ノートの右ページにのみ書く
私のマゾムとマンサク、メソッドについて、を書くエッセイ。
捨ててしまえないガラクタとひらめき、あくまで私が快適に暮らしていくためのメソッドを書く。
さて、今回はメソッドのお話。
手帳が好きだ。事実も創作も、紙に書いているとき、幸せな気持ちになる。なんだかんだと書き付けているので、いつの日にか、手帳の書き方についてのメソッドを確立できたらいいなぁと企んでもいる。
とはいえ、ここのところ、書きものに行き詰まり感をおぼえる。
書いている、そのいっときは楽しいのだけれど、先が続かなかったり、思考が広がらなかったり、その場限りみたいになってしまうことが多いのだ。
ただ書いているだけ。それもまあ、悪くはないのだけれど、ずっと続くと物足りない。
なぜだろう。使い方がまずいのか。
今の状況なり、気分なり、に合った使い方になっていないのか。
楽しく、大胆に、それでいて有効的に、手帳を使いたい。
そこで、これまで満足してきた手帳って、どんなだったかしら、と考える。どんなノートが好きだった?
一番に思い浮かんだのは、高校生のときの古典のノートだ。書いていて楽しく、わかりやすく、テストの前にはとても役に立った。
たしか、授業初日に先生から、こんな風にノートを作ってみてほしい、みたいな感じで教わったのだと思う。
いわゆる大学ノートを、横罫が縦になるようにして使用。古文や漢文の本文を書き写すのだけれど、前後二列が空くようにして書く。
本文すぐ左の一列には現代語訳を書いていく。
右側の二列は、すぐ右にふりがな、その右には主語述語や修飾を説明する記号などを書くときに使用する。
残る一列は余白、何も書かずに空けておくが、どうしても必要があれば何か書いてもいい。そういう使い方だった。
この方法を教わって、私は古典のノート作りが大好きになった。
授業の前日に、たっぷりとスペースをとったノートを作る。書き写すのはとても楽しい。授業中に説明や教わったことを書き加えて、ノートを完成させていくのもおもしろい。結果、古典の予習も授業も大好きになった。
そうだ、ああいう書き方の手帳やノートがあるといいかも。
ある程度定型で書くことに頭を使い過ぎず、紙に余白を持つことで気持ちの余裕も作っておく、みたいな感じだろうか。
今の手帳類は思いつきでその時々好きなように書いて、後から調べたり考えをまとめたりが難しい仕様になっているのかも。それこそ、書く場所がなかったり、パッと見ても必要に気づけない乱雑さだったり。
そして日々、大忙しなわけではないのに、時間がないと感じてばかりだ。
シンプルで余裕を持つ雰囲気を作りたい。手帳も暮らしも、余白は多めがいい、ただし日付に縛られず。
そういえば、創作用のノートは、右側に少し余白を空けておいて、後から書き足しができるようにという使い方をしていたはずなのに、いつのまにか右の方ばかりが埋まっているみたい。
もしかして単純に紙面の右の方が書きやすいのかもしれない。
大好きなロルバーンのようなリングノートは、左側のページに書くときって、リングが手にあたって書きにくいものね。
裏写り対策としておもてページだけ書く、ってするみたいに、見開き右のページにだけ書いて、左はまるっと余白、書き足しのためのページにしてみようかしら。
というわけで、今回は、メソッドにしたいことの思いつきの回、というのが正しい言い方だね。ひらめきという意味で、マンサクの記事にしても良かったのかも。
とにかく、あくまで私が快適に暮らしていくためのメソッドに加えるべく、今日のこの新たなひらめきを実践してみようと思う。
ノートの右ページにのみ書く。
さてさて、どのノートでやってみようかしら。
新しい手帳、買ってもいい?
むむん、これはただ、手帳が欲しくて思いついたというだけなのでは?
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