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巻末付録【モトの話①~④】の内容 ダイジェスト版(セカイのトリセツ)

★☆モトの話①:入門編☆★

◆『モト』とは何か?

  • 『モト』とはココロの材料にあたるツブツブ(粒子)である。

  • ココロというものには「モトの集まり」という『実態』がある。

  • モトには個数があるので「ココロには【量】がある」と言える。

  • モトには「注目すると、そちらに飛んでいく」という性質がある。

  • ココロという器官は、モトの量が減るとネガティブな、増えるとポジティブな「気持ち」(=感情)を出す機能を持っている。


◆『モトあつめ』とは何か?

  • モトは二つの方法で「増やせる」。能動的にモトを増やすことを『モトあつめ』という。

  • 一番目のモトあつめ……他者に注目される(他者から奪う)。

  • 二番目のモトあつめ……自分のココロで生み出す。

  • 人は常に『モトあつめ』をしようとしている。あなたも、あなたの目の前の相手もそうである。大抵の場合は『一番目のモトあつめ』(奪うモトあつめ)をする。カンタンだからである。

  • モトは「消滅する」こともある。何かに注目したとき、対象に受け取られなかったモトは、この世から消えてなくなる(仕組みはエキスパート編で)。

  • 一人でいると寂しくなるのは、モトがどんどん「消滅」しているから。だから人はモトあつめをしたくなる。


◆『好き嫌いゲージ』について

  • ココロは「自身のモトの量」を常に【好き嫌いゲージ】で測っている。

  • 好き嫌いゲージの「針の動き」と「針の指す位置」によって、ココロは感情を出す。

・喜び……針が半分より「好き」側に上がっている
・悲しみ……針が半分より「嫌い」側に下がっている
・嫌悪感……カラダが得た情報により針が「嫌い」側に下がった
・怒り……針が素早く「嫌い」側に動いた
・恐怖……針が「嫌い」側ギリギリまで下がっている
・驚き……針が急に「どちらか」の方向に動いた

  • 感情というのは結局、モトあつめのために『ココロが出す命令』である。


◆『三つのパーツ』について

  • 感情はココロから出るが、思考は【アタマ】から出る。

  • 人間は【三つのパーツ】からできている。ココロ・カラダ・アタマである。

  • 感情が出てくるまでには、カラダ→アタマ→ココロという『情報の流れ』がある。

  • 『ABC理論』という心理学のテクニックを応用して、これを上手に説明できる。

  A(Activative event)=出来事(カラダが見た・聞いた・触れた)
  B(Belief)=信念(アタマが「それが何か」考えた)
  C(Consequence)=結果(感情)(ココロが気持ちを出した)

  • 『ABC理論』を使うと、僕たちの感情をうまくコントロールするには【アタマ】が重要であると分かる。

  • 逆に、ココロを意思で直接コントロールすることができないことも分かる。アタマとココロは「別の器官」だから。

  • この区別かつかないため、僕たちは「アタマこそが私である、カラダとココロはそのしもべである」という【大いなる勘違い】をしてしまう。

  • 「アタマとココロのケンカ」である【大いなる勘違い】に気づけば、自分自身への悩みの大部分は解決する。

  • アタマにある「信念」には、自分自身で気づいていないことがある。それをひもとく鍵は『習慣』である。


◆モトと『世界の本当の姿』

  • 三つのパーツのうち【カラダ】というものは、この世界で動作や存在をするだけでなく、実はモトだけでできている世界の『境い目』として機能している。

  • モトは実は『素粒子』である。素粒子とはこの世界の最小単位である粒子。

  • すべての物体は素粒子であるモトの集まりであるし、僕たちのココロもまたモトの集まりである。だから『境い目』なんか本当はない。

  • この「境い目のない世界」で、「私」と「私でないなにか」を分けている『境い目』がカラダである。

  • だから、僕たちは本当は「自分とはどこまでか」を自分で決めていい世界にいる。これに気づくことができれば、世界の見方が変わるかもしれない(これはエキスパート編の内容)。

★☆モトの話②:初級編☆★

◆単純な『モトあつめ』の例

  • 動物の餌やりが楽しいのは「こちらに注目している動物からモトが飛んでくる」から。

  • モトが増えると嬉しくなる、という『一番目のモトあつめ』の典型が動物の餌やりである。

  • 鳩の餌やりがやめられない人は、このときの「モトの増加中毒」になっているから。

  • 赤ちゃんの泣き声を聞くと注意がそちらに行き、赤ちゃんにモトを取られる、という現象が起こる。赤ちゃんの泣き声が苦手な人は、このときのモトの減少で好き嫌いゲージが下がっている人である。

  • 逆に「心配になる」「世話をしたくなる」人もいる。それは「その後上手に赤ちゃんを世話すると『二番目のモトあつめ』が始まる」ことを経験的に【アタマ】で理解しているから。


◆『二番目のモトあつめ』の例

  • コンサート会場では、異様な熱気に包まれる感覚を覚えることがある。これは「大勢が一度に『二番目のモトあつめ』を行っている」から。

  • 演者に注目することで演者にモトが集まり、演者が「輝いて見える」ようなパフォーマンスをして、見ている方もさらに「ココロが震える」ような体験をする。これが『二番目のモトあつめ』で全体のモトが増える、という現象。

  • 一方で、家で一人でコンサートのビデオを見ていても「感動する」体験をすることがある。これは人間の脳の「ミラーニューロン」がコンサートの体験を「想像」して追体験することで、その場で『二番目のモトあつめ』を一人で行うことによって、その場のモトを増やしているから起こる現象。

  • このように『二番目のモトあつめ』でモトを増やし合うような現象を【良いモトの循環】と呼ぶ。良いモトの循環をいかに起こすか? が良い人間関係を結ぶカギとなる。


◆モトを奪う人への対処

  • 人(含む生き物すべて)は、何も考えていないと『一番目のモトあつめ』をしようとする。簡単だから。

  • 【良いモトの循環】を意識的に行うか、薄々そういうものがあることに気づいて実践している人以外は、習慣的に他者へ『一番目のモトあつめ』を仕掛けるものである。

  • 『一番目のモトあつめ』を行う方法はとても簡単で「気を引く」だけでよい。大声で怒鳴る、暴力を振るう(またはそのふりをする)、そんなことでも「ココロにモトが入ってくる」。

  • こういう人に出会ったら、自分の【モトの量】を減らさないように行動することで、身を守れる。

  • 一番いい方法は「距離を取ること」。こちらの姿が見えなくなると、相手はモトを取れない。付き合い方で距離を取るのも、物理的に遠くへ逃げるのも、どちらも有効。

  • こちらがモトの【量】をたくさん持っていて、圧倒的な力で相手を打ち負かすことができる状態なら、対峙しても良い。そうでないなら、いったん逃げて自分のモトの【量】を確保する必要がある。

  • 特に、こちらが弱いことを見越して暴力を振るう相手からはすぐに逃げるべきである。ココロには【モトの量】という限界があるから。


◆モトを奪う「自分のクセ」への対処

  • 自分の「奪うモトあつめ」を変えたいなら、まず自分の「クセ」に自分で気づくところが出発点。気づいてさえいれば、自分を変えるチャンスはある。

  • ヒントは「習慣」。習慣は「アタマが『自動的に』生活をする機能」だから。この「無意識の習慣」の中に「自分のクセ」が隠れている。

  • 習慣を変えるときは、入門編の『ABC理論』が参考になる。自分の中にどのような『B(信念=考え方のクセ)』があるかを自分で分析することができたら、そこを変えれば良いと気づく。

  • 特に、無意識に『一番目のモトあつめ』をやっている自分に気づいたとき、これを「やめる」ためにはこの【アタマ】の働きを変えるしかない。

  • ここを変えるためには『二番目のモトあつめ』のほうが、『一番目のモトあつめ』より「たくさんのモトが手に入る」と【アタマ】で気づく必要がある。赤ちゃんの世話をしたくなる人の【アタマ】がそういう「計算」を(無意識に)していることを思い出すといい。

  • ココロはモトの量に対して「ケチ」なので、より増える方をやりたがる。【アタマ】が『二番目のモトあつめ』の良さに気づいたら、ココロは必ずそれについてくるようになる。こうして新しい習慣を身につけることで、自分のモトあつめは少しずつ変えられる。


◆カンジョウのメカニズム『怒り』

  • ココロはカンジョウを出すパーツなので、二番目のモトあつめをやるためにはこの「カンジョウ」に着目する必要がある。

  • 分かりやすく、コントロールしづらい感情は『怒り』である。

  • 『怒り』が出るメカニズム……【好き嫌いゲージ】が急に下がったことを検知したココロがアタマに「相手からモトを取り戻しなさい」という命令を出す。アタマはこれを受けて、けわしい表情で大きな声を出し、ときに暴力を振るうことで相手に「強制的に注目させる」行動を取る。これが怒りの正体である。

  • この仕組みをよく見ると、怒りを感じている者はもれなく『何かを守ろうとしている』ことが分かる。

  • 怒りとは『防衛反応』である。

  • 自分が『怒っている』ときは『自分が何を守ろうとしているのか』を【アタマ】で冷静に考えると、その怒りをしずめやすくなる。

  • どうしても怒りが静まらないときは「テンカウント法」を試すとよい。

  • 怒っている相手と対峙するときは、相手が『何を守ろうとしているのか』を観察すると、なだめやすくなる。

  • 相手が怒りをしずめてくれない場合は、一度逃げたほうがいい。自分のココロのモトの量が一方的に減るから。


◆カンジョウのメカニズム『恐怖』

  • 『恐怖』が出るメカニズム……【好き嫌いゲージ】が「嫌い」側マックスまで下がっている状態が『恐怖』。

  • 恐怖を感じると、その場から逃げる・目や耳をふさいでしゃがみ込む・声を出して助けを求める、という行動を取りたくなる。これらはすべて「ココロからこれ以上モトが出ていかないようにする」ための行動。

  • 恐怖の対象が目の前にあるときは、まず「逃げる」べし。ココロのモトの量が少しでも回復すると、恐怖は和らぐ。

  • 恐怖の対象は「見つめると消える」。これは「よく観察して、相手の本質を見極める」という意味。

  • ココロにモトの量がある程度保てている状態で、恐怖の対象を「見つめる」と、相手が「何をしようとしているのか」が『理解』できることがある。こういうふうに相手を『理解』することで、恐怖は克服できる。

  • キッチンに出没する平たくて黒い昆虫(イニシャルGと命名)が『怖い』のは、相手が自分より「弱い」という観察が「できていない」から。「見つめる」と相手が自分より圧倒的に弱いことが分かるはず。

  • 特に『怒り』をあらわに迫ってくる『相手』は「何を守ろうとしているのか」が理解できると、こちらの「怖さ」が薄れる。

  • 『恐怖』の状態のときは、ともかく自分のモトの量を「減らさない」「回復する」ように努めるべし。相手と対峙するのはその後。


◆カンジョウのメカニズム『寂しさ』

  • 『寂しさ』が出るメカニズム……ココロが持つモトの量は、一人でじっとしているとじわじわ減っていく(いろいろなものに「注目」するから)。こうして【好き嫌いゲージ】が半分を切ったときの悲しい気持ちが『寂しさ』。

  • モトというものは「消滅」することがある。こちらが注目したもの(壁のポスターや自分の想像など)がモトを受け取らなかったら、単純に消えてなくなり、ココロが持っている量が減る。

  • 寂しいときは、誰かと話したり一緒に過ごしたりしたくなる。これは相手からモトがもらえることを期待しているから。

  • 相手からモトを奪うと、相手のモトが減って相手は不快感を抱く。これが『一番目のモトあつめ』。寂しいときはなんとなくちょっかいを掛けたり、一方的に話しすぎたり、欲しがってもいない物をあげてしまったりと、相手のモトを奪いがちになる。

  • ここで『二番目のモトあつめ』を意識的に行うと、寂しさは消え、そして相手のモトも増えてWin-Winの関係になれる。

  • 自分の「かまってちゃん」のクセを治すコツは『遅らせツール』。まず相手の話を聞いてあげて(自分の話がしたい気持ちを「遅らせる」)、相手に少し「自分のモトを分けてあげる」ことで、スムーズに【良いモトの循環】が始まることがある。


◆カンジョウのメカニズム『心配』

  • 『心配』が出るメカニズム……将来のことや、今別の場所で起こっていることを【アタマ】で「想像」することで、その「想像」にモトを飛ばすことで自分のココロのモトが減る。このとき【好き嫌いゲージ】が下がると『心配』の気持ちが出る。

  • 人間の脳にはミラーニューロンで「想像」したことにモトを飛ばそうとする働きがある。手紙や電話、録画した映像でモトを増やしたり減らしたりする『仕組み』があるということ。

  • 同じ仕組みで「過去」のイヤなできごとの「思い出」にモトを飛ばすと『後悔』が出る。

  • 心配や後悔は、今ではない時間・ここではない場所を「想像する」ときに出るマイナスの気持ち。だから「やめよう」と【アタマ】で決めてやめるしかない。

  • それがどうしてもできないときは、モトの構造から考えられる「時間とは何か?」という話を理解するしかない。上級編の「未来はすでに存在する」「過去は変える必要がない」という話をよく読み、その上で「今を生きる」ことに『腹をくくる』ことが重要。


◆モトはココロのエネルギー源である

  • ニンゲンにはさまざまなカンジョウがあるが、それら全ては「モトの増減」によって起こる。

  • マイナスの気持ちはモトの減少によって起こるが、プラスの気持ち、幸せな感覚はモトの増加によって起こる。

  • つまり、ココロにモトがたくさんあればあるほど、幸せでエネルギッシュな人生を歩みやすくなる。ゆえに、モトというものは「ココロのエネルギー源」であると言える。

  • モトは『一番目のモトあつめ』で奪い合うだけでなく、『二番目のモトあつめ』で増やし合うことができる性質を持っている。そのため、地球上の全員が同時に『二番目のモトあつめ』をやるとき、全員が最も効率よく「幸せ」になれる、という「計算」が成り立つ。

  • これを読んでいるあなたも例外ではない。ぜひ『二番目のモトあつめ』を試してほしい。

★☆モトの話③:中級編☆★


《中級編1・レンアイのトリセツ》

◆恋とは何か?

  • 恋と愛は違うところから出てくる感情。そのうち恋というのは【カラダ】からの信号が【ココロ】を直接動かして発生する感情。

  • 通常の感情は『ABC理論』のメカニズムで【アタマ】(B信念)を経由するが、恋の気持ちだけは例外的に『A→C』の順番で出る。

  • ゆえに、恋の気持ちはアタマでコントロールすることができない。

  • ロミオとジュリエットのようにアタマで「禁断の恋」だとわかっていても気持ちを止められないことがあるのはこのため。


◆恋愛スイッチ

  • 恋は【カラダ】から「生殖の欲求」が出たことを受けて直接【ココロ】が出してくる感情。

  • ゆえに恋の正体は『性欲』である。

  • カラダには『性欲』の「スイッチ」がある。これを【恋愛スイッチ】と呼ぶ。

  • 【恋愛スイッチ】が入ると各種ホルモンが出て自動的にココロが「恋」の感情を出す。こうして恋が始まる。

  • 【恋愛スイッチ】がオンになると、ココロは自動的に、かつ無制限に「モトを生み出し」始める。相手のことを考えただけでいい気持ちになるのはこのため。


◆恋愛アピール

  • 【恋愛スイッチ】が入るとココロは「相手に自分を好きになってもらいたい」という欲求を【アタマ】に送り始める。そうして恋した相手にさまざまなメッセージを送るようになる。

  • この行動を【恋愛アピール】と呼ぶ。恋しているときの相手への衝動はすべて【恋愛アピール】の仕組みで出てくる。

  • 【恋愛アピール】は相手の注目を引くために、こちらからモトを大量に送り出す行為。優しくしてみたり、物をあげたりしたくなるのは「自分のモトを渡そう」としているから。

  • 【恋愛アピール】で消費されるモトは【恋愛スイッチ】によって勝手に増えていくモト。だから相手のためなら何でもできるような気になる。

  • すべての【恋愛アピール】が成功するわけではないので、失敗するとモトを大量に失う。このときのモトのマイナスが悲しみや嫉妬を呼ぶ。

  • 【恋愛アピール】の成功は、相手の【恋愛スイッチ】をオンにすること。これに成功すると、相手もこちらに【恋愛アピール】を始めるようになる。

  • すると、二人の間でモトがどんどん増加し、そして大量にやり取りされ始める。この状態を【恋愛アピール合戦】と呼ぶ。うらやましい状態である。


◆恋愛の落とし穴

  • 【恋愛アピール合戦】が始まると、生活のほかのできごとでは経験できないような「大量のモトあつめ」が勝手に始まってしまう。ゆえに、恋人ができると「二人なら無敵」な気持ちになる。

  • 無敵感があるがゆえ「この気持がいつまでも続く」という錯覚が起こる。だが、その「気持ち」とやらは【恋愛スイッチ】が入っている間しか続かない。この「勘違い」が【恋愛の落とし穴】。

  • 恋人同士になったばかりのころの「無敵感」は【恋愛スイッチ】のオフによって急に消えることがある。


◆「恋の終わり」のモデルケース

  • 恋人同士が二人で過ごすうちに、一方の【恋愛スイッチ】が何らかの理由で急にオフになることがある。

  • 理由はさまざまで、相手に魅力を感じなくなった、相手が自分の好みでなくなった、ほかの相手に恋を始めた、などなど。

  • 【恋愛スイッチ】がオフになると、ココロはそれまで増産していたモトを急に生み出せなくなる。

  • こうして『冷めてしまった』ほうは今までと同じような【恋愛アピール】ができなくなる。これが「恋の終わり」の始まり。

  • もう一方はまだ【恋愛スイッチ】がオンのままだから、今まで通り【恋愛アピール合戦】をしようとする。だがそのココロは相手から「期待した通りのモトの返還」がないことに違和感を感じ始める。

  • こうして期待通りモトを得られなくなったココロは『怒り』『不安』など、モトが減ったときの気持ちを出すようになる。

  • こうして恋愛の関係は終わってしまう。その裏にはこのような『モトによるメカニズム』がはっきりと存在する。


◆愛とは何か?

  • 恋は「終わる」ことがある。それはその気持が「カラダからの信号」だから。信号の消滅とともにその気持ちも消える。

  • だが、世の中には【愛】によって結ばれた息の長いカップルも多くいる。そこでこの【愛】とは何か? が重要になる。

  • 『モト』という考え方があるとこの「愛とは何か?」になんとたった一言で答えが出る。すなわち
    【愛とはモトの量】
    である。

  • より詳しく書くと【愛とはココロがモトをたくさん持っている『状態』】。

  • 愛とは『状態』を指す言葉。ココロが愛の『状態』のときに「起こってくる気持ち」はさまざま。兄弟愛、師弟愛、親子愛、恋愛、すべてこの『状態』のときに起こる気持ち。ゆえに僕たちはこの『愛の状態』を目指すべき、となる。

  • 恋人と長く続く関係になりたければ、重要なのは【恋愛スイッチ】によらない『愛の状態』をつくること。

  • 【恋愛スイッチ】は勝手に『愛の状態』を引き起こす(だから『恋愛』という『愛の状態』の一種でもある)。だがスイッチが切れるとそれは終わる。だから自分の【アタマ】で意識的に相手と『二番目のモトあつめ』をするように「考えて」関係を築かなければ、本当の【愛】の関係にはなれない。

  • つまり【恋愛スイッチ】が切れたあと、純粋な『人間関係』を良好なものにできるかどうかが「長続きするカップルの秘訣」となる。


◆役割の押しつけ

  • 【恋愛アピール合戦】終了後に人間関係のカギを握るのは【役割の押しつけ】という考え方。

  • 人は誰でも無意識の習慣で「相手が自分にとってどういう『役割』なのか」を判断している。

  • 母親が子供に朝ごはんを作らなかったことを、子供が怒った。このときは「子供」が相手の女性に「お母さん」という【役割の押しつけ】をしている、という具合。

  • 【恋愛アピール合戦】終了後も、別れるまでは「カップル」。このとき相手に『恋人の役割』を果たさせようとすることが恋愛の【役割の押しつけ】。

  • 恋人『役』の相手が恋人らしい振る舞いをしなかったときの「イライラ」「怒り」「失望感」はこの【役割の押しつけ】を自分自身が無意識に行っているから。相手が何をしたか、とは関係がない。

  • 相手が恋人らしい振る舞いをすることが「当たり前」だと思っていたら、その「当たり前」の中に『無意識の習慣』が隠れている。それこそが【役割の押しつけ】である。

  • 会うたびにケンカしたりイライラするカップルは、お互いがこの【役割の押しつけ】に自分自身で気づいていない。


◆カンジョウのメカニズム『嫉妬』

  • 恋人への【役割の押しつけ】の中には「私だけを愛してくれるはず」という思い込みがよくある。言い換えると「私だけに【恋愛アピール】をするはず」という思い込み。

  • 【恋愛アピール】をしてもらえるとモトが増える。ココロはこの「増える予定のモト」をしたたかに計算している。

  • この「計算」による予測が現実とブレる(相手が自分以外の相手に【恋愛アピール】をする、など)と、期待したモトが自分に送られなくなる。こうなるとココロは「モトが増えなかった(≒その分減った)」と結論づけ、【好き嫌いゲージ】が下がる。これがマイナスの気持ち『嫉妬』が出るメカニズム。

  • 実は嫉妬心は『あこがれ』の気持ちが【好き嫌いゲージ】を半分以下に下げたときに起こる。『あこがれ』は「こうだったらいいな」という純粋な考えから来る気持ち。そうだったら「いいことがある(=幸せになれる)気がする」ときにココロが出す感情。

  • 『あこがれ』が出る時【好き嫌いゲージ】は少し下がる。「今」そうなっていない、という不満に由来するモトの減少による。これがさらに進むとゲージの半分を下回り、気持ちが『やきもち』→『嫉妬』にエスカレートする。

  • 『嫉妬』まで行くと『怒り』をともなうことが多い。【好き嫌いゲージ】が急激にマイナス方向に下がるから。

  • 恋愛関係の『嫉妬』を完全に消すには、相手の浮気を「心から許す」以外に方法はない。この『許す』ための具体的な動作は上級編で紹介する。

  • パートナーの浮気を本当に心から許せるようになるには、エキスパート編までの「モトの知識と理解」が必要になる。ただし、これができるようになると恋人とのパートナーシップは永続的なものになる。本当の【愛】が生まれるということ。


◆愛の練習相手

  • 恋愛は誰にでも起こりうる人間関係で、かつ「二人」という最小限の人数で行うもの。さらに、肉体関係をともなう場合はどんな人間関係よりもずっと親密なものになりうる。

  • この「最も小さく、最も濃密な」人間関係が本当の【愛】の状態にまで到達できたなら、その他の人間関係にも広く応用ができるようになる。

  • ゆえに、恋人との「人間関係」を良好にしようという試みは、【愛】の状態とはどんなものか? を知るために最良の『愛の練習』になりうる。

  • その『練習』に重要なのは「二人で同時に」行うこと。片方が無意識だと「一方的なモトの強奪」となってしまい、結局失敗に終わる。ハラスメントを振るう相手からはすぐに逃げること。


◆愛の問いかけ

  • パートナーとの関係につまづいた時、一番に思い出してほしい【愛の問いかけ】がある。

  • 『今もし私が【愛】の状態なら、何をするだろう?』である。

  • これは【愛はモトの量である】ので、もし今自分のココロがモトで満たされていて、落ち着いた状態だったとしたら、何を考えて、どう行動するだろう? という「想像をする」ことである。

  • どんなときでもこの【愛の問いかけ】が行動の正解を導き出す。それは宇宙そのものが宇宙全体を【愛(=モトの量)】で満たすことを目的に存在しているから(くわしくはエキスパート編で)。


《中級編2・オカネのトリセツ》

◆オカネとは何か?

  • 人生を大きく翻弄(ほんろう)する要素にはレンアイの他に「オカネ」がある。

  • オカネとは何か? その答えは「モト」の概念から言葉でハッキリと説明できる。すなわち『オカネとは価値を可視化する試み』である。


◆オカネとモトの共通点と違い

  • 価値とココロには共通点がある。
    ①目に見えない、触ることもできない。
    ②だけど確かに「ある」。
    ③人と人の間でやりとりされる。

  • 価値を数値化して「見える」ようにしたものが「オカネ」。そしてココロを「具体的に理解できる」ようにしたものが『モト』の概念。

  • オカネは人が作り出した道具だが、ココロは生き物に標準装備されているもの。ゆえに「モトのほうが歴史が古い」ことになる。

  • つまり、オカネという「目に見えないが確かにある『価値』を見えるようにした仕組み」は、もともと存在していた「ココロと『モト』の仕組み」を人類が無意識にマネしたもの、と考えられる(だからマネーという……わけではないが)。

  • 価値は人の手で生み出さないと勝手に増えないが、モトは「勝手に増える」ことがある(『二番目のモトあつめ』)。ゆえにモトはオカネより圧倒的に増やしやすい。つまりオカネのほうが性質的に劣っていることになる。

  • 性質の劣るコピー品を『劣化コピー』と呼ぶ。となると「オカネとはモトの劣化コピーである」と考えられる。


◆オカネと幸福

  • 「オカネを集めて幸せを感じる」には、限界がある。一定の「満足感」が得られてしまえば、それ以上いくらオカネをあつめても「幸せ」を感じづらくなる。

  • 例えば「オカネを払う必要が全くなくなるボタン」があったとしたら、大抵の人は「押す」はず。これは僕たちが「オカネそのもの」ではなく、その向こうの「価値のある何か」を求めていることの証拠。本当に欲しいものはオカネではなく「満足感」。

  • 一方、ココロには「モトが多いと幸せを感じる」という『機能』がある。これは『機能』の問題なので、絶対である。

  • オカネが多いと身体的・精神的満足を得やすいのは間違いないので、ある程度集めようとするのは理にかなっている。だがそれだけで「幸せ」を感じられるとは限らないので、結局「幸せ」を感じるためには『モトあつめ』をするしかない。


★☆モトの話④:上級編☆★

◆個別のドラマ

  • 人生は「人それぞれ」だと言われる。この「人それぞれ」の部分を【個別のドラマ】と呼ぶ。

  • モトの話で「人生とは何か」という話をするとき、この【個別のドラマ】の部分は無視する。人それぞれだから。

  • モトの話では【個別のドラマ】が成立するために存在する『生きているという状態』の解説こそが「ジンセイのトリセツ」であるとする。


◆この世界の呼称『地獄』

  • 人生とは何かを考えるために、人生の「舞台」である『この世』について探る。

  • 『この世』とは【大いなる矛盾】が支配する世界である。

  • 【大いなる矛盾】とは、全員が「死にたくない」と思っている世界で、誰かを殺して肉体を食べないと自分が死んでしまう、という矛盾。すべての生き物の根本にこの【大いなる矛盾】がある。

  • つまりこの世は「いつ誰に襲われるかわからない恐怖の世界」であると言える。仏教で言う『一切皆苦』である。

  • また、この世界には『誰も知らない』というルールがある。
    ①自分以外の個体が考えていること・感じていることを知覚できない
    ②「今」という時間の先を知覚できない

  • このルールのおかげで生き物はつねに「勝負」にさらされる。

  • こういう「恐怖」が根底にある「この世」をモトの話では
    【地獄】
    と呼称する。


◆死と死後の世界『天国』

  • この世界で「死」というものを経験した生き物は、そこで「意識が消滅する」わけではなく、モトでできた【三つのパーツ】の集合体となって「肉体」から分離される。この姿がいわゆる「幽霊」である。

  • 「死」を迎えた生き物はすべて、この「幽霊」の状態になった後に次元の壁のようなものを越えて【天国】と名付けた世界に「帰っていく」。

  • 【天国】は帰っていく場所。つまり僕たち生き物はすべて、本来ならそちらが「居る場所」であって、この【地獄】へは『用があるから来ている』ことになる。

  • 【地獄】へやってくる『用』というのが【個別のドラマ】を体験すること。つまり人生とは「【個別のドラマ】を体験するためのもの」である。


◆ジンセイの「予定とシナリオ」

  • 僕たち生き物には【地獄】の『ルール』によって未来のことがわからない。ゆえに自分がいつ死ぬのかも知らない。

  • だが、モトの構造から「時間には終わりがある」ことがはっきりと分かるので(エキスパート編)、そこからジンセイというものには「始まってから終わるまでの出来事のシナリオ」があると考えられる。

  • これは「その人がいつ死ぬのか」が生まれる前からはっきりと決まっていることを表している。

  • 人生には「予定表」「シナリオ」があり、複数の「ジンセイのシナリオ」が複雑に絡まり合うことで、僕たちは他者との関係性を『体験』することができる。この概念を
    【関わりの網目】
    と呼ぶ。

  • 【個別のドラマ】というのは【関わりの網目】の連続体である。

  • たくさんの【個別のドラマ】が【関わりの網目】で絡まり合いながら、宇宙の歴史は「始まりから終わりまで」流れる運命にある。この構造を『時間軸』と呼ぶ。

  • つまりジンセイとは
    【個別のドラマ】が【関わりの網目】によって連なる【地獄世界】の『時間の構造』の一部分である
    という説明ができる。これが「人生とは何か」という疑問の答えのすべてである。


◆命と『うにのトゲ理論』

  • 命は「何個ある」のだろうか? と考えたときに、もし「個数がある」ものだと困る。余ったり足りなくなったりするから。

  • ゆえに「命に個数はない」と考えられる。だが僕たち生物は「個体」である。この矛盾を解決する唯一の論理は「命は一つだが、その一つの命が細かく分割されることで「個体」が形成されている」という考え方。

  • これを【うにのトゲ理論】と名付ける。海洋生物のうにの形をした「命本体」から、トゲの先にぶら下がっている「個体」がたくさん突き出ているような、そういう『構造のモデル』である。

  • こういう構造で『誰も知らない世界』というルールがある場合、僕たちトゲの先にいる「個体」は「うに本体とのつながり」を知覚することができない。

  • ところが、うに本体は僕たちが「自分自身の一部」であることを知覚できるはず。うに本体は『誰も知らない』ルールの外にいるから。

  • 自分の二本の指先に顔を書き、それらに人格があると想像してみてほしい。あなたがうに本体だとすると、指の顔が「今のあなた」である。指の顔はあなたとつながっていることを知覚できないから、あなたが「居る」ことそのものを「知ることができない」。

  • こういう状態が「命」というものの本質だと考えられる。なぜこんな構造なのか? はエキスパート編でくわしく。


◆究極のモトあつめは『許すこと』

  • 幸せなジンセイとは【大いなる矛盾】にどう対処するか? ということに尽きる。すべての不幸の根本がここにあるから。

  • この世界【地獄】に仕組まれた【大いなる矛盾】に対する究極の対抗法が
    『許すこと』
    だ。

  • 許す、というのは「動作」である。つまり【アタマ】を上手に使って能動的に行う必要がある。

  • 何かを『許す』ために必要なのは、ココロから出ていくモトの流れを「そのままにしよう」という『考え』である。

  • モトが減ると【好き嫌いゲージ】が下がるので「マイナスの感情」をココロが出す。それに「逆らって」そのままにしようという「動作」こそが『許すこと』。だから非常に困難をともなう。

  • 生き物が行う動作の中で最も【アタマ】をつかう動作である『許すこと』を行うためには「所作(しょさ)」(=やり方の手順)がある。

  • 『あきらめる→選びなおす→許す』がそれ。

  • 『あきらめる』とは『明らかに、見極める』というのが本来の意味。何か、誰かが「自分を幸せにするために必要か?」を『明らかに、見極める』ことが第一歩。そして必要ないと判断したものは「手放す」。

  • 「手放す」ために『選びなおす』必要がある。やり方は
    選べ!もう一度。
    の「前」に対象物をくっつける。「傷んだ靴、選べ!もう一度」という調子。選びなおした結果「手放さない」という決断もありうる。

  • より多くのものを許せるようになればなるほど、人生はツラくなくなっていく。逆に「許せない」ものごとが多ければ多いほど、人生はツラいものになる。

  • 特に人間関係の場合、誰か・何かを『許す』ことで【良いモトの循環】を始めやすくなる。そうするとその場全体のモトが増えるので、許すことで失ったモトを取り戻せるようになる。


◆自分を許す、自分を愛する

  • 『無償の愛』と呼ばれる行動を常に取ってきた偉人たちは、こういう『許す→良いモトの循環』を無意識に「計算」していたと考えられる。モトの知識があると、こういう偉人たちの『無償の愛』を意識的にマネできるようになる。

  • そのためにまずは「自分自身のすることを許す」必要がある。自分が許せない人間は、他人を許すことができない。

  • 基本は「自分ファースト」である。自分を幸せにできない人間は、他人を幸せにする方法を理解できないから。

  • この世界にあるあらゆるものを「自分を幸せにするものかどうか」という基準で「あきらめる」「選びなおす」「許す」ことが『自分との和解』を達成する唯一の方法である。


◆他者を許す、他者を愛する

  • 本当に心から『他者を許す』ためには、エキスパート編でくわしく語る「モトというものの本質」という知識が必要になる。

  • この知識があると「あなたは、わたしである」という【うにのトゲ理論】をもとにした、宇宙そのものの真の姿が理解できる。

  • だがこの知識がなくとも、次のワードでその一端を理解できる。
    「他人がすることは、自分がするかもしれないこと」

  • これは、もしあなたが「相手と同じ場所で生まれ、相手と同じ環境で育って、そして今あなたの前に「他人」として出現した」としたら、おそらくあなたは今のあなたに対して同じことをするだろう、という意味。

  • 宇宙に偶然はない(宇宙には終わりに向かう「シナリオ」があるから)ので、その【関わりの網目】は宇宙にとって必要だから存在している。

  • あなたは「うにのトゲ」なので、宇宙そのものでもある。つまり、宇宙にとって必要だということは、あなたにとって必要だという意味でもある。理解がむずかしい概念だが、ここまでを完全に理解すると、他者のすべてを許すことができるようになる。


◆ジンセイの正解とは

  • 『許し』は大量のモトを生む(二番目のモトあつめのきっかけになるから)。そして愛はモトの量である。すなわち『許す』ことで『愛』が生まれやすくなる。

  • ジンセイの正解は『モトあつめをして幸せに生きること』なので、その具体的な最良の方法は『許すことで愛を目指すこと』である、となる。

  • 『他人がすることは、自分がするかもしれないこと』
    『今もし私が【愛の状態】だったら、何をするだろう?』
    この「考え方のコンボ」で許しと愛を目指せる。


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「ニンゲンのトリセツ」著者、リリジャス・クリエイター。京都でちまちま生きているぶよんぶよんのオジサンです。新作の原稿を転載中、長編小説連載中。みんなの投げ銭まってるぜ!(笑)