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ミステリーについて、考えても見なかったこと

  メンタルの不調に怯えながらも、本は読み続けています。最近は図書館に通い倒しているから、いろんな海外文学に触れられて楽しいです。意外と、ロシアやドイツ文学が読みやすいなと気がつきました。 

 私はミステリーが好きです。「ミステリー好き?じゃあ○○は当然既読だよね!?」と迫ってくるのはやめてほしい、結界を張りますよ。
 ミステリーの好きなジャンルとして「安楽椅子探偵」というのがあります。現場に赴かず、安楽椅子に腰かけながら提示された情報だけで事件を解決してしまう探偵物のこと。私が初めて読んだ「安楽椅子探偵」は(あくまで私の解釈による分類ですが)パット・マガーの『被害者を探せ!』です。すごく面白い。今は図書館で『隅の老人』を読んでいます。
 安楽椅子探偵のどこが好きって、限られた情報で魔法みたいに謎を解いてしまうこと。現場に何度も立ち直って検証していくタイプの探偵は、理屈というより現場で得る雰囲気を肌で感じて考察していく印象が強いし、そこの描写で文学性を付与している印象があるけれど、安楽椅子探偵は全くそれがない。時間、人物、場所、離れた場所にいながら聞いた情報だけで機械的と言っていいくらい淡々と犯人を絞り、言い当てる。先入観の無い、まっさらで高度な頭脳が働くさまをみるのは、とても爽快です。感情ではなくシチュエーションだけでくまなく構成されている。一つのコンセプトに没頭できる、贅沢な気持ちにさせてくれるのです。ニンニクオンリーの炒飯のように。

 さて、ある晩私はこの安楽椅子探偵の魅力を母に語って見せました。「離れた場所から魔法みたいに事件を解決しちゃうんだよ!」というと、母は洗濯物をたたみながらひねくれた顔でこう言い放ったのです。
「ふーん、でも離れた場所で勝手に言ってるだけなんでしょう?あってるかわからないじゃない」
 衝撃でした。なんでそんな夢の無いこと言うの!というショックと、探偵が言うことが本当かどうかなんて考えてもみなかった、というショックです。私はミステリーを読む時、探偵と競うように謎解きに勤しみません。謎が提示され、解かれていくさまをなぞるのが好きだから。そのせいもあるのかもしれません。ミステリーにおいて、探偵が言うことは絶対正解。探偵以外の発言は疑うけれど、探偵の言うことだけは信じます。だって探偵なんだもん。

 世のミステリー好きはどうなんでしょうか?探偵の言うことを疑う必要のあるミステリーなんて・・探偵が実は犯人でした!っていう本を壁に投げたくなるような展開のもの以外で存在します?
 それとも、私が「疑わない読書」をしているだけで、世のミステリー好きのなかには探偵の言うことも積極的に疑っていくスタイルの人も多いのでしょうか。将棋で負けても悔しくないタイプ、ミステリーで騙された方が満足できるタイプ、皆さんはどんなタイプですか?

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