見出し画像

あなたは嘘をついている

 あなたは他人の詩や記事を読みますか?私はけっこうな量を読んでいます。それはネット詩で鍛えたので。特に知人でも友人でもない他人の作品を私は7年間読み続けた。多い時には月に200作品。他人の作品に書いたコメントの数は2,300コメント。なかには3,000文字を超えるものもあったし、かなりの長文コメントを深夜に書いていて、数時間を費やした後に「このコメントはなんか違う」ってなってコメント送信せずに消すことも幾度もあった。自分で言うなよだが、言うと、真剣に熱心に楽しみました。詩が好きじゃないのに、です。

 もはや終わったことだし、そもそも、作品もコメントもすべてを古き良き思い出にするために私はビーレビを爆破(完全削除)するつもりでいたのだから何も言えんが、外的要因によって自作品にもらった読者のコメントが消される。それはあり得ることで、なんちゃらブログサービスが終了しますってなれば問答無用で消えることは当たり前にある。ところが作者自身の「政治的な主張や気分」で読者が熱心に書いたコメントを消すというのは創作、表現者として致命的な「何かを失う」ことになるだろう。
 いや、言うまい。ただ私は大嘘つきだけれども、あなたも嘘をついていると、そう思う。今回、過去作品からnoteに移管する作品は表題にしてある「あなたは嘘をついている」。  

 この作品もそうだけれども、作品よりもコメント欄の方が、面白いよ。

追記
詩の投稿掲示板についての知人の記事を読んでいたら思い出したので、ついでに書いておこう。現代詩のことは全く無知ではあるけれども、詩の投稿掲示板については全てを知り尽くしたし、肝要なことが何であるかは実体験として血肉になっている。詩の投稿掲示板が盛況になるか否かは他人の作品へコメントする人間がどれだけいるのかがすべて。それ以外ははっきり言ってどうでもいい。ビーレビを覗いたが、コメンテーターが以前よりも多勢。これが全てである。ちなみに、このコメントの数以外に盛況さを出す代替えの仕組みが作れないものか、かなり試行錯誤したが、結果として、赤の他人の作品を読んでコメントが書ける人間を増やす以外にはない。偉大なる実験結果ではないか。

          *

セックスに意味があるとして
意味を語るとすれば
理性による認識の無意味さを述べてしまう
そして
あたしたちが書いてしまう詩というやつは
いつもパラドックスだ
誰かの詩を読み
もしもあなたが誰かに
共感するというのであれば
あなたは嘘をついている
無意味さに
共感という接点は用意されていない
それでも共感していると
断言するのであればあなたの触感と
その言葉にする回路は
正常に機能していない
錯覚を共感という言葉で
騙っているに過ぎない

エクスタシーの語源は
エクソダスにあって
セックスとは
あたしと君への
レクイエムを伴う光
出獄の朝に浴びる光にこそ
到達する場所、詩があるんだよ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?