「いじめ」 みんなが泣いた ある小学校で本当にあった話
私は以前いじめられたことがある。私が友達に「遊ぼう」と言ってもむしされたりして、一緒に遊んでもらえなかったり、そんなことが何回もあった。
私は傷ついた。家に帰る時、泣きながら帰ってきたことも何回もある。
お母さんにも言えなかった。
ねるとき、いつも考えてみた。どうして私だけが、こんなにされなきゃいけないんだと思った。だけれど、いっしょうけんめい考えてみたら、きっと自分にも悪いところがるんじゃないのかなと思った。
例えば、男の子の悪口を言ったり、すぐ口げんかしたり、そういうところが悪いのかなと思った。
私は、それから悪口をいったりしないように、気をつけた。それでも、いじめは終わらなかった。私は友達に言った。
「なんか私の悪いところがあったら言って。そうしたら、私の悪いところをなおせるかもしれないから。」
それでも、誰も何も言ってくれなかった。
そんな時、先生に呼ばれた。先生からは「いじめられたりしたら相談してね」と言われていた。
先生にこんなことを聞かれた。
「クラスでいやなことをされていない。」
私は全部話した。先生に話したことで気持ちが軽くなった。うれしかった。らくになった。
お母さんにも話した。いやなことがおきたことを話すと、こんなにすっきりするのだということを実感した。
いじめが終わったが、それは何日も後のことだった。いじめが終わったのは、先生たちがいじめた人たちを叱ってくれたからだ。先生は、みんなの前でこんなことを言った。
○○市自殺のことを話した後で先生は「の○○さん(私の名前)は、明日、死んでたかもしれないの。」と話した。
泣いた。みんな泣いた。私をいじめた子たちも泣いた。
その後、みんな私にあやまってきた。本当にうれしかった。
先生は、また私を呼んだ。そして言った。
「もし、あなたの近くにいじめられている人がいたら、今度は先生の代わりに、あなたが守ってあげてね。」
私は、「はい」と、言った。
私は、何があっても絶対にいじめをしたり、悪口を言ったりしないと、心の中で思った。それに、いじめられている人がいたら、私がその人を助けようと思った。
この世の中で、いじめはおきてはならないと思う。いじめられたり、仲間外れにされたりしている人は、「どうして私だけが・・・」「もう、死にたい・・・」と思っているはずだ。
いろいろな人の一言一言で、人は「死にたい・・・」と思ってしまう。
いじめは、誰かが止めなければ、とっても悪い結果になってしまう。だから、いじめは、あってはいけないと思った。
<終了>
「先生が理性的に見ていた」ということです。いじめた人は「こういうしてはいけないこと(死に至らせる行為)」を明確した上で、「みんなにして欲しいこと(尊い命を守ること)」を教えたのです。
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