見出し画像

『青天を衝け』第24回「パリの御一新」(2021年8月15日放送 NHK BSP 18:00-18:45 総合20:00-20:45)

慶応三年の暮れ。渋沢篤太夫(吉沢亮)の郷里の血洗島では渋沢家の人びとが正月を迎える準備に忙しい。「蔵に泥棒が入ったので正月の着物がつくれなかった」と渋沢市郎右衛門(小林薫)は言っていたが、そのくらい屁でもない渋沢家の財力だったらしく、皆はそれほど気に留めてもいない。そんなところへ一足先に帰国した杉浦愛蔵(志尊淳)が篤太夫(吉沢亮)の文を携えて訪う。篤太夫の断髪・洋装の写真を見た千代(橋本愛)はその姿を「浅ましい」と嘆く。有名なエピソードである。

慶応四年正月。パリの篤太夫たちのもとへは御用状(公文書)が届く。そこには慶喜(草彅剛)が大政奉還したことが記されてあった。

印象派の絵画のようなパリの公園風景(1)。池の畔を昭武(板垣李光人)が馬に乗り、それを曳く篤太夫。「馬にフランス語で命をなすのも漸く慣れた」と昭武。家庭教師のヴィレット(サンシモン)も民部公子様はまことに覚えが良いと褒めていたと昭武に言う篤太夫だが、まだ何も身についていないと謙遜する昭武。篤太夫はパリで勉強を続けたいという昭武の言葉に応じるため、お金の心配をせざるを得ない。月5,000ドルの送金のみが頼りというのでは心許ないのであった。そこへ在パリ日本総領事のエラールが訪れて「手元に自由になるお金がありますか?」と篤太夫を証券取引所へと誘う。

パリの証券取引所を訪れた篤太夫はそこで国債や社債などの証券が取引されているのを見て驚く。「リスクはあるがここで集めたお金が役に立つ」というエラールの言葉が刺さる篤太夫であった。

二月。パリに再び御用状が届く。慶喜が兵を集めて大坂城へ籠もったとの知らせ。篤太夫のもとへも平九郎(岡田健史)、惇忠(田辺誠一)、ゑい(和久井映見)、千代からの私信がそれぞれ届く。

三月。カション神父(ド・ランクザン望)が今度は横浜から届いた新聞(2)を一行に届ける。そこには鳥羽伏見の戦いが始まり、慶喜は朝敵となってしまったことが報じられていた。慶喜から民部公子宛への直書には大坂での顛末が書かれ、さらには勉学をまっとうせよと。篤太夫は昭武に対して返書で建白してはどうかとアドヴァイスする。幕臣としての渋沢の熱いシーンであった。片や栗本鋤雲(池内万作)や高松凌雲(細田善彦)は一足先に帰国することに。医者の真心をフランスで見つけられた気がするという高松であった(3)。

閏四月。成一郎(高良健吾)からの文が篤太夫のもとへ届く。そこには鳥羽伏見の戦いから上野の戦までの経緯が書かれていた。悔しさに涙する篤太夫であった。

篤太夫は幕府が各国へ派遣した留学生たちが無事に帰国できるように何とか取り計らい、民部公子のパリの屋敷で一時寝泊まりすることができるよう粗末な布団の準備をする篤太夫。林董三郎(のちの林董・第1次西園寺内閣の外務大臣などを歴任)は「こんな床に寝かせるなんて。豚のような扱いではないか」と文句を垂れるが、篤太夫はそれを強く叱責。今回の見せ場のひとつ。「やわらかい布団で寝ても“臥薪嘗胆”の心を忘れるべきではない」との言葉は選民意識をもっていた留学生たちにも刺さったようだ。

五月。日本。飯能の戦い。敗走する幕府軍。成一郎と平九郎もそこに加わっていた。新政府軍狙撃兵の銃弾が放たれる。

場面は再びパリ。山髙信離(のちの帝国博物館長。山本浩司)が新政府からの公文書が届く。「王政御一新につき急ぎ帰朝せよ」と。エラールも帰朝を勧めるが、篤太夫は勉学を続けられるようにと懇願する。エラールはじきにレオン・ロッシュ(ディディエ・ケアロック)が日本から戻ってくるので相談しようと返答する。

再び飯能山中。おてい(藤野涼子)からのお守りを握りしめる平九郎。

七月。水戸藩士・菊池平八郎(町田悠宇)が昭武に水戸の殿様(慶篤)が亡くなったことを告げる。また朝廷の意向で昭武が水戸家を継ぐことなったと。ロッシュは今帰るのは危険だとアドヴァイスするが、帰国を決断する若きプリンス昭武。しかし、セーヌ河畔を篤太夫と歩く昭武は「水戸に帰るのが怖い。日本に戻っても私のそばにいてくれぬか」と素直な心情を吐露するのであった。

帰国準備をする篤太夫。エラールに債券投資で儲けたことの礼を言う篤太夫。単に儲けるだけでなく、それはキャピタル・ソシアルとして社会全体のために役立っていること、それこそが自分が探し求めてきたことに気がつかせてくれたこと、それに礼を言う篤太夫であった。

慶応四年8月30日、世話になった下宿の人たちにも別れを告げる篤太夫。昭武にインモルテルという花を贈るヴィレット。パリともお別れ。次回から舞台は日本に。


(1) NHKはパリのロケハンは実行したようである。役者さんたちは合成でしょうね。VFX恐るべし。
(2)当時、横浜で発行されていた英字新聞、The Japan Heraldかと思われる。
(3)高松は帰国後、箱館戦争に参加。日本ではじめての赤十字活動をおこなったことで知られる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?