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私の原体験〜ベトナム編(1)

私がここ20年愛してやまない国、ベトナム/越南。
ここ数年は縁が薄くなってしまっているけれど
おぼろげな記憶を思い出しながら書いてみる。


私のビジョンの原点はベトナム

「多様な人が日本で豊かに暮らすしくみをつくる」
かなり広いターゲットに見えるのだけど
多様な人とは実は
日本にいる外国人のことを指している。

これは2012年くらいから描いていた構想で
外国人が日本に来たときに
「ここにくればだいたいのことがわかる」
というような情報が集まる場所を作りたいと
思い始めていた。

その原体験と思われる記憶を20年もたった今、
記しておこう。

ベトナムとの出会い

正直思い出せない。
高校生の頃だったか、1990年代の頃。
その頃に読んだニュースや旅行記、
雑誌の影響があったように思う。

今はなきマガジンハウスのMUTTS
今思うと「ベトナム特集」なのになぜこの表紙…

2000年頃にはおそらく
何度目かのベトナムブームが日本に到来。

そして私は大学生になり
念願のベトナムへスタディーツアーで旅することになる。

初の海外旅行はベトナム

20歳になった秋に関空から飛び立った。
(そのころ成田-HCMはまだなかった気がする)
大学生20名くらいが参加するツアーの行き先は
ベトナム・ホーチミン。

宿泊はマジェスティックサイゴン(だった気がする)
日本語学校で学生たちと交流したり
ちょうど中秋のお祭りと重なる時期で、
「中秋には子どもの成長を祝い、願う」
という日本とは違う文化に触れた。

政治、経済、文化すべてにおいて異なる国。
でもそのなかでも昔の日本を見るような
そんな感覚があった。

日本語を流暢に話す大学生たちも
日本語を話さないまちなかの人たちも
若い外国人に親しげに話してきてくれる。

彼らは日本に来る予定はないと言った。
それでもこれほど日本語を話す外国人が
海外の地にいるのか。

そして帰国後、私も
ベトナム語を習い始めることになる。

2度めのベトナムは21歳で留学

総じて不真面目な学生だったのだけど
その頃大学でベトナム語の授業を受けていて
その教授のつてをたどりハノイへ留学。

留学の名目は卒論のための情報収集
(テーマはベトナムの環境問題)だったけれど
結局卒論に役に立つ情報はほとんど触れなかった。
しかも途中SARSが流行り
結局2ヶ月ほどで帰国。

2ヶ月間毎日何をしていたかというと、
ホームステイをして
語学学校に通って
ひたすらベトナム語の勉強。

ちょっとお腹を壊した時をのぞけば
元気に過ごしていたけれど
ツアーのときのような
ベトナム人の学生との交流はなかった。

行動範囲は市内のみで、
「いかにお金を使わず過ごすか」
ばかり考えて切り詰めていた。

持っていたトラベラーズチェックは殆ど手を付けず
ハロン湾にすら行っていない。笑
(そのころの私に「体験に使え」と言ってあげたい)

そういえば小学生くらいの子どもと話していて
通りがかりの?半グレにカツアゲにあったりもした。

そんなハノイでの毎日は
思ったように人間関係を広げられず
不完全燃焼に終わる。
これが私のベトナムの第一の原体験。

その後も続く「ベトナムとの縁」

それでもベトナムへの熱は冷めず、
日本に帰国後にNGOのボランティアに参加したり
外語大の授業を受けさせてもらったり
ベトナム関係と名がつくものに顔を出し
没頭していた。

大学最後の年に再度ホーチミン訪れた後、
卒業後にはとあるNGOへ就職

東京のオフィスで会計がメインのお仕事だったけれど
現地からベトナム人スタッフを招聘したり、
出張でホーチミンやフエの貧困地域を訪れたり、
ベトナムの子どものための奨学金ファンドをつくったり。
ベトナムと日本をつなぐことに邁進していた。

そんなふうにベトナムとの縁を最も濃くしたのが
20代の前半。
仕事は楽しく幸せな思い出よりも
もがき葛藤した経験のほうが強く心に残っていて
今まで特に思い出すことはなかった記憶たち。

しかし仕事で関わるすべてのひとは有能で志高く、
今思えば特殊で、貴重で、得難い経験であったことは
間違いない。

そしてその頃に受け取ったこと、教えてもらったことを
社会に還元できているか?
と問われるとその頃も今もまだまだで。

その不完全燃焼の思いが
私の今の原動力になっているのかもしれない。


写真は現在捜索中…
見つかったら後日いれるかも!

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