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【お試し読み】可能性の花(中編小説)


先日発売になりました、KDP最新刊、「可能性の花」のお試し読みです。


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 本気で祈りながら歩く。

「あんなところのヤツらなんて、全員地獄に堕ちてしまえ」

 バカバカしくてたまらなかった。いったい今までなにをしてきたんだろう。悔しくて悲しくて涙が出そうだった。

 今朝、始業開始のベルとともに電話が鳴った。

「これからお伺いします」

 ミヤコの都合を訊ねることなく、派遣会社の営業担当はそう言うと、昼過ぎにはミヤコを訪ねて来た。

「こんなご時世ですし、ご希望に沿えずすみませんが」

 朝の電話とまったく変わらぬ調子で淡々と、営業担当はミヤコの契約の終了を告げた。

「そうですか」

 それだけ答えるのがやっとだった。他になんと言えばいいのか、わからない。

 営業担当が口にした話の内容は頭に入ってきたし、意味もわかったけれど、到底納得はできず、了解したわけでもない。それでも、たとえミヤコがイヤだと言ったとしても、終わるものは終わるのだ。こちらから話を覆すことはできない。

 正社員ではなく非正規雇用の派遣社員なのだから、こういうことがあるとわかってはいた。ただ、これまで四年も、一生懸命続けてきたのだ。ミヤコが中心になってまわしている仕事もある。来週から来る新人さんの教育だって任されている。そういうこともあって、まさかこのタイミングで辞めることになるなんて、ミヤコは想像すらしていなかった。

 ショックだった。目の前が真っ暗になるというのは本当だと思った。気持ちは沈み、景色まで、もやがかかったようにぼんやりとして見えた。

 目の前の信号が点滅し始めたのが見える。信号は輪郭のはっきりしない光りのかたまりと化し、今にも消え入りそうな希望のようにも思える。止まりたくはなかった。今ここで止まってしまったら、もう再びは歩き出せないような気がした。

 ミヤコは呪いの言葉を唱えるのを止め、歩くことに集中した。足を早めて交差点を抜け、そのまま突進して人混みに飛び込んでいく。早足は駆け足になった。駅に入り自動改札を一気に駆け抜ける。なにも考えず、ただ人影だけを避けて風を切った。

 ホームのいつもの位置まで来てやっと立ち止まると、ミヤコはふうっと息を吐いた。心臓はバクバクし、薄手のコートを着た背中はうっすらと汗ばんでいる。

 普段ならばズンズンと歩き身体を動かすと、多少のイヤなことはどうでもよくなる性質なのだけれど、今日はまったく効果がなかった。考えてみれば当然だ。多少と言えるくらいに小さな出来事ではない。期間満了で契約終了。そう言えば聞こえはいいけれど、ただのクビだ。ミヤコは会社から、これ以上必要ないと判断された。必要のない人間なのだ。

 ホームに立つミヤコに虚しさの影が追いついてきた。本当になにをやっているんだろう。

 悔しくて悲しくて涙が出そうになる。泣きそうだと思った途端に、肩に掛けたトートバッグがずんと重くなった。ちがう、肩だけじゃない。背中も腕も、信じられないくらいに重かった。すっかり履き慣れているはずの靴が急に窮屈に感じられて視線を下げると、足はコンクリートに埋もれて見える。

 そんなはずはない。瞬きをしてもう一度、足元を見直す。そこには少しくたびれた茶色い革靴を履いた、女性にしてはちょっと大きめのミヤコの足があるだけだった。

 なにもかも、失ってしまった。

「大袈裟なことを言っちゃって」

 そう思われてしまうかもしれないけれど、ミヤコは実際そう感じていた。自分の意思でやめるのではなく、やめさせられる。習い事でも遊びでも、そんなことはこれまで一度だってなかった。ミヤコの気持ちはおかまいなしに決められる。ミヤコのことなのに、ミヤコ以外の誰かに勝手に決められてしまう。ミヤコにはどうすることもできない。

 次の仕事は見つかるだろうか。就活のことを思い出して、さらに気が滅入った。また何枚も何枚も履歴書を書き続けるのか。来るのか来ないのかわからない連絡を、じっと待ち続けるのか。躓くたびに、自分をまるごと否定されたみたいな絶望感を味わわなければならないのだろうか。

 なんのためにがんばって働いてきたのだろう。今さらまたこんな思いをすることになるなんて、すべてが無駄だったとしか思えない。この四年間、ちがうそれだけじゃない、ミヤコがこれまで過ごしてきた人生に、意味はあったのだろうか。

 本当になにをやっているんだろう。ミヤコは自分が呆れるくらいにバカバカしいと思えて、ため息がでた。ぎゅっと目を瞑る。

 目を開けたところで、音がしていることに気付いた。電車の到着を告げる警笛だった。いつもはいきなり聞こえてビクっとさせられる耳障りな電子音も、今日は遠くのほうで鳴っているみたいにしか聞こえない。すぐに電車が視界に入り、冷たい風がホームへ流れて来る。

 ミヤコの汗ばんだ背中がゾクッとした。身体も心も寒くて凍えそうだ。どこかへ行きたい。カフェでもコンビニでもいい、どこか暖かい場所に入りたい。ミヤコはそう思った。

 思っただけで実際にはどこにも行けなかった。なにも思い通りになんてならない。ミヤコに許されるのはただ目の前でドアを開いた電車に乗り込むことだけだと思った。これからどこに向かうのか、行き先はわからない。そんな感じがする。

 ドアが閉じ、冷たい風が避けられるようになっても、寒々とした未来への不安はミヤコの中を吹き荒み、止む気配がなかった。


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