『さよなら すべてのハルマゲドン05』 〜ぬるぬるローションの話〜
さて、前回までのお話で、エルやエホバといった古代の神々の実像に迫り、まあそういうギリシャ神話とか日本神話みたいな神々がいたのね、というところまでは理解していただいたと思う。
エホバはガニマタの牛の神だったので、さすがにもう信じる人は少なくなってきたと思うが、エルも下の写真のようなおっさんで、
さらに恐ろしい話が潜んでいる。
ウィキペディアにこんなことが書いてある。
” 後の時代になると肉体的に弱く、決断力にも欠ける年老いた神ともされ、事実上の主神はむしろバアルである。そのせいか、神話においてイルはバアルには冷淡で、自身の宮殿においてバアルとその仲間達に急襲され、捕縛されて傷つけられ、追放されて以降は彼の敵対者であるヤム=ナハルやモートを神々の王として擁立した。なお、捕縛されて傷つけられた際にある物が地上に落ちたといわれており、これはイルが去勢されたことの隠喩とされる。”
エルは、古い時代の神と書いたが、なんとバアルに負けて
「ち○こを切られた」
のだそうだ。
エホバも牛だったのでなかなかヤバかったが、エルもたいへんそうだ。
それでもエルを信じたい!ハルマゲドンにやってきてほしい!という人は、頑張って信仰を続けてほしい。応援する。
「エル エル ラマ サバクタニ」
……神よ、どうしてち○こをお見捨てになったのですか。
さて、古代の話と言えば、当然生殖と豊穣に関わる下ネタの話がオンパレードだが、ハルマゲドンからちょっと離れて、今回は下々の話を連発でお届けしよう。
しかし、この話には
「なるほど!聖書に書いてあったのはそういうことだったのか!」
という大発見がたくさん潜んでいるので、ぜひ楽しんでほしい。
さらにみなさんの疑問や謎が解明されることだろう。
富田章夫さんという古代ギリシャの研究をなさっている方のサイトには、聖書や古代中東に関する膨大な情報が載っているのだが、
その中から特選情報をお届けしてみる。
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/antiGM/first.html
まずは聖書でおなじみの「初子」あたりの話からはじめよう。
聖書では初子がかなり特別扱いされているが、僕たち私たち日本人も「長男が偉い」という感覚は、自然に持ち合わせているだろう。
まあ、実際には長男だけでなく、「跡継ぎ」になる「嫡子」が一族において特別な地位や待遇をもらえることはよく知っている。
なので、初子の話が出てきても「あー、長男は偉いのね」としか日本人は思わないが、この話にはもう一段階の裏話があるのだ。
実は初子が偉いのは、単に「長男」だからだけではない。実は古代中東ではこんな儀式が行われていた。
■ 処女のおねえさんがいる。
■ おねえさんは結婚する前に、初子が神からの祝福を受けるために、あるいはもっと、ズバリ神の子が生まれるように
■ 神殿の男根型の神のアレの上にまたがって、あれこれする。
■ その神のアレは、石の棒で出来ていたので、挿入のために油を塗る必要がある。
■ まあ、その、ぺぺローションだね。
■ その後、実際の夫とあれこれして子供を授かると、
■ その子は「神に祝福された子」「神の子」なので初子は特別扱い
という理屈なのだそうだ。
「油注がれた者」というワードは、聖書ではおなじみで、これは「神からの祝福を与えられる」とか「王権が認められる」などの意味がある。もちろん、元ネタの「ち○こ」の話からずいぶん時代が下ってのことなので、ニュアンスが変化してしまっているが、なぜ「頭に油を注ぐ」のかというと
■ もともとは神のアレの亀頭に油を注ぐ
が
■ 実際の頭に油を注ぐ
に変化したからだそうだ。なるほど、元のニュアンスが残っている感じが絶妙である。
「クリストス」とはもちろん「油注がれた者」の意味なので、イエス・キリストとは、「ぬるぬるローション男」という意味なのだ。(失敬)
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さあ、まずこの話で「初子が特別」ということがスッキリわかったと思う。神とまぐわって誕生する子なので、そりゃあ初子は特別だとわかる。
実は古代中東では、実際にこの「初子」を神のために聖別して生贄にしていた歴史があり、聖書に出てくるイサクの話はそれに連動する。
ぶっちゃけ、イサクのように、当時の中東の神々は「人の子供を生贄として要求」しており、殺されていたのだ。エホバも実際に、人間の子供を要求していたようだ。
人を殺しても、儀式や信仰の上では「神との間に生まれた子」なので、別に神に返すことについては、問題はない。そもそも「神が授けてくれた子」だからである。
このあたりの感覚は、現代人からみると、かなりショッキングだが、当時はそれがかなり広い範囲で行われていたという。
しかし、時代が下るごとに、それはさすがにどうなのか、ということで、生贄が子羊に変更になっていったらしい。
イサクの話やら、過ぎ越しの話などを加味しながら、徐々に人身御供風習を和らげていったものと思われる。いわば当時の祭司たちの宗教改革だったのだなあ。聖書的には「人身御供をやめたヘブライ人、偉いやろ?」というドヤ顔の部分なのである。
おもしろいことに、この「生贄の儀式」のほうは徐々に廃れていったが、ローマ時代になっても「ち○こ」の儀式は続いていた。
これが、第二のポイントだ。さあ、もうここまでくれば懸命な読者諸君と名探偵コナンくんには、なんのことかわかるだろう。
「聖母マリアの処女懐胎」
の真実は、まさにこれだったのである。
ローマの属州となったイエスの時代でも、「ぬるぬるローション」の儀式は続いていた。神の花嫁となった神殿娼婦などにおいても、この儀式は残っており、そのために
「マリアは処女で、神の子を宿した」
ということになる。
そして、その夫であり、イエスの実父であるヨセフと、その後にまぐわうことになるわけである。
ここから「マリアは神殿娼婦だった説」あるいは「マリアはふつうの母だったが処女懐胎した説」などが生まれてくることになる。
立場はともあれ、処女マリアは儀式を行った。そのためヨセフとの息子は「神の子」とされ祝福された。おまけに油注がれたので、「クリストス」となったのだ。
こうした歴史背景がわかると、イエス・キリストが「神の子」となんの躊躇もなく書かれることがわかると思う。
自分たちでもそうだし、周囲もそれを認めているのは、実際にその儀式を行えば「神の子」だからである。えっへん、と胸を張っていいのだ。
しかし、それは彼が特別なのではなく、同様の儀式を経て生まれた子はみな全員「神の子」であり「神の祝福を受けている」ことを意味する。
クリストスなこどもたちは、いっぱいいたのである。
統一教会みたいなもんだ。
ところが、現代の我々は聖書編集者の巧妙なしかけ、によって「ナザレのヨシュア、つまりヨセフの子イエスだけが、特別なただ一人の神の子だった」と思わされている。
これは、実は多神教の聖書において「エホバ一人だけが唯一の絶対神である」と読者に思わせるテクニックとまったくおなじものが用いられているわけだ。
エホバは唯一で、イエスは唯一である、という誤解を生むように、聖書はうまく編纂されているのである。
さあ、こうして考えると、イエス・キリストが本当に「唯一の存在で、人類全体の罪を贖った」のかどうかも、怪しくなってきたことがわかるだろう。
どんどん、ハルマゲドンが起きそうにないことがわかってきたのではないだろうか?
(つづく)
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