「マスの安心感」を理由にしない

何かを選ぶときに、大手だからとか、シェアが大きいとか、テレビでやってたとか、「マス」のものだから安心という価値観ってありますよね。私もあります。日本人は特に大衆横並び安心志向が強いので、その傾向は顕著です。「みんなが○○だから」というのは、それだけでも何かを選ぶときの理由になるほど大きな力を持つ価値観だと思います。

確かに多くの人に支持されているもの、多くの人が持っているもの、多くの人がそうしていること、というのは本当に好ましいものだからそうなっている場合も多いですし、口コミレビューなんかもとても参考になります。しかし、情報操作が行われている可能性もありますし、社会全体の洗脳によって、知らず知らず選択の自由を奪われていることもあります。特にマスコミなんて世論操作の道具ですから、人々を特定の方向に導くことなんか簡単です。

たとえば、「マイホーム幻想」は日本人に根深いなと思っています。結婚して立派に家庭を築いてマイホームを買って…というのが一般的なロールモデルとして認知されている。「みんなそうしている」「そうすることで一人前」という価値観は、まだ結構残っていると思います。私はマイホーム願望がないので、一生賃貸でいいやと思っているのですが、何千万の買い物は冷静に考えると高すぎる買い物ですし、税金もやたら払うことになる。住み続けると資産価値は下がる上にローン返済の圧迫から身動きが取れなくなるし、完済後も相続税や固定資産税はかかる。それでも買いたいと思う人が多い理由は、「みんなそうしているから」「それが普通だから」ということが多いのではないでしょうか。

大手がやっているものというのは、だいたい搾取ビジネスです。これはこの社会の構造をしっかりわかっていれば明らかで、大手が大手であるゆえんは、莫大な資本を元手にマスコミとの癒着で大規模のマス広告が打てるからであり、「洗脳費用」をめちゃめちゃかけているからです。お金があれば人々を洗脳することができます。大手の企業の給料は概して高い。広告と人件費にお金をかけているわけですから、それらの売っているものの価値はいかほどか…ちょっと考えればわかると思います。

「大手だから安心」、「テレビでやってたから安心」、「みんなやってるから安心」ということについては、本当によく考える必要があります。それだけで思考停止状態に陥るからです。判断の軸が他人軸になっていて、自分がない状態です。自分でよく見極めて判断した結果、やっぱり大手のにしよう、みんながやっているのにしよう、ということになることはあると思います。その場合は、結果は同じことになったとしても、思考停止で「マスの安心感」のみで何かを選択した場合とは、違う意味を持ちますよね。

人生とは「選択」の連続です。その「選択」は本当に自分の本心でしょうか。心から望むことでしょうか。自分を幸せにするものでしょうか。借り物の誰かの価値観からの選択ではないでしょうか。「マスの安心感」から少しずつ離れ、自分自身の価値判断基準を信じ、自立した「選択」ができるようになる個人を増やすことが、社会の閉塞感を打ち破る大きな力になるのです。

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