見出し画像

むにみずべ 栃木編01 中禅寺湖のピクニックカヤック

大英帝国外交官のお気に入り。これ、知っていますか?


暑すぎる 日本で溶け出す ヨーロピアン

明治より皇居の真ん前に構える英国大使館

ペリーの黒船来航に始まり開国した日本には、続々と列強各国の駐在大使がやってきました。意気揚々と横浜や江戸に屋敷を構えますが、どうにも彼らには耐え難い悩みがありました。夏の蒸し暑さです。
悶えるヨーロピアンは、解決策に乗り出します。それが避暑地の開発。

そもそも日本には、避暑地旅行という概念はありませんでした。
むにみずべで取り上げたくなるような伝統的な水辺の風景は、京都の川床も、江戸の両国花火も、「納涼」が目的。
もちろん日本人も夏が暑いこと位は気が付いていましたが、あくまで暑さは都市の水辺で涼んで解決するものでした。

しかし溶け出したヨーロピアンの熱気は、川沿いのそよ風では到底納まりません。
そうして見出された高原避暑地の代表格が、中禅寺湖でした。


日本語磨いて良い出会いアーネスト

アーネストサトウ
日光自然博物館HPより

明治から戦前にかけて人気の高原避暑地といえば、箱根、軽井沢、そして中禅寺湖。箱根や軽井沢はもともと街道宿が置かれた場所で、やんごとなき外国人が、旅籠を買い取り別荘として使い始めたことに端を発しています。
対して中禅寺湖は、日光に行っていたヨーロピアンが、旅行先として賑わうようになった日光から、喧騒を避けより奥地で静かな中禅寺湖のあたりに別荘を構えたことによって発展します。

特に契機となったのは、日本大好き第6代駐日英国公使アーネスト・サトウです。
彼のファミリーネームは日本が好きすぎて日本名としてサトウと名乗っているかと思いきや、Ernest Mason Satowという、まさかの本名。来るべくして来たということでしょうか。

アーネストサトウは、通訳官として、生麦事件・薩英戦争・四国艦隊下関砲撃事件など、幕末の大事件の場に臨みつつ、日本中を旅行しまくります。公私ともものすごい充実具合です。
そうして横浜外国人に向けた新聞、ジャパン・ウィークリー・メイル紙にて旅行記を連載、のちに日本の英文ガイドブックとしては、京都、横浜に次ぐ3番目として日光のガイドブックを出版するに至りました。

いやはや。胆力がありすぎです。
当時の日本といえば、生麦事件などのように外国人を尊王攘夷などと襲撃するような時代です。今でいうなら外国人を狙うテロが頻発する内戦状態の国、外務省海外安全情報危険レベル4「退避してください。渡航は止めてください。(退避勧告)」が出される危険な国だったはずです。
実際、アーネストサトウも、上司のパークスも襲撃されています。そんな中でも国中を旅行し、「中禅寺湖は箱根の湖よりずっと絵のように美しい」などと書き連ねているのです。肝の座り方が尋常ではありません。

実はムニも、アフリカ某国にひと月ほど出張予定ですが、治安が悪く外出制限をかされ、成す術なくホテル暮らしの毎日です。
もうどうしたら良いのよ、アーネスト。


やんごとなき湖畔に佇む別荘群

英国大使館別荘

そんなアーネストサトウのお勧めもあり、中禅寺湖には列強はじめ各国の別荘が立ち並ぶようになりました。みんな暑さに辟易していましたから、涼しくて素敵な風景がある中禅寺湖は大人気になりました。
最盛期には40ほどあったとも言われる中禅寺湖畔の別荘群の中で、現存するイギリス大使館別荘イタリア大使館別荘は、一般公開されています
その他日光観光ホテル(現在の中禅寺金谷ホテル)など洋式ホテルも生まれ、多くの賓客が訪れました。

これだけの各国大使が夏を過ごすとあって、夏には外務省が日光に移ると言われるほどの盛況ぶり。
外交官の皆様は、絶景を前にお仕事もそこそこにして中禅寺湖を全力で遊びまくりました。

外交官や財閥関係者などが名を連ねた「東京アングリング・エンド・カンツリー倶楽部」も創設され、毎週のように釣りやヨットレース、パーティーが開かれ、上流階級の社交界が形成されて行きました。

湖上のアクティビティだけでなく、普段の行き来や買い出しなどでも船が使われ、各別荘には船着場やボートハウスも作られました。

イタリア大使館別荘の船着場

先ほどのアーネストサトウも、ボートを当たり前のように使いこなす日々を日記につけています。

1896(明治29)年8月3日
ビショップ夫人とクレメント・アレンを乗せて、千手ヶ浜までボートで行き、そこで昼食をとる

アーネストサトウ公使日記より

客人をボートに乗せて上陸した浜でランチ。これぞ世界を席巻した大英帝国の外交官が送る休日です。ちょっと世界を席巻したくなりますね。

そして何と、そんな大英帝国外交官と同じ体験ができてしまうのが今回のむにみずべです


千手ヶ浜に上陸するピクニックカヤック

中禅寺湖畔ボートハウス
日光自然博物館HPより
千手ヶ浜
日光旅ナビより

中禅寺金谷ホテルの一部として昭和22年に作られたのが、中禅寺湖畔ボートハウス。アメリカのリゾートを参考に作られ、ベルギー王国大使の乗ったボートが展示されるなど、往時の中禅寺湖にあった社交界を今に伝える建物です。

ここからカヤックに乗って出発し、アーネストサトウがボートで客人を連れてランチに赴いた千手ヶ浜まで行くのが、今回のカヤックピクニック

カヤック中はこんな感じ

中禅寺湖は湖ですが、風や遊覧船の影響で波が立ちます。この時々訪れる波がまた最高なのです。広い水面で自由に波乗りができ、ちょうど進行方向の波が来た時はグイグイ進むので、とても楽しいです。

そうして辿り着く千手ヶ浜に上陸。なかなか浜に上陸するのも珍しい体験なのでテンションが上がります。またこの浜は一般車でのアクセスができない中禅寺湖西岸にあり、より特別感を感じます。
ガイドさんに持ってきてもらった、バーナーでホットサンドとコーヒーを作り、きっとアーネストサトウも見たであろう雄大な男体山と中禅寺湖の織りなす大自然を目前に、しばしランチタイム。
休憩したら再びカヤックに乗って帰途につきます。

特に紅葉の時期には燃えるような木々を見ながらのカヤックでとても人気です。
ぜひ訪れてみてください。

体験はこちらから
栃木カヤックセンター


中禅寺湖 水上飛行場構想

ちなみに。あまりにも上流階級が辺鄙な場所に集まりすぎて、中禅寺湖に水上飛行機が就航していた時期があるようです。
日光市の公開する1929年の日光の風景。後半の方に水上機の着陸風景があります。

そして日本大学では東日本大震災後の復興として、水上飛行場ネットワークを構築することで過度なインフラ投資を抑えつつ、地方の復興ができるのではとの研究をしています。
壁は大きそうですが、非常に興味深いです。
いつかあのいろは坂を飛び越えて中禅寺湖に行ける日が来るのかもしれません。


参考文献
駒沢女子大学 研究紀要 第16号 p .31 ~ 46 2009
アーネスト・サトウにとっての日光中禅寺
井戸桂子

ランドスケープ研究 1995 年 59 巻 5 号 p. 105-108
近代日本における「避暑」思想の受容と普及に関する研究
十代田朗

この記事が参加している募集

一度は行きたいあの場所

この街がすき

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?