理想を語ることを恐れてどうする?

こうして日ごろ、「今の社会はここがおかしい」とか「新しい共同創造の組織のあり方とは~」とか書いていますと、「そんなの理想論だ、現実を見ろ、現実的ではない」みたいなことを思われる方が必ずいらっしゃると思うのですが、私は理想を語ることはかなり重要なのではないかと思っています。なぜなら、そもそも「こうあってほしい」という状況を思い描かなければ、実現する可能性は「ゼロ」だからです。

「ビジョン」や「意識」の重要性は、結局のところ「ビジョン」や「意識」に人は集まっているの記事ほかたびたび書いていますが、「ビジョン」そのものが「理想」に向かうエネルギーの方向性ということですから、まずはその方がどんな状況を理想だと感じているか、ということが肝にあるわけですね。その方の「ビジョン」に賛同するのであれば、その方の思い描く理想の状況というものにも賛同しているということになると思います。

そこで「現実を見ろ」と言われてしまうとしたら、そのビジョンが具体的なレベルまで落とし込まれていないのではないか、その方が何の行動も起こしていないのではないか、ということを見直す必要があると思います。今の私の状況ですと、「ピラミッド組織の搾取システムではなく、新しい循環型・共同創造の組織を基盤とした社会にしたい」というようなビジョンが大前提としてあり、具体的にはどうあればいい、ということをnoteの記事にしながら考えている状況、こうして発信しているという状況です。これから発信以外の具体的な行動も始めるべく準備しています。

まず理想の状況を「想像」することで、その状況に自分のエネルギーを注いでいくことが可能になるわけです。次に具体化していくことでエネルギーの純度を高めていく必要があります。それから徐々に現実が変化していき、理想の状況を「創造」していけるようになるんですね。ですから、理想の状況を思い浮かべることは非常に重要なんです。それは自分一人の単位でも、家族単位でも、コミュニティ単位でも、社会単位でも、全部同じように作用します。人数が増えるごとに難しくなるように感じますが、「ビジョン」や「意識」ベースでコミュニティを形成していけば、同じエネルギーの集合体が自然発生的にできてくるわけですから、そういった集合体同士が手を組んで拡大していくと、徐々に社会に対する一大勢力になっていくと思うんです。

これは具体的な話なのですが、今私が理想の状況を思い浮かべないことに、「女性の社会進出、子育てと仕事の両立」の話があります。これは「こうあればいいのに」という状況が自分の中で固まっていません。単純に保育所を増やすとか、そういう問題ではないと思うんですよね。なるべく国の制度に依存したくない、という思いもあったりして非常に悩ましい。ここにもおそらく、「循環型・共同創造」の考え方を入れていくことで、庶民の人々同士で構築できるシステムがあると思うのですが…。この件については、自分の理想、つまりビジョンを提示できないので、具体的な行動にも移れない部分があります。これは今後の課題です。

たとえば、今の話を例にしても「誰もが安心して子育てができる地域社会を」とか、行政が言いがちなことをビジョンとして提示したとしても、だれも見向きもしないわけですよね。そんなの当たり前すぎて、「それで?」って言いたくなります。私がここで言っているビジョンというのは、それよりもう一段階具体化したレベルのことですね。その人「らしさ」がにじみ出てくる部分です。

社会や組織を批判することは簡単です。理想の状況を思い浮かべ「ビジョン」として提示し、具体的な行動を起こすところまでやらなければ「口だけだ、現実を見ろ」と言われてしまいます。これ、なかなかできる人は少ないと思うんですね。現状を批判し、不満を言いながら、その状況に甘んじている人がいかに多いか。「理想ばかり言うな」という批判を跳ね返すくらい、ビジョン提示から具体的な行動を起こして、自分を変えていきましょうよ。これからは「理想を語ることを恐れない」というメンタルタフネスがいっそう必要になってくるかもしれませんね。

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