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『青天を衝け』第20回「篤太夫、青天の霹靂」(2021年6月27日放送 NHK BSP 18:00-18:45 総合20:00-20:45)

慶応2年7月20日、江戸幕府の第14代征夷大将軍、家茂(磯村勇斗)が身罷った。享年、21歳。死因については色々と説があるようだが、ここでは触れない。徳川家康(北大路欣也)が言うように家茂は戦の陣で命を落とした最初で最後の将軍ということになる。将軍死去のニュースはただちに京の一橋屋敷にも届けられた。

次期将軍は慶喜(草彅剛)になるやも知れぬと聞いて驚く篤太夫(吉沢亮)であったが、慶喜に直に征夷大将軍を受けるべきではないと建白する。しかし、「言いたいことはそれだけか」とクールな慶喜。

一方、江戸城では天璋院(上白石萌音)が「一橋はならぬ」「跡目のことは上様から直に田安の亀之助(1)と定めよ」と言うが、和宮(深川麻衣)は将軍なぞ「慶喜が継げば良い、次は慶喜が苦しめば良いのです」と吐き捨てる。

京の一橋屋敷では松平容保(小日向星一)らが慶喜が将軍を継ぐべきだと意見開陳するが、大目付で長州御用掛の永井尚志(中村靖日)は「ご遺命でございます」と嘘を言う。慶喜も皆にそう言わせておいてフリーハンドを確保しておくという政治家である。翌日には御所で徳川宗家を相続し、事実上、将軍職に任じられることに。

一橋家では慶喜が宗家を継ぎ将軍に任じられることになったことで長州征討の準備に取りかかる。篤太夫や成一郎(高良健吾)も大坂に行くことになる。成一郎は俗事役、篤太夫は川村恵十郎(波岡一喜)らとともに御用人手附として本営に入ることとなった。原市之進(尾上寛之)も篤太夫に「殿直々の指名である」と言う。長州征討出陣の報せを郷里の血洗島に送る篤太夫。渋沢市郎右衛門(小林薫)は「誉れなこと」と言うが、嗚咽する千代(橋本愛)であった。

しかし、長州征討は失敗に終わり、兵を引く慶喜。孝明天皇(尾上右近)は岩倉具視(山内圭哉)はどうしているのか……と。その岩倉は岩倉村で薩摩の大久保一蔵(石丸幹二)といよいよ王政復古を実現するときだと気勢を上げる。

大坂の幕府陸軍奉行所で書記官として働き始めた篤太夫と成一郎であったが、やはり殿にお目見えもかなわず面白くねぇなと篤太夫は、もう少し頑張ってみるという成一郎に「やっかんでいるのだろう」と心にもない言葉を投げつけ、ちょっとしたケンカに。

そんな欲求不満がたまる中、今回の目玉の捕り物シーンである。この捕り物は渋沢の伝記のなかでも描かれている(2)。篤太夫には新選組副長の土方歳三(町田啓太)と一緒に謀反の嫌疑のかかった幕臣を捕縛するというお役目を命じられる。土方は、新選組が捕縛するから渋沢にはそのあとで確認するだけで良いというのを、篤太夫はまずは自分が大沢某に捕縛糾問を告げてからだと言ったらしい。あえてリスクのある方法を取ることで筋を通そうとしたわけだ。結局、土方らの手を借りて捕り物を成就させる。捕り物が終わったあと、篤太夫も土方も武州の百姓出(2)ということで意気投合するのであった。

注)
(1) のちの徳川宗家の第16代目、徳川家達。
(2)内容は確認中
(3)土方は、百姓をしながら売薬もし、岡部にも行ったことがあるという台詞があったが、土方の実家はかなりの豪農であったらしい。その点でも渋沢との共通点があったのだろうが、いかんせん土方は剣術が上手すぎた。それが土方の命を短くした。戊辰の戦争を生き延びていれば、実業家になったかも。


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