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『青天を衝け』第22回「篤太夫、パリへ」(2021年7月11日放送 NHK BSP 18:00-18:45 総合20:00-20:45)

いよいよ渋沢篤太夫(吉沢亮)の人生の転機となるパリ篇である。イントロは船旅の様子から。渋沢がカフェ(コーヒー)をいたく気に入ったことも伝記にあるとおり。上海ー香港ーサイゴンーシンガポールーセイロンーアデンースエズ(汽車でカイロまで?)ー地中海を経由して55日目にパリに到着。途中、建設中の堀割(スエズ運河)を見てその工事が商人主導(民間主導)でおこなわれたことに驚くのは台詞の中で。そして、エッフェル塔はまだないパリの街を一望するのに渋沢たちは凱旋門の上に登った。

徳川昭武一行が最初に投宿したのは、高級ホテルのグランドホテル。しかし、これは予算の関係で別の場所に引っ越すことは本編後半にもある通り。ここで日本総領事のフリュリ・エラール(グレッグ・デール)が登場するが、日本の在外公館に日本人が着任するのはまだ先の話で、最初は外国人のエージェントが総領事などを務めた。フランスでも同じ。日本側のフランス語通訳は保科俊太郎。フランス側の通訳はカション神父(ド・ランクザン望)。カションは自分がフランス政府から正式の通訳を頼まれたと主張するが、抜け目のないアレクサンダー・シーボルト(アレキサンダー・サガラ)はすでに昭武一行に食い込んでいた。歯がみするカション神父。英仏の日本外交における主導権争いがおこなわれていたのであった。

さて、篤太夫は早速勘定方の仕事としてパリでのさまざま入り用の品の値段を聞き取っている。まだ電気の時代ではないので、蝋燭が1本1フランなど。ちなみに万博で夜間開場が実現したのは1889(明治22)年の第4回パリ万博。エジソンの白熱電灯が会場を照らし出した(1)。それにしても昭武の護衛に付いていた水戸藩士たちの扱いは面倒臭かっただろう。コミカルに描かれているが、篤太夫の苦労が忍ばれる。

篤太夫たちが見物した第2回のパリ万博で登場した新しいものとしてはエレベーター(リフト)があったが、動力はまだ蒸気力。しかし、篤太夫は想像していた物産会とはかけ離れた規模の万博に「夢の中にいるみてぇだ」と言う。その万博会場のJapon の展示スペースの横には琉球国の展示がなされ、薩摩の旗印が掲げられていた。そこに近寄ってくるモンブラン伯爵(ジェフリー・ロウ)。モンブランは琉球王国の博覧会展示責任者として万事を取り仕切っていたのである。篤太夫は出発前に福地源一郎(犬飼貴丈)からされたアドバイス「モンブランには気をつけろ」を思い出すのであったが、パリでの幕府方と薩摩方との交渉の結果、巧妙なモンブランの提案により、2つの政府(Gouvernement)があるような形で押し切られてしまう。モンブランの裏には五代才助(ディーン・フジオカ)の策略があったのである。しかし、昭武のナポレオン三世(ジュリアン・ジョラン)との謁見は、昭武の堂々たる振る舞いで成功を収めたので、幕府は一応の面目は保ったのであった。

日本では慶喜(草彅剛)がフランス公使レオン・ロッシュ(ディディエ・ケアロック)と会談。「ナポレオン三世のようにやりなさい」とアドバイスするロッシュ。慶喜は各国公使の前で兵庫開港などを宣言。パークスも「慶喜は今までの徳川とは違う。幕府は持ち直すかもしれない」と言う。実際、島津久光は政治的主導権を奪回しようとかつての朝議参与たちを京に集めるが、慶喜は「長州問題は国内の小事。それよりもフォトグラフを撮ってみませんか」と島津久光の企みをかわし、挫折させた。久光の実際の写真が憮然として写っているのがそのせいかどうかはわからないが。

武蔵国血洗島では平九郎(岡田健史)の見立て養子の話。渋沢の養子になることは公儀の禄を食むご直参になることであると尾高惇忠(田辺誠一)。千代(橋本愛)も市郎右衛門(小林薫)も平九郎に頭を下げて頼むのであった。ただ一人、てい(藤野涼子)だけは違う方向で妄想するのであったが……。

その頃、パリでの滞在費が嵩み、ホテルを出てアパルトマンに居を移す篤太夫。また昭武用の一軒家の借り上げ交渉も何とか成功させた篤太夫であった。余談だが、同じアパルトマンの住人からポトフの差し入れを受ける篤太夫にちなんで今回このnoteのトップ画像は我が家の昨日の晩ご飯(ポトフ)。

パリ滞在中に篤太夫が廃兵院を見学して、フランスの社会福祉制度の一端を垣間見たのものちの篤太夫の行動に大きな影響を及ぼした。また舞踏会では、フランスでの男女のつき合い方もついでに学ぶ篤太夫であった。

だが、フランスからの借款話が消滅。金のない慶喜には何もできないと大久保一蔵(石丸幹二)に告げ、「あとのこと(倒幕)は一蔵さぁと吉之助さぁにまかせもすんで思うとおりにやってくれやんせ」と言う五代才助は格好良すぎだろう。

注)
(1) 万博の歴史については、国立国会図書館「博覧会 近代技術の展示場」を参照。なかなか面白い企画であるので、どうぞご覧ください。



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