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ヴードゥー・ラウンジ ツアーTシャツ


■新作アルバムのリリーススパン

音楽の流通がビニールレコードからCDに変わったことで1度のアルバムで発表される曲の数が増えたと、グローバルリズムのおかげで、ミュージシャンのアルバムはヒットすると世界規模の販売数になり、それに伴うツアーも北米とヨーロッパだけでなく南米や日本を含むアジアを回る長期間のワールドツアーと言うことになるので、アルバムの発表のスパンは長くなっていったようです。
70年代から80年代のアナログ時代は1枚のアルバムに8曲〜10曲で約一年スパンで発表されていたのは、15曲〜16曲で2年〜3年のスパンで発売されるのが普通になり、大物になると4、5年が当たり前な感じになっていたかと思います。ビニール盤からCDへの移行の時期、CDにはbonus trackが入っていたりしましたね。
ストーンズを例に見ても70年代『スティッキー・フィンガーズ』から『エモーショナル・レスキュー』をほぼ毎年制作、発表しています。80年代ジャガー/リチャーズの仲が決裂していた時期であっても、80年に『タトゥー・ユー』、83年に『アンダーカバー』、86年に『ダーティ・ワーク』、89年に『スティール・ホイールズ』と、約3年スパンでアルバムを制作しています。ちょうど『ダーティ・ワーク』から『スティール・ホイールズ』の頃に欧米ではCD化が一気に加速したはずです。1987年にリリースされたマイケル・ジャクソンの『BAD』の初回プレスがビニール盤をCDが上回った最初のアルバムだと言うニュースを聞いた記憶があります。

■ヴードゥー・ラウンジ アルバムとツアー

といった前提で、ストーンズが90年代に入って最初にリリースしたアルバムが1994年リリースの『ヴードゥー・ラウンジ』アルバムです。5年振りベースのビル・ワイマンが抜けて4人になったストーンズとして初のアルバムになりました。
ヴードゥー・ラウンジからのシングル『ラブ・イズ・ストロング』最初に聞いたとき、すごくかっこいい! と興奮したのを覚えています。なんというかミドルテンポの曲で、バースとコーラスのみのすごいシンプルな曲なんですが、年齢的に50代になってもロックってやられるんだと言う感動みたいなものを覚えるくらいかっこよかったんですね。
PVもまさにロックの巨人と言う感じで超かっこいいです。
ただ、バースもコーラスもそんなに印象的なメロディーではなく、ヒップホップ風に言えばフックがないので、あまりヒットしなかったようです。
なので新生ストーンズの90年代は地味にスタートといった感じがあったかもしれませんが、ワールドツアーが開始されると、やっぱり世界的には話題になったようです。
そして、1995年の3月には来日公演が東京ドームと福岡ドームで開かれました。
チケットはプラチナ化、私はドームに行くことができず、自宅でテレビ放送を見るのみでした。
このときのライブは何といっても1曲目が『ノット・フェイド・アウェイ』で始まるところが印象的、『ヴードゥー・ラウンジ』と言うツアータイトル、アルバムタイトルと相まってちょっとどこかまがまがしい感じのするアフリカンなビートに興奮した覚えがあります。


■ビバリーヒルズ青春白書に登場


話はそれから3年後の1997年になります。
当時私は会社勤めを辞めて自営的にTシャツのデザインをしてシルクスクリーンで手刷りして、自分でウェブデザインもして、そのホームページでTシャツを売るというようなことをしていました。
アルバイトをしながら色々と準備をしていた時期だったかもしれません。
親しい知人がはまっていた海外ドラマ、ビバリーヒルズ高校白書/青春白書を勧められ、ビデオを借りて観ているうちにだんだん面白くなって、本放送の毎週土曜の夜が楽しみになっていました。確か23時ごろからの放送だったと思います。海外では大人気のドラマだったようでそれが日本でも放送されビバヒルなんて略してよばれたりして、海外ドラマ一般化の走りのようなドラマだったと思います。
10代後半から20代半ばまでの若者の成長を描く群像劇と言うと堅苦しいですが、若い男の子女の子のメロドラマみたいなもので、誰と誰がくっついて、別れてとかの恋愛だったり、親とのトラブルだったり、進学や就職といった悩みや、そんな日常の中で起こる事件なんかをたわいもない話なんですが、まぁ人気が出るだけあって面白おかしく演出されているんです。
日本人からしてみればアメリカの若者のサブカルチャーに触れられたのが面白かったのかもしれません。現代劇で時間がリアルタイムに進行するので、その時に流行っていた音楽やミュージシャンも登場します。最初に印象的だったのがR.E.M.の『ルージン・マイ・レリジョン』でした。もともと知っていた曲で劇中で印象的に使われていたので、その知人にR.E.M.の『Out of Time』アルバムを貸してあげたの覚えがあります。あとベイビー・フェイスが本人役で登場したり、これも知人はベイビー・フェイスがどれほどのミュージシャン、プロデューサーが知らなかったので、『テンダー・ラバー』とボビーブラウンの『ドントビークルーエル』とエリッククラプトンの『チェンジ・ザ・ワールド』を聴かせて説明しました。
その若者向けのドラマにストーンズとしてストーンズが登場。ドラマの話には直接関係ないのですが、ストーンズのライブがありそのライブを劇中の登場人物たちが観に行くということに絡んでドラムが進行し、劇中の中でもストーンズの曲が使われ、最後にはライブ会場でライブ映像で『ユー・ガット・ミー・ロッキン』が流れると言う演出でした。
ドラマはカルフォルニアのビバリーヒルズが舞台でしたので、劇中の登場人物たちが観に行ったライブは1994年10月19日、20日に行われたパサディナのローズ・ボールスタジアムで行われたライブであろうと思われます。劇中でそんな話があったかどうかは覚えていませんが...

■メンバーの写真がプリントされたツアーTシャツ


何せよ、その時のストーンズは50代にして天命を知ったかのようにストーンズのイメージを発信していたように思います。そんな50代のメンバーがプリントされたヴードゥー・ラウンジのツアーTシャツです。これは50代ロックの巨人たちの姿がいい感じです。別にかっこいいわけでは無い、どちらかと言うと商業的な仕事感の出ている写真にも思えるんですが、そこも力が抜けてていい感じに、Tシャツのプリントの味になっている感じです。
あとスポンサーのBadwiserが入っているのと、地が黒でなくネイビーと言うところが気に入って購入しました。大阪の老舗の古着屋さんだったと思います。
東京に出てからも関西は地元感覚でちょいちょい行っていましたので、昔働いていた場所であるアメリカ村の雰囲気はすっかり変わってしまいましたが、古着屋さんは相変わらず残っていてちょっと安心します。

ということで、90年代のストーンズとTシャツのお話しは次回も続きますのでお楽しみに。

■おまけの話

私が最初にストーンズのコンサート映像を見たのは、映画「レッツ・スペンド・ザ・ナイト・トゥゲザー」でした。この映画は1981年のU.S.ツアーのライブをバックステージのドキュメンタリーを絡めて撮ったものですが、何よりも衝撃的だったのがボーカルのミック・ジャガーのスタイルでした。ガリガリに痩せていて、胴が異様に長くて、衣装が何故かアメリカン・フットボールのピッタリとしたタイツにニー・パッド。ライブが盛り上がってくると、上半身裸になってクネクネと動き回り観客を煽っていました。それはとてもカッコいいとは言いがたく、正直言って気持ち悪かったんです。
キース・リチャーズもギターをぶら下げたキメのポーズが凄くて、ギターを弾いているのか弾いていないのかよくわからないし....
ただ、会場のデカさと観客の熱狂だけは凄く伝わってくる映画ではありました。
日曜の午後、テレビ愛知で放送されていた映画の番組。おそらく1985年頃のことだったと思います。

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