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私の原体験〜アメリカ・ペンシルベニア編

私のビジョンができあがる原体験は全部で3つ、
最後はアメリカ・ペンシルベニアでの経験。
モヤモヤした記憶の3つめはさらっと書こう。
前回はこちら。

当時はブログを書いていたので
どんな生活をしていたかはこちら。

当時の私は会社員

32歳から通信制の大学で学んでいたのだけど、
その学校が提携していたのが
ペンシルベニア大学の英語プログラム

30歳なかばにして
2ヶ月間仕事を離れて、
学びに専念することを選択した私。
(送り出してくれた会社に感謝である)

30代なかばにしてはじめて
周囲がAll Englishという環境を体験する。

そこで記憶に残るのは
必死に学んだ経験と
異文化の人々と交わる体験。
しかしたった2ヶ月間の語学プログラム内でのこと。
「アメリカで学んだ」と言うには
あまりに狭く、短すぎる経験だ。

ホストファミリーはアメリカ人
先生もアメリカ人だったが、
ルームメイトは中国人とサウジアラビア人
学友はアジア人、アラブ人、アフリカ人など。(ざっくりすぎ)
10~20代が多かったように思う。

そこでの留学生のマジョリティは
圧倒的にサウジアラビア人だった。
(でも彼らは不思議と群れたりしない)

アメリカの高等教育を目指す
若くして優秀な人が集まり、
そこには政治的な意図もある。
そんな世界の一端を見た。

そしてあっという間に2ヶ月が過ぎ
後ろ髪をひかれながら帰国。
成田に着陸後、
周囲が全て日本語・日本人という環境に
違和感のようなものを味わったことを覚えている。

日本にいる外国人は、どうか?

2ヶ月というのはあまりに短く
そろそろ慣れたなと思った頃に帰国になった。

先のベトナム・タイのとき同じく
不完全燃焼感が残る体験。
この不完全感はどこからくるのか、
なぜ何度も同じ失敗を繰り返すのか。

新たな土地に移り住むとき
初速はどうしても遅くなりがち。
どこにいったらどんな情報が得られるか
誰もが手探りで始めるのだ。

では日本にいる外国人はどうだろう?
と思ったとき
やはり同じ構造があると感じる。

異国での生活を新たに始めるとき
もしもっと初速を速められたら
その国の人たちと関わる範囲が広がったら
もっと彼らの可能性は広がるのではないか。

もしそうだとしたら、
彼らのために日本にいる私ができることは何か?
そこから私の今のビジョンがうまれ
「多様な人が豊かに暮らすしくみをつくる」
をライフワークとして掲げるようになる。

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