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ある一つの「事実」で「全て」を決めつけるのはもったいない

はじめに

おはようございます。
むぎです。

今日は先日の「好き嫌い」にまつわる記事の中で書いた内容から過去の経験と結びついて浮かんだことを書いてみました。

「好き嫌い」について考えるときには、
どんな判断基準で決めるのでしょうか?

そんなことを考えながら浮かんだ内容です。

ぜひ、前回の記事と合わせてお楽しみください。

ある「事実」はそのものの一部分でしかない

冒頭で紹介した「好き嫌い」にまつわる記事の中で、
「好き」か「嫌い」か、もしくはそれ以外の何かか。

これを判断するときに、おそらくはそのものにある「要素」
判断基準になるのではないかと思います。

ピーマンが嫌い
「苦いから」
「青臭いから」

職場の上司が嫌い
「話が長い上につまらない」
「いつも怒鳴られるから」

いろいろ思い浮かびますね。

しかし、上記のような「嫌い」な理由を除いた場合、
それでもあなたはそのものに対してまだ「嫌い」という感情を抱き続けますか?

食材なんか特にわかりやすくて、
調理方法次第では「苦味」や「臭さ」という
要素は無くすことができて、
それなら食べられるという経験をしたことがある人は
少なくはないのではないでしょうか?

これがあなたが嫌いなあの上司も、
「話が面白くなった」
「人当たりがよくなって親身に寄り添ってくれるようになった」

としたらどうでしょう?

もちろん人間に関してはこんなに急に豹変したら
裏があるのではないかとむしろ気持ち悪く感じるかもしれませんが、
少なくとも、あなたが嫌いだと認識していた「要素」がなくなったとして、
それでもあなたはまだその人を嫌う理由はありますか?

こう考えると、自分はその上司という「存在」そのものが嫌いだったわけではなく、
ある「部分」が嫌いだったのだと認識できるのではないでしょうか?

「全体」と「要素」を別々に考える

このようにして、自分がそのものに対して抱いている感情が
どの「要素」に対して向けられているものなのか。
ということを意識すると、
私はあくまでもその「要素」が嫌いだったわけで、
「全て」が嫌いだったわけではないということに気づけると思います。

すると、冒頭で紹介した「好き嫌い」の記事でも書いたように、
「好き」「嫌い」という二極化した気持ちではなく、
ある部分は「嫌い」だけどそれ以外はなんともない。
「あまり好きではない」程度の気持ちで
とどまることができるのではないでしょうか。

そう考えると、私が今「嫌い」というレッテルを貼っているものにも意外と
好きな「要素」が見えてきたり、
反対に「好き」だと思っていたものも、
「好き」だったのはあくまでもある一つの「要素」だけで、
そこだけ切り取れば別に他でも変えが効くかもしれないと思えるかもしれませんね。

一方、こうやって要素に分けてもどうしても無理だ、という場合もありますよね。
そういった場合は、ある「要素」一つ一つではなく、

複数の「要素」の掛け合わせがダメ
もしくは
複数の「要素」があるから他に変えが効かない
と考えることもできますね。

納豆は「におい」上に「ネバネバしている」のが無理となったら
多分納豆は無理なんですよね。
納豆からあの「におい」と「ネバネバ」を無くしたらただの大豆ですもん。

反対に、
「顔はそこまでタイプではない」けど
「誰よりも優しい」
「考えが合う」
「料理も上手」
というように複数のいい要素が掛け合わさると他に変えが効かない存在だから
ますますその人を選ぶ理由になりますよね。

こうして「要素」と「全体」を行き来して物事を捉えると、
自分の感情をさらに一段階深く理解できるのはないかと思います。

おわりに

今回の内容を書きながら、
よくある不祥事をきっかけとした不買運動
なんかもある「要素」から「全体」を
否定しているいい例だなと思います。

最近もあるマンガ作品が原作者を軽視して好き勝手やって結果的に原作者の方が命をたってしまったという痛ましいニュースがありました。
それをきっかけにその出版社の商品に対して不買運動が行われている。

こういうのもよくわかんないですよね。
今回の件は知れば知るほど酷いものだと思いますし出版社は然るべき対応をしたほうがいいのでは、とは思います。

しかし今回の件をきっかけにそこの会社の商品は全て悪、だから買わない。
というのはちょっと乱暴すぎるんじゃないですかね。

たまたまそこの出版社から出している他のクリエイターの方からしたらたまったもんじゃないですよね。

まあ、これ以上首をつっこんでも不毛なので
好きにすればと思ってしまうのですが。

少なくとも身内がそんな狭い価値観だったら
距離を置きますね。

少し極端な例でしたが、
もしかしたらあなたの「好き嫌い」の判断はもう少し考えてみる余地があるかも
という前回の記事からさらに発展した内容でした。

今回も最後までご覧いただきありがとうございました。
また次回の記事でお会いしましょう。


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