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シャニマス5thライブday1演出お気持ち表明勢をぶった切る会

明日が春分の日ということもあり、有給休暇を取得した優良企業社畜の皆様が続々と一昨日・昨日に行われた「THE IDOLM@STER SHINY COLORS 5thLIVE If I_wings.」(以下、シャニ5th)の感想をこのnoteにアップし始めています(私は勤務中にもかかわらずこれを執筆していますので、slackの通知に怯えながらこれを書いています)。
そして、大方の予想通り否定的な意見もちらほら見られます。そのほとんどがday1の演出にあったかと思います。
(これ以降はライブの演出についてネタバレがありますので、ご注意ください。まあ読んでいる人はライブ見た人だとは思いますが・・・)

明確に描かれたコンテンツの終わり

day1とそれ以前から行われていたSNS上での告知では、明らかに「終わり」を意識した演出が行われており、ユーザーも不安をひしひしと感じていたように思います。ロゴはぶった切られた翼、「If i_wings.」という短いタイトル、不穏な動画などなど・・・まあ明らかにユーザーの不安を煽る演出であったことは間違いないでしょう。
実際にday1が始まった冒頭から今までのアイマス周年ライブ(というかアイドルマスターというコンテンツにおけるライブ史上)にあり得なかった、とても暗い始まりでした。

ライブ中でも度々「最後」「終わり」という言葉が散りばめられており、それが明らかに283プロにおける活動、ユニットによる活動、ひいてはシャニマスというコンテンツの終焉を匂わせているものでした。
そして最後は散々SNSでも触れられていたように、「アイマスですよアイマス!」のかけ声もなく、曲とともに次々とアイドルが捌けていくだけという終わり方、そして何より本当にそのまま終わる(無慈悲な終演アナウンス)のが衝撃的でした。
言い忘れていましたが私はday1・day2両日現地参加でしたので、そのときの空気をその場でひしひしと感じています。特にday1の最後の退場アナウンスが流れたときにどよめき、戸惑いの雰囲気はなんとも言えないものがありました。みんな戸惑いながらとりあえずアイマス最高コールをしていましたが、心中穏やかではなかったことと思います。

シャニマスは5thでサービス終了予定だった説

ここで自分が感じたのは、シャニマスは5th、つまり5周年でサービスを終了する予定だったのではないかという説です。元々アイマスシリーズの新ブランドというコンセプトで始動したものですが、正直最初の1年と少し位はあまり話題になることもなく、コンテンツの展開としても厳しいものがあったかと思います。はっきり言って社内ではこの時点でサービス終了というシナリオも検討されていたのではないでしょうか。
とはいえ、新しく立ち上げた自社プラットフォーム(enza)での自社IPでの展開ですから、さっさと店じまいするのは企業としてもかなりバツが悪いです。ということで5年間のロードマップを描き、そこで一定の目標に達していなければサービスを畳むことを検討していたと考えても無理はないことだと思います。
そして幸いにして、えげつないガシャと搾取によってコンテンツは無事維持されることが決まり、一昨日・昨日の5thライブを迎えるに至ったのではないでしょうか。
これは完全に妄想の話ですが、もしこうした構想があったのであれば、day1で私たちが見せつけられた光景はまさに現実にあり得たかもしれない「IF」だったと言えます。

裏切りと不安と、その布石

ここからが本題になりますが、5thライブは簡単に言うとday1ではサービス終了のIF世界線、day2ではサービス継続の世界線(つまり現実)を描くというコンセプトであったと考えられます。なので捉え方によっては(多くの場合、今回のライブ演出に否定的な人たちは概ねそうですが)day1はday2のための布石にされてしまった、という見方が出来ます。

今回の演出を嫌っている人たちの意見を見ていると、多く聞かれるのが以下の内容です。

  • 裏切られた

  • 終わりを感じさせるべきではない

  • マイナス(負の感情)を抱かせるべきではない

  • day1しか見られない人への配慮がない

まあ概ねこんなところでしょうか。他にも色々あるでしょうが、要は「不安にさせるな」というところにあるのではないでしょうか。

人間誰しも常に幸福でありたいですし、成功し続けたいと願うものです。もちろんライブに参加した私もday1終了時にはとても不安になりましたし、ありえないとは頭で理解しつつも「一周回ってサービス終了の可能性もある」とまあまあ真面目に考えていました。なのでこれらの意見を持った人たちのことを一概に否定するというのも気の毒ではあるのですが・・・とはいえ、反対の意見というのも常に存在するのが民主主義であり、多様性であり、社会を前進させるための必須要素ですので、今回は反対側に立って論じたいと思います。

本当の意味でのコンテンツの死

批判を受けること覚悟で言いますが(といいつつ、自分の影響力の小ささもネットでそこそこ生きてきたので分かっているのですが)、今回の演出が受け入れられなかった人たちは、(ちょっと言葉は濁しますが)思考が幼くて感情的ではないでしょうか。

(以下の内容は何故か筆が乗ってしまい、シンデレラガールズへ批判的な内容になってしまいました。そんなつもりはなかったのですが・・・。
もうコンテンツを追いかけるのをやめて5年くらいは経っているので、現在を知る人から見ると見当違いな内容もあろうかと思うので消そうとも考えたのですが、一応残しておこうと思います。今のシンデレラガールズが大好きで批判的な意見は受け入れられない人は見ない方がいいので、次の章まで飛ばすか、もう読むのやめた方がいいかもしれません。)

仮に例えば今回の5thがday1もday2も過去のアイマスライブのように「これからもアイマスは続きますよ!シャニマスはどんどん先に行きますよ!」というだけであったら、彼らも安心して見ることは出来たのだと思います。が、ある程度聡い人たちは逆に不安になると思いますし、ある種の飽きを感じると思います。765やシンデレラを追いかけていた頃の自分がそうだったからです。

シンデレラガールズのライブへ最後にいったのはいつだったか、2020年以前ではあったと思うのですが、あまりライブの記憶はないものの、そのとき感じた印象は今でもはっきり覚えています。

「あ、なんか飽きたな」と。

確かに、きっと細かい部分を見れば前回のライブより進歩した部分はあったと思います。演出は磨きがかかりますし、曲の種類は増えますし、出演者のスキルも向上することでしょう。しかしアニメも終わり(今度U149はアニメ化しますが)、映画化もなく、増えすぎたキャラと変化のない音ゲーが続くだけで、コンテンツとしての賞味期限を迎えてしまったことは誰の目にも明らかです。
ですがライブでは常に、きっと今でも「シンデレラガールズはまだまだ続きます」というのを常に感じさせるようにしていることでしょう。ゲーム内でもそうだと思います。まもなくモバゲー版のデレマスがサービス終了しますが、とにかく「モバゲー版は終わるけどデレマスは終わりませんよ!コンテンツは、ブランドは続きます!」を必死に訴えているように、少なくとも外野から見ている分には感じます。

関係者の方々の努力やファンの応援もひしひしと感じはしますが、大変申し訳ないですがひとりの、かつてのファンとして、もうシンデレラを追いかけるだけの魅力はもうないように思います。地方が衰退して人口が減少するように、少しずつ、目には見えない速度で、しかし確実にコンテンツは死に向かっていっているのだと思います。もう冒険するだけの貪欲さはそこにはなく、成熟した社会が迎えるある種の死がそこに横たわっています。

翻って今回のシャニマス5thの演出を考えてみましょう。そもそもライブ以前に、ゲーム内イベントも相当に「攻めている」のがシャニマスです。特に新アイドルの追加が始まったあたりからそれは明確になりました。
一番分かりやすいのはノクチルの浅倉透と樋口円香が追加されたことでしょうか。私の知る限り、プロデューサーと昔から知り合い(を匂わせている)のアイドルという設定はいなかったように思います。同じくプロデューサーをガチで嫌っている(ここも深みがあるポイントなので、嫌っているという言葉で片付けては本来いけないのですが)アイドルというのも初だと思います。
いずれも割とすんなり受け入れられた要素ではありますが、かなり攻めている部分です。シーズも「伝統である事務員キャラ」の妹という前代未聞のところから引っ張ってきたり、病的にレッスンを繰り返す元アイドル(美琴をこういう無理解な言葉で表現するのは本来はばかられますが、ここではあえてします)などこれもなかなか攻めを見せています。

こうした攻めと同じように、今回の5thでも攻めを見せました。その攻めが「終わり」を描くことです。考えてもみてください、天下のバンダイナムコの賢い人たちがやってることで過去のノウハウもある中、あえてこういう危険な手法を選び取ったわけですから、批判が続出することもある程度想定していることだと思います。それでも今回の演出を採用したわけですから、そこには相当の覚悟と思いがあると考えるべきでしょう。
よってそうした経緯を踏まえず、無理解に「今回の演出は失敗」とか「誠意がない」と断じてしまう行為は、いささか幼稚で感情的であると私は思います。1万円ちょいするライブを見ているということは恐らくは社会人か大学生だと思いますので、もう少し冷静に物事の見方や考え方を知るべきだと思います。「何でこういう演出に走ったのだろうか?」という疑問くらいは抱いて考える癖をつけないと、あと10年もしないうちにChatGPTに仕事を奪われかねません。

ただ、裏を返せばそこまで感情移入してライブに挑めるのはうらやましくもあります。ライブは頭で理解するのではなく心で楽しむものだとしたら、私は上記で批判した人たちに完全敗北しています。どう考えても心から楽しんだとは言えません。頭で理解する方法は簡単ですが、心で理解する方法は学校では教えてくれないので難しいものです。

負の感情は悪いものなのか?

何故金を払って負の感情を抱かねばならないのか?
何故こんな気持ちにならなければならないのか?

そのご批判はよく分かります。
ですが、考えてみてください。皆さんは悲劇を見たことはあるでしょうか。

悲劇というのは古代ギリシアに成立し、現代まで続く演劇手法の一つです。つまり人間は太古の昔からわざわざ好き好んで悲しい話を見聞きしていたのです。
「いや俺は悲劇は嫌いだよ」という人もいらっしゃることでしょうが、それが人類共通の概念だったらとっくに悲劇なんて言葉は消滅しているので、少なからず世界には好き好んで悲しい話を見る変わり者がいるようです。

また、現代においても多くの作品(映画、演劇、ゲーム、ドラマ、アニメ、その他媒体は問わず)においても、シナリオ中における多少の「浮き沈み」(起承転結?)というのはあるものです。主人公に危機が訪れ、それを何らかの力を使って解決することは極めて当たり前に行われていることです。より単純な例で言えば、横スクロールアクションゲームは移動→敵の出現→こちらの攻撃→敵の撃破という、先ほどの「浮き沈み」を小刻みにひたすら繰り返す行為とも言えますから、これはとても根源的な、満足を得る行為であると考えられます。

よって負の感情を抱かせる演出というのは決して間違いではないですし、手法の一つとして採用しうるものでしょう。それが人によっては過剰に感じてしまい、不快に思ったに過ぎません。ホラー映画のホラー演出が怖すぎて不満に思うようなものです。もっと素直に、day1で地の底に落とされた気持ちをday2で救われる、ある種のカタルシスのようなものを感じることが出来れば、それは大きな感動体験として得られたことでしょう。

攻めなければ生き残れない

SNSの登場、情報社会の進歩によりコンテンツの消費速度は加速度的に上昇し、人類は過去にないほどのスピードで情報を得ては消費しています。ついこの間まで日本中で回転寿司の醤油差しを鼻に突っ込んだりして発狂していた人たちは、WBCの試合を固唾をのんで見守り、マスクを外す外さないで揉めて、上野公園で花見をしています。
そうしたスピード感の中、もはやソーシャルゲームコンテンツは1年先どころか半年先も分からない世界です。出所のよく分からないソシャゲが中国あたりの謎マネーで大量に買われた広告枠にガンガン配信され、次々に新しく生まれては死んでいきます。

そういった過酷な環境の中で、シャニマスは尖ることで生き残りをかけてきました。
あえて周年ライブで終わりを描き、カタルシスを与え、未来への展望を見せました。ここで終わりを描いたことで未来の形をはっきりさせる効果が私はあったと思います。良くも悪くもSNSで話題になることで人びとの耳目を集めることにも成功しました。
私は以前広告業界にいたのですが、広告においてインプレッションは非常に重要で、まずは客の目に入ることがスタートになります。少なくとも、誰かに見てもらわないことには知ってもらうことすらかないません。

シャニマスはサービスローンチ直後から登録してやっていましたが、サービス開始からノクチル加入前後くらいまでが一番コンテンツとしては厳しい時期でした。ぶっちゃけ私もその頃はすぐ離れてしまっていました。ストレイライトの実装など大きな動きはあったものの、内部的なものでありインプレッションを増加させる施策ではないからです。その頃からすでにシナリオなどはいいものが出てきていたものの、認知(インプレッション)が増えずに知る人ぞ知る状態です。
その状態から一気に引っ張り上げてくれた(私も含めて)のがにじさんじ所属VTuber月ノ美兎委員長でした。

(手前味噌ですが記事を貼っておきます)

こうしたインフルエンサーによるシャニマスの「再発見」は、恐らく運営サイドにとってもあまり予期していなかったのではないでしょうか。これ以降、「#283をひろげよう」などのSNSを積極的に活用する施策がみられるようになり、大きな転換点となりました。

こうしてなんとか一命を取り留め、着実にユーザー数を増やすことに成功したシャニマスですが、さらなる差別化を図る必要性に駆られることになります。
そもそもがアイドルマスターシリーズの1つである以上、他のシンデレラやミリオン、sideMなどとの差別化を図らないと新規参入であるシャニマスは生き残ることが出来ません。逆にコンセプトをかぶせてしまうとカニバることになって目も当てられません。そもそものスタートがブラウザゲームということもあり、シャニマスはAppleやGoogleへの納税義務が必要ないプラットフォームが使えるという利点から他のブランドよりは利益を出しやすい構造のはずです。そこでブラウザゲーム故のゲームシステムの縛りから思い切ってゲーム性はある程度諦めた上で、シナリオ、演出、キャラの掘り下げに全振りで特化させることにしました。

以上の流れから、シャニマスは他ブランドとも比較して尖った、攻めた演出をせざるを得ないですし、ユーザーもそれを求めている人たち(プログレッシブな人たち)が残りやすいと考えられます。
day1をまるごとday2の布石に使う演出ですが、それもこの尖りの部分でしょう。確かに多くの批判にあるとおり、day1だけしか見られなかった人たちはその真意を理解できずに困惑することになります。しかし現在はライブ配信およびアーカイブで視聴することが可能になっており、よほどの事情がない限りは解消する手立てがあります。

思い返してみれば、day1が終わったおおよそ2023年3月18日 19時10分くらいから2023年3月19日 17時00分くらいまでの21時間50分に我々が抱いていたあの感情は、あのときしか感じることが出来ず、また二度と手に入ることはない感情でした。あと名前もついていません。たぶん。
辛く苦しい時間ではありましたが、あのライブ演出がなければこうした感情を得ることはなかったでしょう。苦さや辛さがあるのもまた人生の醍醐味ですから、シャニマスはやはり人生なのかもしれません。

まとめ

総括すれば、今回のライブ演出はそのプログレッシブさ(革新、進歩)が強く出過ぎて、ついて行けないと感じてしまう人が出てしまったのだと思います。

これを好意的に捉えるか批判的に捉えるかは、各々の考え方によるものですから、ライブを見たそれぞれが感じるままに表現行為を行うことがひいてはコンテンツを盛り上げることにつながることでしょう。
ですが運営のこうしたチャレンジングな姿勢自体を批判することは私は違うと思います。批判を受けること覚悟で斬新な方法を試すことはよいことだと思いますし、私はそれをできる限り好意的に受け止める側でいたいと思います。コンサバティブな思想で「アイマスはこうあるべき」という姿勢を求めるのであれば、他のブランドを見ていた方が幸せになれると思います。しかし、他ブランドへ移住することは、確実に訪れる緩やかな死を見届けることになります。その覚悟があるのでしょうか。私にはありませんでした。ものすごく久々にログインしたモバゲー版デレマスの画面から漂う本当の終わりの匂いに耐えられず、私はブラウザを閉じました。やはり終わりは怖いものです。

私は過去を振り返りながら未来から目を背け、優しい死に抱かれるより、傷ついて倒れても立ち上がって未来へ進むことが出来る、プログレッシブな方を選びたいと思います。
あなたは、どちらを選びますか?

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