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自分のことは自分が一番わかっていない

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自分で自分をどう見ているか

先日、グループコーチングの中でのこと。
参加者のひとりから
「キャリコンのひとはキャリコンとして今の自分をどう見ているの?」
という質問を受けた。

そういう疑問を持つのか!
と驚きと新鮮さとともに
めちゃくちゃよい問いだ!(ネタに使おう)
という喜びあった。

結論から言うと、自分をキャリコンとして客観的に見ることはできない。
自分で自分のキャリアについてわかったつもりになったとしても、
実はわかっていない、というのが答えだ。
相談にきてくださる方と同じで、
自分のキャリアを模索し続けている。

その中で唯一認識しているのは
「自分のことは自分が一番良くわかっているようで、わかっていない」
という事実だ。

外面的な自己認識と内面的な自己認識

セルフアウェアネスの観点から言うと
自己認識には外から見える自己と内から見る自己のふたつがあり
このふたつには常にギャップが存在する。

前述した毎週のグループコーチングしかりなのだけど、
ほかからフィードバックをもらうことでその認識が
鮮明になるのだ。

学びと内省の場「ピアトレーニング」

私は毎月「ピアトレーニング」という
キャリコンが集まるワークショップ型の研修に参加しているのだけど、
この認識を持っていると、
自然に他人からフィードバックをもらう機会が多くなるように思う。

ここではキャリコン同志が集まり、
代表で2名がセッション(ロープレ)し、
それをオブザーバーが見てあーでもないこーでもない、と
見立てや疑問を出しあう。

ロープレとはいえ、相談者の役割はガチで自分の悩みを相談するので
キャリコンの役割もガチで聴く。
そしてオブザーブ側も「自分ならどう関わるか」というのを頭に置き
アウトプットし合う。
キャリコンなりたての人からベテランまですべからくどの参加者も
コミットしただけ学びと内省があるという秀逸なしくみだ。

余談だけれど、芸術の分野では「クリティーク」という
異なる人々が同じ作品に対して異なる評価をする手法があるそうだ。
クリティークは芸術の発展において重要な要素であり、
新しいアイデアや視点を探求し、議論の場を提供すると言われており
(←Chat GPTによる)
すごくこのピアトレーニングに似ているなあと思う。

要は、異なる視点を与え、議論することにより
自己認識と他社評価のギャップを認識し、
スキルの発展と深化を促すという目的は同じなのだ。

自分のことや自分の生み出したものは
自分ではわかったつもりでわかっていない。
(さらに言うとこの事実と思っていることも
間違っているかもしれない)

キャリコンも、自分のキャリアに迷う。
自分のことは自分もわかっていないのだ。
だからこそ私はキャリコンという職業を
続けているのかもしれないね。



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