。

 たとえば、宗教活動に親がのめり込んでいて、経済的に家計が苦しいとか、宗教によって進学が遠のいているとか、そういうことは要素に分けてしまえば「他の家でもある話」です。

「家が貧しい、進学できない」人はよそにもたくさんいるからです。

 また、ふつうの人だって「アイデンティティ」には悩んでいます。宗教環境下にない人たちが、誰もみんな自信満々なんてことはありません。

 なので、こうした話を外部に持ち出したり、外部に相談したりすると

「うーん、それってみんなおんなじように一般社会でも苦しんでるよ」

という返事をもらっておしまいになり、もんもんとするわけですね。

「あ〜、違う!そういうことじゃなくて、伝わらないなあ、悲しいなあ」

と宗教2世は思ってしまうのです。


 こうした問題を含めて「横方向の糸のようなものが、複雑に絡んでいる」ということを押さえておく必要があります。

 そしてまたそれを解きほぐす時に「宗教がなかったら、全部すっきり解決するんだ!」というわけでもないのです。

 宗教がなかったら経済的に恵まれる家もあるし、そうでもない家もあるでしょう。
 宗教がなかったら、進学できた家もあるし、そうでない家もあるから、これは意外と難しい問題ですね。

 でも、横方向、X軸の「絡み合い」が起きているのはたしかなので、一般ずつほぐしてゆかないとダメなんです。

 これもまた、一人でやるのはたいへんな作業なので、信頼できる人や、機関を頼りながら、ということになるかもしれません。

 また、生きてゆく上では、「とりあえずどれかにフタをして、どれかを優先する」ということも必要です。仕事を得ることを優先する場合もあるでしょうし、「親子関係の修復はあとまわし」という決断だってアリです。

 横は広すぎるので、「自分にとって優先すべきことを絞り込む」そんな勇気を持ってください。


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 縦の軸も「何歳のあたしに注目する」、横の軸も「要素をしぼる」ということをやりました。

 つまり、問題の単位をちょっとだけ小さくしてやって、取り組みやすくするのがヒントなのかもしれません。

 眼の前に広がっている問題は大きすぎて手をつけられないので、できることからやってみる、という感じです。

 もし、誰かと誰かが協力してケアする場合もいっしょです。「この人といっしょにケアできるのはこの分野」みたいな限定が生じることだってあるかもしれませんが、それでいいと思います。

 救世主はいないので、ある支援者がまるごと全部を解決してくれるわけではないですよね?もし誰かに対して、そんな風に思ってしまったのなら、それは新たな宗教的依存なのかもしれません。


 最後はナナメの話をしておきましょう。

 宗教環境下にあった過去から、未来へとナナメ右上に向かって描かれた一本の線、それがあなたの未来です。

 縦軸と、横軸のそれぞれの要素をひとつずつクリアしたり、ひとつずつ「落とし所に落とし込む」ということができれば、かならず未来は開けます。

 ■ 宗教環境下にいれば、そのまんま 

 ■ それぞれの課題を、クリアしなければそのまんま

 ■ それぞれを声にしてみたり、誰かと話してみなければそのまんま

 ■ 家族との関係を保留にしたらそのまんま


 ……まあ、ちょっと厳しいことを書きましたが、アクションがなければそのまんまです。キリスト教なんか2000年以上も昔のまんまのことをやってるわけですから、ほんとに「そのまんま」なのです。

 でも、縦軸・横軸何かしらあなたがアクションをとってゆけば、必ず右肩上がりの線が見えてきます。

 それは成長でもあり、未来への希望でもあり、課題の解決です。

 逆に言えば「そのまんま」が好きな宗教環境なので、今の状態から「もっともっとどん詰りになる、右肩下がりになる」ことはあんまりないと思います。

 物理的にお金が減ったり、年齢がどんどん年寄りになる、くらいはあるかもしれませんが、宗教環境は、基本的には「横ばい」を要求するイメージでいいでしょう。

 戒律を守る、とか信仰を守るというのは、「横ばい」のイメージで押さえておきましょう。

 それに対して、課題解決をしてゆくことは、「どんどん自由になる方向」なので、希望が持てます。

 明日は、明後日は、未来はもっと自由になれる、ということを想像してみてくださいね!


 すこし、気持ちに望みが持てたのではないかな?と思います。


(了)





 


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