『ボーはおそれている』を見てきた感想と、理解のヒントになるかもしれない観点(ネタバレ注意!)

本記事は作品のネタバレを含みます

感想(ネタバレなし)

『ボーはおそれている』を見てきました!

 アリ・アスター監督の新作ということで、去年から非常に楽しみにしていた。公開が遅かったので「もしや日本では公開されないのかも?」とヒヤヒヤしていたのですが、無事視聴できて良かったです!

 私はアリ・アスター監督の作品が大好きで、特にデビュー作の『ヘレディタリー 継承』は個人的にもお気に入りでした。最近ノリにノッているアリ・アスター監督の新作ですから、見ないわけにはいきませんでしたね。

 さて、視聴した感想をざっくり言うと、「とんでもない作品だ……」というのが最初に湧いた感想でした。アリ・アスター監督の作品は、『ヘレディタリー』も『ミッドサマー』も、決して頭空っぽにして見られるような作品という感じではありませんが、一応考察なしにシンプルに楽しめる作品でもありました。一方で、この『ボーはおそれている』は、頭空っぽにして見ていると、作品の混沌とした部分が脳内に流れ込んできて、視聴者もパニックになってしまうような感じがあり、途中で「これはちょっと映画と一歩距離を置いて見たほうが良さそうだな……」と思うようにしていました笑

 なので、大ヒットした『ミッドサマー』からアリ・アスター監督にハマった人だと、思っていたような作品ではなく戸惑ってしまうかもしれません。『ミッドサマー』にあったような、「不快だけど、どこか爽快感のある雰囲気」は、本作にはありません。視聴者が感情移入してしまうようなキャラクターもいません。見終わった後の妙に爽やかな感覚もありません。そして何より、長いです笑 映画は三時間もあるので、僕は途中からトイレに行きたくてしかたがありませんでした。そしてその長さに見合う分の濃い物語であったかと聞かれると、僕は少し首をかしげてしまうのです。

 一方で、この作品は非常に興味深く、視聴後も頭はハテナだらけなのですが、そのハテナを解消してみたいという思いは強く残ります。上映中に2回目を見に行くかは微妙なところですが、もしアマゾンプライム等で配信されたら、二度三度と見返してみて、頭に残っていた疑問を解消しようとするかもしれません。なので、この記事は、いずれしっかりと考察をするためのある種のメモとして残そうと思っています。

 『ボーはおそれている』を見て混乱しているみなさん、一緒に考察しましょう! 僕は映画の考察にやや自信がありましたが、この作品を見てからは少し自信をなくしてしまいました。それでも、少しでも自分なりの考察メモを残してみて、この作品に対する理解を深めたいと思います。

 あくまで残りの記事は、考察メモという感じで、私個人の結論はまだ出せていないのですが、その点をあらかじめご了承ください。


以降はネタバレあり! ご注意!





物語を4分割してみる

 この非常に混沌とした作品を理解するために、物語を分割してみましょう。この映画は三時間もあるため、考察するのにも分割手法を用いないことには進みません。
 私は、この作品は以下の4つに分かれていると思います。作品の時系列順に並べます。ちなみに★の数は、考察の難易度を示します。

  1. 自宅脱出編 ★☆☆

  2. 外科医の家編 ★★★

  3. 森の劇団編 ★★☆ 

  4. 母親の家編 ★★☆ 


1. 自宅脱出編について

 映画は、ボーが母親から生まれる瞬間(というか胎内)から始まります。そしてセラピストとの会話に続き、何やら「ボーが母親の家に帰ろうとしている」ことと、「母親との関係性に対する懸念がある」ことがわかります。セラピストとの会話が終わると、新しい薬の処方箋を差し出され、「必ず水と一緒に飲むように」と釘を刺されます。
 この最初の「自宅脱出編」は、全体的にコメディタッチに描かれております。なぜかボーはとんでもなく治安の悪い地区に住んでいて、毎回家に帰るのも命がけという感じです。治安が悪い地区ですが、部屋の中は結構広めだったので、ボー自身はめちゃくちゃ貧しいというわけではないのかもしれません。
 このあたりは、正直そこまで考察を重ねる必要はないかなと思っていて、主にコメディな部分を楽しめばいいかと思います。殺人クモが当たり前のように家の中にいるし。家の鍵はなぜか盗まれるし。そして路上のチンピラたちが、一瞬の隙をついてボーの家に侵入し、どんちゃん騒ぎするし。
 ただ、この「自宅脱出編」で気になる点と言えば、セラピストから処方された薬を、水なしで当初飲んでしまうシーンですね。ひょっとしたら、ボーはここで強い幻覚を見るようになってしまい、後のシーンはすべてボーの幻覚なんじゃないか……と思わないでもないですが、さすがにそれは強引な考え方のような気がします。
 また、ボーは母親の家に帰ることに、あまり気乗りしていない様子が見られます。ワクワクしている感じはなく、やむを得ずという様子で準備をしています。後で分かることですが、どうやらボーの母親は、いわゆる毒親で、ボーに対して虐待に近い行いをしていたとのことなので、帰るのに気乗りしないというのもわかります。
 そしてもう一つ。ボーは貧困地区に住んでいるので、家族全員貧しいのかなと思いきや、なんと母親は大企業の社長とのことで、相当なお金持ちのようです。ボーの幼少期の記憶も、豪華な船で過ごしているシーンがあるので、どうやら昔はリッチに暮らしていたようでした。
 ボーがなぜ、母親が裕福であるにもかかわらず、貧困地区に暮らしていたのかはわかりません。相当治安が悪い地区なので、嫌々住んでいたと考えるのが妥当そうです。職場が近いからとか、安月給なのであそこにしか住めないとか、そういう理由もありますが、大事なことは母親から資金提供は受けていなさそうというところです。多少のお金をねだってもバチはあたらなさそうですが、そんなことはせずに、あの地区での生活に甘んじているようでした。それも結局、少しでも母親から離れた生活をしたいという、ボーの願望の現れだったのかもしれません。
 そんなボーですが、母親が死亡したという知らせを聞いたときは、心からショックを受けているようでした。母を苦手と思いつつも、息子としてそれなりに愛していたことがうかがえます。
 繰り返しますが、この「自宅脱出編」は、リラックスしてコメディ要素を楽しめばいいと思います。ボーが隣人の騒音のせいで寝過ごしたシーンもコミカルでおもしろかったですね。時計を見たら午後になっていて、「うわああ!」と叫ぶところは笑えました。この騒音問題って結局なんだったんでしょうね? たぶん苦情を言ってきたのは隣人で、頭がおかしいのか知らないんですけど、ボーの部屋から爆音が聞こえると思い込んで、最終的に仕返しで爆音の音楽を流して嫌がらせしたのだと思います。僕はあんな爆音だと一睡もできないので、それでも少し寝たボーをすごいと思います笑

2. 外科医の家編について

 さて、問題の外科医の家編です。正直に言いますが、さっぱりわかりませんでした!笑 この章だけ考察の難易度が爆上がりしている気がします。そして難しい割に、後の物語の展開に深く関わるような描写があるかと言うと、そうでもない気がしているのです……
 まず、この2章は疑問だらけです。一章目で、ボーはなんやかんやあって、全裸で路上を走り回り、車に轢かれたあげく、狂った全裸の男に腹と手を刺されるのでした。そしてボーを轢いた夫婦が、なんでか知らないけど、ボーを自宅につれていき、献身的な看病をしてあげたのです。それもわざわざ娘の部屋にボーを寝かせて。
 どうして夫婦はボーを病院に連れて行かなかったのでしょうか? そして、見ず知らずの中年男性にはあまりにも手厚すぎる保護を与えていたのは、なぜでしょうか?
 理由はわかりませんが、夫婦はボーを家族の一員に迎えようとしていた気がします。妻の方も、ボーを「ベイビー」と我が子のように呼んでいました。割れた女神像を修復してあげていましたね。最初は「事故を隠蔽するために、仕方なく自宅に引き取ったのか?」と思っていましたが、そういうわけでもなさそうです。
 さらに、この外科医の家に潜む数々の謎があります。娘はボーに何を求めていたのでしょうか? 彼女はボーに「お前はテストに落ちた」と言っていました。なんのテストなんでしょうか? そのテストは「死んだ兄の代わりとして家族の一員になれるか」のテストだったのでしょうか? わかりません。どうして娘は最後、ペンキを飲んで自殺したのでしょうか? というか、その前に、ボーを車に乗せて、麻薬を吸わせ、意識を混迷状態にさせたのはどうしてなのでしょうか。まったくわかりません。
 妻がボーに示していた、意味深な言葉はなんだったのでしょうか? カップの下に敷いた紙には、確か「自分を責めないで」的なことが書いてあった記憶があります。これはなんでしょうか? そもそもボーが自分を責めるようなことって何かありましたっけ? よくわかりません……。そして最大の謎である、チャンネル78(でしたっけ?)の件があります。そのチャンネルには、部屋の映像が記録されていましたが、なんと過去の映像だけでなく、未来の映像も映し出されていました……ドラえもんばりの未来道具の登場です。その映像には、母親の自宅も映っていたので、どうやらボー視点のものも含まれているようでした。
 意味がわかりません!!!!
 過去と未来が映し出されたチャンネルの件は、どことなく「ボーの物語が、ある種の劇中劇である」のではないかという気がします。劇中劇とは、劇の中に挿入された劇のことです。ボーの人生そのものが、作品の中で劇として描かれているのではないか、という考えです。そしてそれは、3章にも少しつながってきます。つまり「ボーはおそれている」という作品は、ボーという中年男性の人生を描いた作品であることを、作中の中でも言及されている、ということです。頭がおかしくなりそうだ……

 娘が言っていたテストの件、もう少し頭を捻ってみます。まず、娘がボーに対してやったことを整理しましょう。

自分の部屋をボーに貸してあげた
 2章の最初、娘とその両親との会話で、「部屋が他に空きがない」という会話をしていました。空きがないから、しかたなく自分の部屋をボーに貸してあげたと読み取れるシーンですが、後の方で、むしろ自分の部屋以外(ソファー)で寝るとキレていたので、ボーが自分の部屋を使うこと自体に抵抗があったわけではないようです。

居候であり、兄の戦友である巨漢の男に、何か指示をしていた
 何を指示していたんでしょうか? わかりません。「あの男(ボー)を始末して!」と言っているのではないかと思っていましたが、結局あの男性は娘の母親から指示を受けるまでボーを襲っていませんでしたね。たぶん「あの男を見張っていて!」といった程度の指示をしていたんじゃないでしょうか。ひょっとしたら「この家から出ようとしたり、私の部屋以外の場所で寝たりしてたら、なんとかして!」と伝えていたのかもしれません。実際、ボーが麻薬を吸って、意識がもうろうとしていたとき、ボーは娘の部屋ではなくリビングで寝ていたのですが、そのときあの男性が暴れ出したのでした。注射器を何本も打たれていたのにもかかわらず、激しく暴れていたので、どうやら通常の発作とは少し違うようです。あれはボーを娘の寝室に引きずり込もうとしていたのかもしれません

ボーを麻薬漬けにして、車でドライブした
 
意味がわかりませんね笑 なぜそんなことをしたのでしょう? 娘は友達と協力して、ボーを車に乗せ、クスリを吸っているシーンを動画撮影していました。その動画はどうするんでしょうか? TikTokやInstagramに上げるんでしょうか?
 あと、車に載せるとき、娘は「ボーが新しい兄貴である」的なことを言っていましたね。養子縁組をするとかなんとか。そして、この文章からわかることは、やはり家族はボーを家族に迎えようとしているということです。そして娘は、ボーを家族に迎えるにあたって、自分がこなすべき役割を全うしようとしているように見えます。
 ボーにクスリを吸わせたのは、ボーに幼少期のことを思い出させるためかもしれません。つまり、娘はそういう役割なのです。「ボーを兄として迎え入れつつ、過去のことを思い出させる」というのが彼女の役目なのかもしれません。かなりメタっぽい考えですが。

ボーにペンキを渡し、兄貴の部屋をペンキで塗りたくろうとしていた
 
わかりません。さっぱりです。娘はボーに対して怒っていました。自分の部屋で寝なかったことと、テストに落ちたことです。
 ここまで整理すると、やはりテストとはボーが家族に一員になれるかどうか?だったんじゃないでしょうか。そしてボーはそれに落第した。落第した理由はわかりません。考えられることは、昨晩娘の部屋で寝ずにソファーで寝たことです。それがどうして落第の理由になるんでしょうか? 


 ここで、外科医家族の思惑を整理してみたいと思います。まず、夫婦はボーを家族の一員にしたがっていました。ただ、偶然轢いてしまったフルチンの中年男性を家族に迎え入れようとする理由はわかりません。一つは戦死した長男の代わりをずっと探していたということが考えられますが、その代わりがどうしてフルチン中年男性だったのでしょうか? ボーの私物であった、女神像に書かれたボーの文字を見て感動したのかもしれません。あるいは、劇中劇の話もあった通り、単純に夫婦は偶然轢いたフルチン中年男性を家族に迎え入れるという筋書きに従っただけのこと、なのかもしれません。
 そして娘の役割は、なんとしてもボーを「家族の一員になれるテスト」に合格させることで、それが失敗したら自分もボーも死ななくてはならなかったのかもしれません。そしてそのテストの要件は、一つ目はボーは必ず娘の部屋で寝ること、2つ目は麻薬をきっかけに自分の過去を詳細に思い出すこと、なのかもしれません。娘の部屋で寝なくてはならないのは、逆に言うとリビングのソファーで寝てはいけないことを示します。リビングは家族にとって中立的な場所なので、そこで寝るのはルール違反です。また、兄の部屋は聖域なので、いくら新たな家族であるボーと言えど眠ることはできません。ゆえに消去法的に、娘の部屋が妥当なのです。あたかもその部屋で眠ることによって、ボーが家族としての洗礼を受けることができるかのように。しかしボーは、麻薬でラリっていたのでしかたないですが、娘の部屋で寝ずにリビングで寝てしまったので、テストに落ちてしまったのでした。そして役割を全うできなかった娘は、罰として死を選び、ボーにも死ぬことを命じます。
 自分でも書いてて「何言ってんだ?」という感じですが、勘弁してください、私もわからないのです……

 この「外科医の家編」は、こうやって少しずつ整理してはみるものの、疑問点が多く、わからないことばかりです。とは言え、前述の通り、この作品は「どこかメタっぽい要素」が散りばめられている気がしていて、その部分がこの章に顕著に現れているような気がしているのです。

 さて、このあたりは、あまり読者のみなさんにとって考察の助けにならない解説だったかもしれません。すいません……話は変わりますが、2章の最後、ボーは外科医の部屋から逃げ出すのですが、彼が窓ガラスをぶち割って逃走するシーン、あまりにも見事でしたね! ああいうガラスをぶち破って脱出する演出、よくドラマやアニメで見かけますが、ホアキンの演技力もあってか、疾走感と勢いが抜群に感じられていました! 思わず笑ってしまうくらいいいシーンでしたね笑

3. 森の劇団編について

 外科医の家から逃亡したボーは、偶然森でとある劇団に出会います。そのまま成り行きで、ボーは劇を観ることになるのですが、その物語がボーの人生と近しいところがあり、彼は次第にその劇に感情移入していくのでした。
 この章ですが、実は私はこのあたりでけっこう疲れてしまっていて、あまり内容が頭に入ってきませんでした笑 とは言え、たぶんこの「森の劇団編」は、それほど考察すべきとこはないんじゃないかなと思っています。
 たぶん、ボーは劇団を見ているうちに、自分の人生と重ね合わせ、「辛いけれども、自分が過ごしたい人生」を脳内で描いていたんじゃないでしょうか。妻と結婚し、息子を3人作るけれど、離れ離れになってしまい、放浪を重ねていく。最終的には、偶然見つけた村でやっていた劇で、成長した3人の息子と出会うことができる。妻はいないが、それでも息子と会うことはでき、彼の人生は孤独で終わることはなかった……
 ボーが心のどこかで望んでいる人生が、この章で描かれている気がします。
 そして重要なことがいくつかあります。このボーが妄想している劇の中で、3人の息子の顔は描かれるけど、嫁の顔はなぜかきちんと描かれません(絵として描かれていたり、嫁役の女性が仮面を付けていたりした)。そしてハッピーエンド風に終わるのに、最後は嫁と再会できません。それはなぜでしょうか? 一つ考えられるのは、ボーは女性と付き合ったことがないため、嫁の具体的な姿を想像することができなかったし、「結局自分は最愛の伴侶をどこかで失ってしまうのだ」という謎の思い込みが反映されていた、ということです。実際、「結局自分は最愛の伴侶をどこかで失ってしまうのだ」という点は合っていましたよね。
 そしてもう一つ。ボーは女性との性体験がないことが明かされます。理由は、母親から「あなたの父親は、私との性行為中に亡くなった」という話を聞かされていたため、性行為をしてしまうと死んでしまうのでしなかった、ということかと思います。この「あなたの父親は、私との性行為中に亡くなった」は結局、嘘だったわけですが。ちなみに、劇の妄想から現実に戻ってきたのも、「そういや俺、童貞だし、子供作ろうとすると死ぬから、この劇は無理があるな……」と自覚したからですね。
 また、現実に戻ってきた後に、隣に座っている妊婦に、母親に上げるはずだった女神像を渡していましたね。これは、自分の理想の人生を劇として思い描いたことによって、女性に対する考えを少し改め、妊婦に恋心をいだいたとまではいかないものの、純粋な好意を示したってことじゃないでしょうか。きっとボーは女性に苦手意識を持っていて、恋愛感情が薄れたまま生きてきたけど、劇の妄想によってそれが少し変わったということが考えられます。
 そして最後にもう一つ。謎の男性がボーの前に現れました。彼は劇が始まる前に「すみません、どうして私はここにいるんでしょう?」的なことを周りに聞いていましたね。つまりこの男性は、この場にいてほしいから突如としてここに召喚されたんです。そして彼の役割はボーと出会うことだった。ボーはこの男性を父親と認識したっぽいのですが、それはどうでしょう……? 男性は自分でも「君のお父さんの世話をしていた」「君の両親に借金をしていた」と言っていたので、後述しますが、単に例の化け物の世話役だったのかもしれません。男性はボーに「会えて良かった」と心から言っていましたが、ひょっとすると「あんな化け物から生まれた子供が、立派に成長しているのを見られて安心した」ということなのかもしれません。どちらにせよ、ボーはここで「自分の父親は生存している」ということを確信します。

4. 母親の家編

 さて、怒涛のラストです。ボーはいよいよ家に帰ります。このラストでは本当にいろんなことが起きて、観客の脳みそをぐちゃぐちゃにするのですが、落ち着いてわかったことを書いていきましょう

  • ボーの母親は死を偽装していた。その理由は、たぶんボーを強制的に家に招くことだった

  • ボーの初恋の女性は、母親の会社で先週まで働いていたとのことだが、このあたりには謎が多い

  • ボーは始めての性行為を行った。父親の話を聞いていたこともあって非常に恐怖していたが、結局は大丈夫だった。しかし初恋の相手は腹上死した。

  • ボーの母親は、息子を愛していたものの、非常に歪んだ愛情を抱いていて、ボー自身もそれを恐れていた

  • 母親はボーを監視していて、セラピストを使って情報を収集していた

  • ボーの父親は生きていたが、巨大なチ◯コの怪物だった

  • ボーは母親を絞め殺してしまい、ボートに乗って逃走したが、最後には裁判にかけられ、死罪となった

 まとめていて、自分でも頭がおかしくなった気がします笑
 いくつか抜粋して、もう少し詳細を深ぼっていくとします。


  • ボーの母親は死を偽装していた。その理由は、たぶんボーを強制的に家に招くことだった

 結局、母親の死体らしきものは、メイドの死体を偽装したものでした。母親はメイドに巨額の金を払い、死んでもらう代わりに、自分の死を偽ったのでした。
 どうしてそこまでしたのか? 母親は「その金を払う価値があった」と言っていました。しかし、価値とはなんでしょうか? おそらく彼女は、「ボーは私の誕生日だと言うのに、適当な嘘を重ねて家に帰ってこない。憎たらしい。こうなったらなんとしてでも家に招いてやる」と思い、シャンデリアによる事故死を偽装したのだと思います。
 いやいや、息子を家に呼ぶのに、やり過ぎでしょ。
 まず、ボーは家に帰ろうとしていましたよね、本当に。いろんなアクシデントがあってやむを得ず、当日キャンセルしただけで。それを「家に帰りたくないいいわけだ」と母親は決めつけていました。
 ここで見落としがちな点を言及しておくと、ボーは実は数か月前にも母親の家に帰っているんですよね。冒頭のセラピストとの会話でも言っていましたよね。つまり、ずいぶん久方ぶりの帰省というわけではないんです。単に、母親の誕生日を控えていたから、数ヶ月ぶりに帰ろうとしていたんですよね。
 意味がわかりません。どうしてこんな大掛かりなことをしてまして、ボーを家に帰らせようとしたのでしょうか。
 また思考停止の考え方を、あえてしてしまうと、「ボーをなんとしてでも家に帰らせようとすること」が彼女の役目だったのかもしれません。役目ってのはつまり、神様か何かの指示なわけです。そしてボーは「家に帰る旅路の中で、自分自身の過去に向き合うこと」が求められていたのかもしれません。


  • ボーの初恋の女性は、母親の会社で先週まで働いていたとのことだが、このあたりには謎が多い

 ここも地味に謎です。ボーは、第二章の外科医の家編で、娘のPCを使ってネットニュースを見ていたら、自分の初恋の相手が、母親の会社で働いていることを知って驚く(というか吐く)のですが、初恋の相手曰く「先週まで社員だった」とのことでした。
 先週までということは、テレビのインタビューに答えていた時点では、まだ社員だったんですかね? そして、退職したのはなぜなんでしょうか? 社長が死んだからでしょうか? 
 そして、ボーは母親に「彼女は、あなたの会社で働いていたのか?」と聞いていましたが、その質問に直接答えてはいなかった気がします(「本人の口から聞きたいわ」、的なことを言っていた記憶があります)。まあ、大企業の社長であれば、イチ社員の顔をいちいち覚えているわけはありませんから、反応としては妥当かもしれません。
 謎といえば謎ですが、まあ深い謎というわけでもなさそうです。
 また、どうでもいいといえばどうでもいいのですが、ボーと彼女は年齢的にも近いはずなのに、女性の方はかなり若々しいですよね? 三十代くらいに見えるのですが、ボーが50代くらいだと考えると、ちょっと釣り合っていない気がしています。


  • ボーは始めての性行為を行った。父親の話を聞いていたこともあって非常に恐怖していたが、結局は大丈夫だった。しかし初恋の相手は腹上死した。

 この映画は、ホラー映画ではなく、コメディ要素が強いわけですが、初恋の相手が腹上死したシーンは、けっこう怖かったです笑
 この女性も、あっさりボーと性行為するわけですが、いくらなんでもトントン拍子にコトが進みすぎている気がします。まるで「この女性はボーと出会い、性行為をし、腹上死するために用意されたキャラクター」のような感じさえします。
 なんで腹上死したのでしょうか? そして母親は、女性が腹上死したことにも動揺せず、使用人たちにさっさと片付けさせています(あのモノを扱うように運んでいくシーンも少し不気味です)。ボーの精子に毒でも入っていたのでしょうか?(ゴムを突き破ったとか言ってたし)とはいえ、女性が死んだのも、彼女が果てたときなので、いわゆる一般的(?)な腹上死と考えて良さそうです。
 わからないんですが、ここで描きたかったのは、どうあがいたってボーは幸せにはなれない、ということだったのではないでしょうか。彼は初恋の人とようやく一つになれたし、性行為で死ぬこともなかった。ああ、ようやく幸せになれた、と思った直後に、初恋の人が突然死するというジェットコースターような展開が起きました。これ以上ない悲劇です。やはり、ボーが妄想していた劇のように、彼は最愛の伴侶を途中で失ってしまうのでした


  • ボーの母親は、息子を愛していたものの、非常に歪んだ愛情を抱いていて、ボー自身もそれを恐れていた

 衝撃の事実。なんとボーの母親はいわゆる毒親でした。ボーに対して歪んだ愛を向けていました。毒親になるありがちな理由としては、やはりその親も毒親だったという点です。
 彼女は終始、ボーに対してキレているのですが、何にキレているのかいまいちわかりません。初恋の相手と、自分の寝室でセックスしたからでしょうか? それとも自分の誕生日にボーが来なかったからでしょうか? ボーは母親のどんな期待を裏切ったのでしょうか? さっぱりわかりません。
 また、ボーの記憶の中では、どちらかというと母親との良い思い出が描かれていました。ボートで母親と過ごした記憶が蘇っていましたね。あれを観る限り、仲睦まじい家族のように見えましたが、実際セラピストに語っていた内容はそうではなかったようです。
 観客は、この終盤になるまで、母親が毒親であるということがわかりません。いや、ちょっとは感じているかもですが、確信につながるシーンはありません。それはボーが、「母親の毒親的な部分をまったく思い出さない」からです。クスリでラリってるときもそうでした。それなのに、セラピストと話すときはそのあたりを言及している。なぜでしょう。


  • ボーの父親は生きていたが、巨大なチ◯コの怪物だった

 ここらへんで「もう勘弁してくれ」という感じでしたね笑
 さて、このシーンはいったいなんなんでしょうか? どこまでが本当で、どこまでが嘘なんでしょうか?
 まず、ボーは屋根裏部屋に入りましたよね。そして懐中電灯を照らした先には、汚いボロを着た男性が鎖に繋がれていました。
 最初、この男が父親かと思ったんですが、違いましたね。この男性はなんなんでしょうか? 森の劇団編で出会った男性みたいに、父親の専属の使用人とかでしょうか? 使用人にしてはずいぶんひどい扱いを受けていたようですが。
 そして部屋の隅にいる、チ◯コの化け物! 化け物はボーに見覚えがあるようでした。すっかり恐れおののくボー。そしてそこに割って入るように、外科医の家から追ってきた巨漢の男性が乱入し、いよいよ状況はカオスに!
 巨漢の男性はボーに投げナイフを投げますが、奇跡的に刺さりませんでした。そしてその勢いのまま、彼は怪物に突進していき、玉のあたりを滅多刺しにします。
 なんなんだこれは!!!!
 しかし、決死の突撃もあえなく、男性は頭を貫かれて絶命します。そして転げ落ちるように、階下に脱出するボー。母親の足元にすがりつきます。
 母親いわく、ボーはかつて子供の頃に、屋根裏部屋に実際に入ったことがあるとのことだったので、これを覚えていてもおかしくないのですが、トラウマになるのをさけるべく、脳が防衛的に忘れていたのかもしれません。
 この怪物はなんでしょうか?
 この怪物はなんでしょうか?(2回目)
 この「ボーは恐れている」が混沌の作品である最たるシーンのような気がします。
 まず、男性器を模したあの怪物は、何かのメタファーなのでしょうか? 男は「チ◯コの権化である」という比喩なのでしょうか。そしてそれに少し関連しているかもしれない場面があります。それは、母親がかつてのボーに言っていた「今のあなたが誇らしい」という言葉です(たしか、寝室で二人が一緒に寝ている時に、母親が言ってた記憶があります)。
 これは、「今の、性欲に支配されていない、無垢なあなたが誇らしい」という意味だったのかもしれません。男なんてセックスすることしか頭にない俗な生き物で、自分の夫もそうだったけれど、少なくとも今のあなたはそうじゃない、ということです。
 そうすると、ボーと母親が家で再会したときに、母親が怒っていた理由もなんとなくわかります。「息子、よくも童貞を捨てたな! よくも父親と同じに成り下がったな」と。
 ああーなるほど、と思いつつ、一方で、母親はあの船の中で、息子に「あの女の子を狙っていけ」的な後押しをしていたんですよね。攻略法まで伝授してあげてました。うーん、矛盾している気がするなぁ……。
 あと、ボーを狙っていた巨漢の男が、迷いなく化け物に向かっていったのも気になります。彼の役目は、ボーを八つ裂きにすることなので、怪物はどうでもいいはずなのですが。あるいは、彼は「諸悪の根源」であるボーの父親を殺すことが大切である、と思い込んだのかもしれません。いや、諸悪の根源は本当にこの怪物なのかなぁ……どちらかというと母親のような気がするけど。


  • ボーは母親を絞め殺してしまい、ボートに乗って逃走したが、最後には裁判にかけられ、死罪となった

 ボーはいよいよ母親に手をかけてしまいます。無理もない気はしますが。母親の方は憎しみがどうたらと言っていましたが、よくわかりません。
 で、ボーはボートに乗ってどこかに行くのですが、気がつくとスタジアムみたいなところについてしまい、そこで裁判にかけられます。おそらく罪状は「母親の愛を無碍(むげ)にした罪」でしょう。ちゃっかり殺したはずの母親も生きてます。一応、ボーにも弁護人はついているのですが、この人も葬られてしまいました。
 結局、ボーは自分の罪を覆すことはできず、死刑に処されてしまったのでした。おしまい。
 ……ちょっと待て。おかしいでしょ。なんで死刑なの? 母親の方がよっぽど悪いことしてるじゃない。なんでやねん。
 ボーがあまりにも可愛そうでは?
 この裁判はあまりに不当で、被告人の意見が完全に無視されています。母親の言い分が全面に採用されているのです。
 結局、ボーが死刑にならざるを得ない理由もわかりませんでした。最後、ボーは必死に助けを求めていましたが、どこか諦めたような表情を浮かべていました。自分の死を悟ったようでした。


 さて、以上が、物語を四分割して考察した結果になります。
 いや、考察とは呼べない、単なるメモですね、これは……すいません。
 以降は、この混沌とした作品を私が少しでもまとめようと試みた文章になります。参考までにごらんください。

ボーは何をおそれていたのか

 さて、タイトルについての考察です。
 ボーは何をおそれていたのでしょうか?
 彼は物語の終始、いろんなことにビビっていました。治安の悪い地区、意味不明なことを言ってくる外科医の娘、自分を八つ裂きにしようと追ってくる巨漢の男、怪物の父親、そして毒親の母親……
 冒頭から一貫して、ボーが内心ずっとおそれているのは、自分の母親でしたね。自分に厳しく、歪んだ愛情を見せていた母を、ボーは恐怖していましたが、しかしどこか依存もしていた。
 じゃあこのタイトルは、「ボーは母親をおそれている」になるんでしょうか?
 うーん、それはちょっとシンプルすぎる気がします。
 私が思うに、ボーは「自分の人生を見つめ、過去や真実と向き合うこと」をおそれているんじゃないでしょうか?
 ボーが、あの豪華な船での思い出を思い出したのも、クスリを吸って意識が朦朧としているときのことでした。
 初恋の人があの船にいて、どんな出会いをして、どんな言葉を交わしたのかを思い出しました。
 彼女からもらった写真は、自宅の引き出しに入っていて、それを見て少し思い出すことはありましたが、たぶん具体的なことは忘れていたか、あえて記憶の底にしまっていたのかもしれません。だって、子どものころに出会った初恋の人を思い出してもしかたないですよね。それにボーは「セックスしたら死ぬかも」という懸念があるのですから、思い出に浸るだけ無駄です。
 また、ボーは元々、なんとなくではあるが「父親は本当は生きているかも」と感じていたのです。幼い自分が母親に「お父さんに会いたい」と言ってた記憶が残っていました。本当は今でも会いたいと思っているし、ひょっとしたら生きているんじゃないかとも感じてはいるけれど、恐ろしい母親にそれを尋ねることはできない、ということだったんじゃないでしょうか。
 そしてボーは、森の劇団を通して、自分の理想の人生を思い描きます。今まで考えたことのなかった人生でした。妄想した末に、でもやっぱりそんな人生を自分は歩めないかもしれない、自分はわけあって、子供を作ることはできないのだから、と思います。けれど、せめて自分に優しくしてくれたこの妊婦の女性に、感謝と好意の印として女神像を渡しておこう、ということだと思います。ボーはたぶん、この劇を妄想するまでは、自分の人生について考えたことがなかったのだと思います。おそらくそれも怖かった。考えたところでそれが実現するのは不可能なのだから。
 この作品は、彼が今まで目を背けていたことを、母親に家に帰る道中に見つめる過程を描いた物語なのではないでしょうか。

まとめ

 ボーは、母親の家に帰る際に、目を背けていた自分の人生や過去を見つめ、さらに耐え難い真実(父親が化け物)や恐ろしい結果(初恋の人の死、自分の死刑)を突きつけられます。
 あまりに救い難く、非情な終わりになってしまいました。
 でも思い出してください。アリ・アスター監督の作品って、どれも救いはありませんでしたよね?
 『ヘレディタリー』も『ミッドサマー』も、決して後味が良い作品ではありませんでした。
 この『ボーはおそれている』もそうです。人生とは、現実とは、あまりに非情で耐え難い。ボーのように、無力で罪のない中年男性であっても、その絶望は襲いかかります。
 この作品は、そんな中年男性が、人生の困難に見舞われ、苦しみあがいたのちに死んでいく過程を、コミカルかつ斬新な観点で描いた作品なのではないでしょうか。

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