短編小説「眠り男 ほか十話」

卓上の瓦斯灯を付けると部屋が茫と明るくなった。
近頃は瓦斯も高騰したので、おいそれと使えない。それをわざわざ灯してまで語りたい話があるのだと、Kが云う。

「夢を見るのだ」
Kの顔は血色悪くやつれている。
「君は顔色が良くないね」
と僕は言った。
「そうだね」
とKが言った。

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「眠り男(SLUMBERS)」

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第一話

Kが夢を見るのだと云う。
夢の中で何者かに出逢うている。
起きれば忘れてしまう。
だが悪い気がしない。

「それで」
と僕は尋ねる。
「一体何をして欲しいんだい」
わざわざ夜分に人を呼び出して、夢の話がしたい訳じゃないんだろう?

「起きると女の残り香がしている」
「ほう」
「僕は屹度、夢の中で女に出逢うているのだ」
Kの眼差しは瓦斯灯の揺らめく炎に注がれている。燈火がKの相貌に影を作り、益々Kの顔色を暗く見せる。

しかし、一体僕にはKの言っている事が分からない。単に夢の話である。人の頭内の現象に僕が介入する余地はない。

「残り香がするのだ」
Kは重ねて云った。
「夢の中の女は本当にいるに違いない」
「僕は女に会いたいのだ」

「何を馬鹿な」と僕は笑った。
女が君に夜這っていると言うのか。それなら起きていて確かめれば済むことじゃないか。

「眠ってしまうんだ、必ず、いつの間にか」
「ねえ君」とKは云う。
「後生だから隣室に居て、寝ている僕の様子を覗いてくれないか」

下らない話だと思いながらも既知のKの頼みである。詮無く了解した。Kの神経衰弱も心配である。これで何も無かったとなれば、彼も幾分気が晴れるだろう。

寝るにはまだ早かったので、此処に来るまでに汽車に乗った話などして過ごした。
線路沿いに鉄道草という見慣れない草が生えている。背丈が高く直立する。
鉄道の路線に使った木材は米国から運んだそうだから木材に種が付いて日本に芽生えたものらしい。
文明の草と言う訳だ。
だがしかし、慄っとするね。見知らぬ植物が林立する様は。
異界に紛れ込んだようだよ。
異界というものは旧知と新知の間において簡単に生まれ得るものなのかもしれないね。

Kの祖父は新しいものが好きで文明開化の舶来品を蒐集していた。時計にギヤマンのインク壺、フランスのチック、グランギニョル、幻灯機。
かつての新奇性も一時代を経て骨董の品に変わった。此処にも新旧の隔たりがある。

グランギニョルの口許がニタリと笑った気がする。

暫くKと幻灯機を見て遊ぶ。
映写される異国の風景。異国の人々。
失われたバロック。

二人でウイスキを飲んでいたがKが眠ってしまった。
僕も隣の部屋に移って暫く考え事などしていたが、いつの間にかうたた寝したものらしい。

気が付くと深夜である。
隣室からKの声がする。
誰か訪ねてきたらしい。
こんな真夜中に怪しい話である。
さてはKの云う女姓が現れたか、襖を少し開いてKを覗く。
生臭い獣臭が鼻を突いた。
暗がりに蠢くものがある。
目を凝らす。
じっと。

寝ているKに黒い毛むくじゃらのモノが覆いかぶさっていた。

Kがうなされている。

僕は襖を締めた。
翌朝、Kが尋ねて言った。
「何もなかったか」
僕は答えた。
「無かったよ」

第二話
先日のこと。さる人から聞いた話。
「夢を見てこれは夢だと気が付く事がある。何でも好きなように振る舞えて大変に愉快である。だが、夢の世界というものは現実から切り離されて独立している。其処には夢の世界の規律がある。現実世界の人間が迷い込んで好きに振る舞われては夢の世界も甚だ迷惑であるからして、現実世界の人間を捕縛する獄吏がいる。」
獄吏に捕まると帰って来れぬものらしい。

そんな話を聞いた影響からか、その晩に夢と自覚する夢を見た。
これは仕舞った、と思った。早速迷い込んでしまった。僕が現実世界の人間である事がしれたなら屹度捕まってしまう。こんな世界に幽囚されては敵わない。

しかし目を覚ます方法が分からないので、物陰から物陰に移動して、夢の世界の出口を探した。
夢の世界は奇態の世界である。
街頭に立っている男が「20世紀、20世紀」と叫んでいる。何が20世紀なのか知れない。
通りに並ぶ店に果物屋があったが、緑色の蛇のようなものだとか青魚に似たものだとか見たことのない果物ばかりが売られていた。
「これは何か」と店主に訪ねると
「------」だと云う。言語不明瞭で聞き取れない。
背後で「20世紀」とかしましい声がする。
何度か聞き直したが遂に聞き取れなかった。

遠景に黒い大きな人影があって、下界を見下ろしている。巨大なグランギニョル。球体関節を昆虫の如く動かしている。
屹度あれが獄吏に違いない。あれに見つかっては大変だ。
「息をふさいでいれば見つからない」と果物屋の店主が言うので従って息を堪えた。
そうするうちに蛇のような果物が体に巻き付いてきた。
「本当は果物屋の店主こそが獄吏なのだ」と背後で誰かが言った。
息を止めていたのが苦しくて目が覚めた。

第三話
「眠姫」という独逸の昔話を聞く。理不尽な魔女の呪いによって100年の間、眠り続けた城があるという。森林に飲み込まれた古城。誰にも邪魔されない眠り。
一体100年も眠ると如何なる夢を見るのだろうか。
「一炊の夢」という故事がある。一炊の間の現実時間で一生涯を生きるのが夢である。
果たして100年を掛けて幾度の人生を巡るものか。

奥深い森林に子守唄が聞こえている。

第四話
子供の頃から悪癖があり、体調の優れぬ時に眠っていると夢遊の気が現れる。
気が付けば手水場にいる。或いは厠にいる。非道い時には寝間着に裸足のまま、往来に立っている。布団からどのように這い出して其処に至ったものか皆目見当がつかない。

さて或日、家人から聞いた話。家人が目を覚ますと隣で寝ていた僕が布団の上に胡座をかいている。どうしたのかと尋ねたが返事がない。
もぐもぐと何事か呟いている。
更に見ていると鼻の穴から提灯が膨らんだ。おやと思うとみるみる其れが膨らんだ。
膨らんで子ども程の大きさになった。
それがゆらゆら揺れている。
家人が声を掛けたが起きる気配がない。

鼻提灯を揺らしたまま、立ち上がって縁側に出た。
更に眺めていると縁側で腕を羽のようにして振るっている。

「なんだ」と聞くと
「飛ぶのだ」と応えた。

そう語り終えた家人は最後に
「阿呆か」と付け加えた。

第五話
飛頭蛮という妖怪がいる。入眠すると首が胴体を離れて空を飛ぶ。耳を羽の代わりにして飛ぶのだと云う。これが一説によると洞窟に住んでいる。首に赤い筋があるので、首を見れば正体が分かるという。
日本ではろくろ首にと呼ばれる。
ろくろ首は首長の妖怪であるが、飛頭蛮のように首が飛び回るものもいる。中国の飛頭蛮と日本のろくろ首は概して同じ逸話を有しているため同一視される。
旅人がある家に一夜の宿を借りた。親切な家であった。夜目が覚めると家人の首が胴体を離れて凄まじい勢いで空中を回っている。気味が悪かったという。
翌朝、主人は何食わぬ顔で応対したという。
飛んでいる首が虫や蟹を食べるという話もあるが、首が離接するのは無意識下によるものという説が多い。夢遊病の如く本人に自覚がない。

日頃普通人として暮らし、無意識に首が飛んでいくなら、これは妖怪ではない。体質である。嗜癖である。
本人はそれと知らない。誰にも発現する病かもしれない。

落語にろくろ首の話がある。
町の娘が芝居小屋の役者絵に見入るあまり首が伸びた。首が伸びてあちらの役者絵、こちらの役者絵と食い入るように見つめている。得てして妖怪であるが、娘はそれに気付かない。
その異常を見ていた犬が吠えたてた。
娘の首は瞬時に戻り「おお、怖い」と。

僕は夢遊病の気があると言われているが飛頭蛮でなくて良かった。いや存外誰知る所なく首が飛んでいるかもしれない。等など随想したためていたら窓の外の首と目があった。
おや此処にも飛頭蛮。
走光性の蛾の如く部屋の瓦斯灯に誘引されて窓ガラスにぶつかっている。

ごつ…ごつ…ごつ


昆虫族の走光性は本能であるため、本当は光に集まりたい訳ではないと聞いたことがある。
街路灯の周りを飛ぶ蛾は本当は其処から離れたいらしい。だが走光性によって真っ直ぐ飛ぶことが叶わず、コンフューズしている。
飛頭蛮があまりにも額を窓に打ち付けるので僕は瓦斯灯の灯りを消した。
それが不味かった。
夜気に透明になったガラスは存在までもが透明になってしまった。其れを難なくすり抜けて飛頭蛮が部屋の中に入ってきてしまった。

ごつ…ごつ…ごつ

部屋の四方に額をぶつけて飛び回っている。箒を振って外に追い出そうとしたが、上手くいかない。

大変困った。

何とかして貰おうと家人を呼んだ。
返事がない。
もう一度はじめ呼んだ。
狂ったように飛んでいた飛頭蛮が突進してきた。
のけぞって避けたが頬肉を掠める。
脂の滲んだぬるりという感触がした。

第六話
Kの叔父が訪ねてきた。
「眠れているか」と聞かれて「駄目ですね」と答える。眠れない。いや眠っているのかもしれない。こうしている間にも。

第七話
割愛

第八話
果物を買いに言ったら蛇のような緑色の果物があってこれは何だと店主に尋ねると「見つけたぞ」と言われて昆虫網を持って追いかけられた。

第九話
眠るためのお伽噺。

一匹の蟻がおりました。蟻はおうちで日記を書いておりました。日記を書いていた蟻が眠くなって小さな欠伸を致しました。

あーあ

欠伸は風に運ばれて二十日鼠のおうちに届きました。二十日鼠は家計簿をつけておりました。家計簿をつけていた二十日鼠は眠くなって小さな欠伸を致しました。

あーあ

欠伸は風に運ばれてもぐらのおうちに届きました。もぐらは聖書を読んでおりました。聖書を読んでいたもぐらは眠くなって小さな欠伸を致しました。

あーあ

欠伸は風に運ばれて仔猫のおうちに届きました。子猫は算学の宿題をしておりました。算学の宿題をしていた仔猫は眠くなって小さな欠伸を致しました。

あーあ

欠伸は風に運ばれて犬のおうちに届きました。犬は洗濯物を畳んでおりました。洗濯物を畳んでいた犬は眠たくなって小さな欠伸を致しました。

あーあ

欠伸は風に運ばれて羊のおうちに届きました。羊は手紙を書いておりました。手紙を書いていた羊は眠たくなって小さな欠伸を致しました。

あーあ

欠伸は風に運ばれて。

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鉄道が走っている。
僕は鉄道に揺られながら眠っている。
鉄道草が林立している。
その鉄道草をかきわけて鉄道が走る。

僕の正面に丸眼鏡の男が座っている。
眼鏡が反射して眩しい。

その隣に母子が座っている。
子供が窓から外を見ている。

車掌が現れた。
乗客の切符を切っている。
生臭い獣臭。
車掌の腕は毛むくじゃらで、良く見れば顔も毛むくじゃらであった。
いや。
蛇だ。全身を覆う。
車掌の赤い舌がだらりと伸びる。

車窓の景色が次々と変わる。
異国の風景。
異国の人々。
幻灯機のように。

乗客たちはみな人形であった。

Kが寝ている。
机にうつ伏した儘。

畳の上を蛇どもが蠢いている。
忽ちKを覆い隠してしまう。

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欠伸は風に運ばれて象のおうちに届きました。
象さんは-------
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第十話
神経衰弱には睡眠薬を飲むようにと医者から眠剤を処方された。不用意に寝ると得てして失敗するのだが案の定、失敗した。
気付いた時には意識が宙に浮いている。
眼下にKがいる。
Kの首がない。

ほらね。
つまりは

目眩。

猛烈に世界が回転する。
旋回する僕は。
僕は。

第十一話

(終)

短編小説「眠り男(SLUMBERS)」村崎懐炉

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