小説を書く時のイメージ

 こんにちは。ひかるです。またまた久しぶりの投稿となってしまいました。今回は小説ではなく、ちょっとエッセイっぽいことです。

 小説を書いていることを周囲の人に言うと、当然びっくりされるわけですが、そのときよく聞かれるのが「どうやって書いているのか?」ということです。

 どういうことかというと、小説とか物語を考える上で有名な「起承転結」を使って考えているのか、という意味ですね。つまりストーリーを描くのに、どんな方法を用いているのか、という質問をよくいただくわけです。確かに、普段創作をしない方からすると、この点は単純に疑問なのかもしれません。

 で、結論から言ってしまうと、僕は「起承転結」とか「序破急」とかの枠組みは利用せず、「頭に浮かんだ映像を文字化すること」で小説を書いているのです。

 「頭に浮かんだ映像」についてなんですが、僕は普段生活していると、突然脳裏に映像が浮かんできます。これはなんというか、思い出すとか考えるとか、そういうのではなくって、本当に急に「映像が出てくる」感じです。そうですね……イメージとして想像してほしいんですが、「あなたは、電気を消した暗い部屋の中で、砂嵐が写っているテレビを見ています。あなたは飽きもせず、その砂嵐を呆然と眺めています。しかしあるとき、急にそのテレビに映像が映ります。それは予兆も前兆もなく、まさに唐突です。あなたは雷に打たれたように正気に戻り、手元にあったメモ帳に、ペンで必死にメモを取ります。もちろんメモの内容は映像そのものです。一生懸命メモを取っていると、いつのまにか映像は消えています。あなたは記憶が残っているうちに、さっきの映像をすべてメモ上に書き起こそうと試みます。そしてようやく一段落して、今自分が書いてきたメモを見直します。メモを見る限り、さっきの映像を無事書き起こせているようですが、それを読んでみても、さっぱり内容がわかりません。なぜならあの映像そのものも、元となる映像を断片的に切り取ったものだから。それをメモしたところで、前後や背景がわからないので理解できないのです。あなたは途方に暮れて、テレビに映像の続きが映るのを待ちますが、テレビは砂嵐を表示し続けている……」。という感じです。伝わりますかね?(-_-;)

 僕はその「断片的な映像」を、文字に書き起こすようにして小説を書いているのです。できる限りに正確に、あのとき見たままを描くように。もちろん記憶には限界があるわけですから、当時見たときと書いたものが多少変わっているかもしれません。僕にはそれがすごく残念に思う。
 映像は切れ切れではあるけど、たまにその続きを見せてくれることもあります。飛び飛びだったり、こないだ見た映像よりも、時間的にもっと前のものが見えたりします。僕はそれを逐一メモします。でも、できる限りメモするけど、やはりそれらをどうつなぎ合わせても、間が埋まらないことがあります。そこは頑張って僕が妄想するしかありません。切れ切れの物語をうまく橋渡ししてくれるように補填するのです。僕は小説の才能がないので、その作業をするのはとっても大変です。その作業は「創作」と言っていいかもしれません。でもそれ以外の、映像を文字に書き起こす作業は、口が裂けても「創作」とは言えません。強いて言うならば、僕にその映像を見せてくれている誰か、あるいはその映像を作った最初の人が創作者なのです。

 ですから僕は自分の作品に自信がありません。第一に、その小説は本当の意味で僕が創った小説ではないから。次に、僕はできる限りの力を用いて映像の書き起こしと物語の補填を試みたけれど、僕みたいな素人がやることなので、ひょっとしたら映像が本来示したかったものと大きく違ってしまっているんじゃないか、という不安があるからです。

 そんな不安を抱えながらも、僕は懲りずに小説を書いています。なんで書いているのかというと……まあ色々理由があるんです笑 前にも他のエッセイで書きましたが、自分の書きたいことを書き終えたら、執筆を辞めるつもりではあります。書きたいこととはつまり、「過去に映像として見てきた物語たち」を示します。

 ちなみに、たまに脳裏に浮かぶその映像とやらは、これまた不思議なんですが、ぜんぶ「アニメ映像」です。僕は普段アニメを見ないし、子供のころもそんなにアニメ好きというわけではないのに、なぜか頭の中に浮かぶのはアニメなんですよねー。不思議です。いったい誰が、僕にそんなものを見せているんでしょうか? 


PS. 普段僕はAmazon Prime Videoで洋画とか海外ドラマを見ます。最近見ておもしろかった作品は『エクソシスト』です〜!

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