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TVアニメ「アイドルマスターシンデレラガールズ」第8話ED主題歌「-LEGNE-仇なす剣 光の旋律」CDレビュー「「素」の神崎蘭子が本当に素晴らしいんです。」

TVアニメ「アイドルマスターシンデレラガールズ」(通称:アニデレ)は
2015年1月から2期に渡って全26話が放送されたアニメ作品であって,
「原作」は同名アイドル育成ゲームである。
女子を育成するゲームは最初の「プリンセスメーカー」をやった切りで
「アイドルマスター」はプレイした事はない。
つまり僕は全くの門外漢であり
アニメ作品として「アニデレ」を鑑賞したので
キチッと「原作」を履修されてる方から見れば
見当はずれな事を多々書くことになると思う。

「-LEGNE-仇なす剣 光の旋律」は「あだなすつるぎ ひかりのしらべ」と読み「LEGNE」はドイツ語の天使ENGEL(エンゲル)の逆さ読みであり
我々の発声器官による発音は不可能である。

この「我々には発音出来ない」のが中二病的に燃えるポイントであって
アイドルの卵たちの中にあって
独り超然とした佇まいを身に纏う中二病アイドル・神崎蘭子(内田真礼)の
ソロユニット「ローゼンブルクエンゲル(RosenburgEngel)」の
CDデビュー曲こそが「-LNGNE-仇なす剣 光の旋律」なのだ。

アニデレでは各話で最も活躍した(取り分けCDデビューした)アイドルが
ED主題歌を歌う事が多く,
第8話の主役は神崎蘭子なのであるから
ED主題歌も神崎が歌うのだ。

Rosenはドイツ語で「薔薇」(神崎は重度の中二病故に
バラとカナ表記される事を嫌い
「薔薇」と漢字表記される事を好む性分なのだ。)
burgはドイツ語で町又は城だがこの場合「城」を指す。
Engelは先に解説した通り「天使」。
ドイツ語なのは英語よりも「格好いい」から。
「ローゼンブルクエンゲル」は神崎に言わせれば
「薔薇の茨に包まれし白亜の城…その地に舞い降りし天使…」
となるが神崎と同じ寮で暮らし
神崎と懇意のホラー映画好きのアイドル・白坂小梅(桜坂小依)にかかると
「茨のお城…漢字にすると茨城(いばらぎ)…ふふっ」
となり,さしもの独り超然とした佇まいの神崎も
「茨城に舞い降りた天使」にされてしまうのだから,
まこと親友とは得難い存在と言える。

1.「-LEGNE-仇なす剣 光の旋律」
TVアニメで「-LEGNE-仇なす剣 光の旋律」を聴いたときは
「ビジュアルインパクトが非常に強い」
と思ったがCDでじっくり歌詞に集中すると
「神に背いた堕天使の曲」なのだと分かる。

神を盲目的に信じていた頃には見えなかった光景が…。
…荒野が今はハッキリと見える…。
一体「何」が私の目を覆い隠していたのだろうか…。
ソレが「神の見えざる手」なのだろうか…。
最早子供の様に夢を見てはいられない…。
…だが時折「甘美な記憶」が甦る事がある…。
…パンドラの箱を開けてしまった今では
取り返しの付かない「過去の記憶」…。
今や運命(さだめ)と戦うしかない身の上には
「過去の記憶」は痛みしか呼ばないのに…。

本CDに於ける「仇なす剣 光の旋律」で特筆すべきは
神崎が「素」に戻る瞬間を捉えた貴重なNGバージョンである事で
ローゼンブルクエンゲルでもアイドル・神崎蘭子でもなく
「等身大の14歳の少女」が中二病も矜持も投げ捨てて
「いつも支えてくれる周囲の人々」への感謝の念がアドリブで迸る
「得難い数秒間」が収録されているのである。
この「得難い数秒間」はアドリブ故に歌詞カードにも当然記載がない。
つまり公式の記録では「無かったことにされている」のである。
中二病魂が震えるではないか。

2.「夕映えプレゼント -Rosenburg Engel-リミックス」
「仇なす剣 光の旋律」が神と戦う決意を固める堕天使の歌であるとするなら
「夕映プレゼント」は神に従順に仕えていた頃の…天使だった頃の…。
…子供だった頃の思い出をフト懐かしむ憧憬の曲と言える。

内田真礼氏が意図的に舌足らずに歌い
神崎蘭子が「未だ子供だった頃=堕天使になる前」を
表現する声の演技の技量に只々驚嘆する。

「目覚め」さえしなければ神の御許で永遠に微睡んでいられたのに…。
神や運命(さだめ)と戦う決意をしたからには,
もう二度と帰れない懐かしきあの夕暮れ…。
もう二度と戻れないコドモだった頃の私…。

3.ドラマCD
デビュー曲が好調な神崎がラジオ番組に出演する事となったが
「普通の人」であるラジオ番組のディレクターには
中二病全開の神崎の言葉が理解出来ない。
そこで一計を案じたプロデューサー(武内駿輔)は
「神崎の言葉」を理解出来る白坂小梅を補佐に付けるのであった…。

プロデューサーが「神崎の言葉」を100%理解出来る
免許皆伝・術許しの赤城みりあ(黒沢ともよ)を呼ばなかったのは
赤城が術許しである事をプロデューサーが知る前であり,
仮に知っていたとしても「神崎の言葉」を心で理解し,
標準語で返事する赤城ではリスナーが「神崎の言葉」を
全く理解出来ない状況に何ら変わりはないからだと推察出来る。
ラジオ番組が必要としてるのは白坂の様な「神崎の言葉」を
リスナーが理解出来る言葉に翻訳出来る「通訳」なのだ。

以上CDのレビューを徒然なるままに書いて来たが
先に述べた通り僕は「アイドルマスター」の全くの門外漢故に
見当外れの事も多々書いたと思う。
僕としては神崎蘭子の素晴らしさが皆様に伝われば望外の喜びと言える。
「一生懸命背伸びしてる」所は橘ありすと双璧だが
その反面「「素」は屈託がなく子供っぽい」所は
「私は子供じゃありません」に拘る橘にはない神崎の美点だと思う。

「子供である」事は大人には絶対に真似出来ない長所だと思ってるので
その長所を最大限に活かしてる赤城みりあが無敵なのだと僕は思います。


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