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『青天を衝け』第34回「栄一と伝説の商人」(2021年11月7日放送 NHK BSP 18:00-18:45 総合20:00-20:45)

明治政府は西南戦争の戦費調達のために不換紙幣を大量に発行。栄一(吉沢亮)はそんなことをすれば貨幣の価値は下がってインフレを引き起こし、民の生活は苦しくなってしまうと大隈(大倉孝二)に詰め寄るが、大隈は意に介さない。実際、不換紙幣の大量発行は景気を良くし、銀行設立もブームを迎える。ドラマでは金儲けのためにだけ銀行設立を考えている輩が多く、栄一はそれを嘆くという描かれ方ではあったが、栄一の第一国立銀行がほかの国立銀行設立に積極的に協力していったことは事実である。一方、駅逓局長(1)の前島密(三浦誠己)は三菱の岩崎弥太郎(中村芝翫)に「三菱は海運に専念して欲しい」という。実際、三菱合資会社内に銀行部が設立されるのは遅く、かつ株式会社三菱銀行が設立されるのは、1919(大正8)年のことであった。

さて冒頭、久しぶりの徳川家康(北大路欣也)登場。何の話をするのかと思いきや、将軍家定の時に日本が諸外国と結んだ「安政の五ヶ国条約」を覚えていますかときた。今やその「不平等条約」が日本が一等国になっていくための足枷になっていると……。大隈と伊藤博文(山﨑育三郎)はイギリス公使・パークス(イアン・ムーア)とサトウ(カイル・カード)に(条約で決められた低関税のために)日本の国内産業は打撃を受け、かつ税収(関税)も入らない、条約改正は「世論」(2)(public opinion )であるというが、議会すらもたない日本が public opinion を言うのは「実に馬鹿げている」とパークスに一蹴される。

そこで大隈と伊藤は栄一たちを集め、欧米では商人たちの意見集約をおこなう「Chamber of Commerce」があり、重要な役割を担っているので、日本でも商人の会議所をつくれないかと相談。三井物産の益田孝(安井順平)などは商人は自分の商いで忙しいと反対意見を開陳するが、栄一は「これは民の地位を高める好機だ」と会議所設立に動き、1878(明治11)年3月に東京商法会議所(現在の東京商工会議所)が設立された。商法会議所設立メンバーとしてドラマに新たに登場していたのは大倉喜八郎(岡部たかし)。岩崎弥太郎は欠席。しかし、栄一は岩崎さんには是非とも参加して欲しいと言う。その弥太郎は五代友厚(ディーン・フジオカ)と茶飲み話。弥太郎に「気が進まないが、どう思う」と意見を聞かれると、五代も大阪にも会議所を作らなければならないと応じる。

シーンは変わって東京の渋沢邸。書生たちが住み込み、ドイツ語の勉強をしている(なぜドイツ語かは不明)。一人の書生が栄一が東京の米を買い占めているという噂話があり、この屋敷にも暴漢が襲ってくるかもしれないと言う。そうなったらどうするよという話の流れで、千代(橋本愛)に厳しく叱責される書生たち。夜、千代に用心してくださいと言われる栄一だが、栄一は「貧しい者が多いのは政治のせい。それを救う仕組みがないのが今の世に欠けているところだ」と。千代はその言葉を聞いて養育院のことを思い出し、栄一に最近の養育院の最近の様子を尋ねる。栄一が養育院の様子を千代に話すと千代は一度訪ねてみたいというのであった。

一方、五代が「さすが」と評価する栄一に一度会ってみたいと思った弥太郎は芸者をあげての宴会に栄一を誘う。同じ百姓上がりの栄一と弥太郎は意気投合するかに見えたのだが、「これからの実業は才覚あるものがトップに立つべし」という弥太郎に対して真っ向から反対する栄一。弥太郎は手を組んで実業を牛耳ろうと栄一を誘うが、栄一はそれを断り、帰らせていただくと席を立つ。その場にたまたま居合わせたやす(木村佳乃)が「あんたはあんたの道を行きな。きっといいようにしておくれよ、あの人(円四郎[堤真一])のためにも」と栄一を逃がす。残された弥太郎は「こりゃ口説きがいのある男やね」と笑うのであった。

日本が発展するにともなって成功するものと没落するものが出て来たという守本奈美アナのナレーションにオーバーラップして登場したのが、破綻した伊勢八という大店の娘の伊藤兼子(大島優子)。お大尽の妾は嫌だとやすのもとで芸妓となるべく修行することになるのだが、これも円四郎が導くご縁か……。

場面は変わって栄一と千代が養育院を訪ねるシーン。ちなみに今回、この note のトップ画像は板橋にある「養育院本院の碑」である。身寄りのない不幸な子どもたちに着物を持って来たのは、朝ドラ「あさが来た」「おちょやん」でいずれも女中頭の役をしていた楠見薫だった(タイトルバックでは看護人としてクレジットされていた)。

ラストは次回のアメリカ合衆国第18代大統領グラント将軍来日話の前振り。男にとっても女にとっても、そして日本にとっても大きなイヴェントがはじまろうとしていたというナレーションで、つづく。

注)
(1) 駅逓局はのちの逓信省。当時の前島はそこのトップ。前島は「明治14年の政変」で大隈とともに下野し、立憲改進党、東京専門学校設立に協力する。
(2) ドラマでは「せろん」と言わせていたが、当時は「よろん」が一般的ではなかっただろうか?

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