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体調がイマイチなときにこそ、メンタルを勇気づけてくれるものに触れたい

タイトルが長くなってしまったけれど、これはもう、そのまんま、私を勇気づけてくれたものの話。


ここのところまた微妙に体調を崩している。
季節もあるだろう、年齢も、外的ストレスも、運動不足も、理由はいくらでも思い浮かぶが、実行可能な改善策はとんと浮かばない。
そんなわけで、毎日、ドカンとなにかがあるわけじゃないのだけれど、スッキリ元気とはだいぶ離れた場所で、ぼんやりと過ごしている感じだ。

そんな中、読んでいた本がとても好みで、なおかつ、あとがきにはもう、「わかる!」「わかりすぎる!」なエピソードが書かれていて、優れない体調をも底上げしちゃうくらいに、幸せな気持ちになった。

これがときどき耳にする、メンタルが爆上がり、というやつだろう。自らの俯瞰を気取って自己分析しても、ニヤニヤできるくらいにいい感じ。

読んでいたのは、吉田篤弘さんの「中庭のオレンジ」という本だ。

本自体は、ふんわりとした短編小説集で、1話1話を読み終わるごとに気持ちが旅をしてしまって(もちろん良い意味。すごく楽しい心の旅が始まってしまう感じ)、読み終えるまでにとても時間を要する本だった。読後の旅を楽しみながらゆっくり読むことをオススメしたい種類の一冊になった。

そういう読書に慣れない、または、吉田さんの小説を初めて読む、という方には、この本は、あとがきから読んでみたらどうかしら、とお伝えしたい。
物語には終わりや答えがない。途中から始まり、途中で終わる。そういうふうに思っている、ということがあとがきにある。私がとてもステキだな、と思う部分、吉田さんの作品の秘密、みたいなことが書かれている。

小説もとてもおもしろかったけれど、私はこのあとがきに、とてもとても惹かれた。幸せな気持ちにしてもらったし、私のことを肯定してもらったと思う。


「どうして途中で終わっているのですか?」
「続きは?」

何度言われたことだろう。私の書いた小説について。

そうね、まだまだあの世界は続いていくだろう。でもそれは決まったことじゃない。
続かないかもしれないのだ。あっちへ、そっちへ、こっちへ、あの世界はまた現れるかもしれないし、現れないかもしれない。そこは私にはわからない。

その先を、私の中にたくさん見せてくれているものもあれば、そこから先はどうだろうねと疑問を投げかけるもの、ここで終わろうと宣言されるもの、私がそうしたいと感じるもの、いろいろある。だから個々の作品の終わりは終わりであって、その時点でその先を書くことは考えていない。途中ではないし、続きもない。

けれども、言っていただくことが多い。途中だ、続きはいつか、と。

そういうふうに思ってもらうのが悪いというのではないよ。読んでくれた誰かに、好きなように考えてもらえるなにかを残せたらうれしいと思っている。

けれど、あまり言われ続けると心配になってしまう。これは質問ではなく指摘なのかもしれない。書き方がまちがっていると言われているのかも。楽しめないと言われているのかも。

ネガティブはネガティブを呼び、このままではだれにも届かなくなってしまうかもしれないのでは、と落ち込む。
今の私の作品を好きだと言ってくれる人が、楽しみにしてくれる人が、心の同類がいると、実際にそう言ってもらって知っているのに、それがわからなくなってしまう。

やがてそういう気持ちは、直接誰かになにかを言われたときでなくても、頭の中をめぐるようになる。体調が悪いときなんかはとくにそうだ。考えるとなく思い出して、気持ちが塞いでしまう。


ここのところまた微妙に体調を崩している私は、スローになる創作の進捗を発端にして、またもやネガティブの渦にはまり始めていた。そんなときに、読んだのだ。吉田篤弘さんの「中庭のオレンジ」を。

わかるーっ、と喜び、幸せな気持ちになり、つまらなくなっていた日常に、好奇心がムクムクと湧いてくる。心なしか、やってみようかな、という気持ちに押されて、身体にも油が注されたようだ。

やっぱそうだよ、体調がイマイチなときにこそ、メンタルを勇気づけてくれるものに触れたいね!
自分を勇気づけてくれるものに出会いたいね!
心からそう思ったよ。

ついでに、ご機嫌リスト、ご機嫌の種となりそうなこと・ものリスト、作ってみようかな。
寝るでも、愚痴るでも、手帳を書くでも、なんでもいい。書き進められない書きものや、なかなか読み進められない読書や、気が乗らない体操なんかからいったん離れることを恐れずに、できることでご機嫌になろう。

今、そういう心境です。


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