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白土三平先生の「カムイ外伝」第5話「五つ」レビュー「白土先生の祈り」。

カムイは人から蔑まれて生きる身分に生まれ,
これ以上人に踏み付けにされて生きるのが嫌で忍者となったが,
組織の末端の使い捨ての駒となって生きるのが嫌で抜け忍となった。
忍者を「辞めていい」のは「死んだとき」だけであって
「オマエが忍者を辞めたいと言うのならオマエは死なねばならない」
との組織の非情の論理が彼の逃亡を許さず次々に追手を差し向ける。
カムイは全ての生き物がそうである様に「死にたくない」一心で
追手と死闘を繰り広げながら名を変え職を変えながら
果てしない逃亡を続けるのである。

彼が出会った追手のひとりに「名張の五ツ」と呼ばれる忍者がいた。
「五ツ」と戦う相手が九分九厘勝ちが確定した状況に於いても
何故か逆転され敗れ去ってしまう。

それは一体何故なのか。

その理由が本エピソードの主題となっている。
子供達が足の5本ある蛙を寄ってたかっていじめている所に
「五ツ」が通りかかり飴玉と引き換えに蛙を譲り受ける。
蛙を水場に放す「五ツ」。

「可哀想に…五つ足の生まれは,お前のせいではないのにのう」

「五ツ」の飄々とした佇まいにすっかり惚れ込んでしまった僕は
何とか彼が死なずに済まないかと祈り始める。

勿論この蛙のエピソードは「伏線」なのであって
「五ツ」の常勝の秘密と密接に関連している。

僕の祈りも虚しくカムイと立ち会う「五ツ」。
カムイの変移抜刀霞斬りを破った「五ツ」は止めを刺さない。

「どうやらワシもオヌシと同じ道を辿るか…」
「達者でな…」

戦った相手から「達者でな」と気遣われる忍者漫画を
寡聞にして僕は他に読んだ事がない。

カムイの止めを刺さなかった事を責められ
「五ツ」もまた追手に追われる身となる。

追手に追い詰められた「五ツ」の「常勝の秘密」が炸裂する!

「これ故に俺は忍びとなった…」
「だがそれが俺を救ってくれるときもある…」

抜け忍となった「五ツ」を見送るカムイ。

「奴の事だ。何とか切り抜けてゆくさ…」

「五ツ」の技量を身をもって知ったカムイはそう呟くのであった…。

「私は小学生の時,五本足の蛙を捕まえた事があった。
(中略)その蛙が蛙仲間の中でどの様な生活をしていたか考えた。(白土)」

「五ツ」は白土先生が「考えられた」結果生まれたキャラクターなのだ。

「身分,或いは他の如何なる理由による差別にも私は絶対に反対である。
人はそれぞれに能力を持っているのだ。
だが現実には様々な形で差別が残され能力を抑えられひねくれさせて行く。
こんな時代遅れなことは早く無くしたい。(白土)」

「五つ」は白土先生の非情を常とする忍者漫画にあって
カムイも追手も死なない稀有なエピソードである。
人から蔑まれる身分に生まれたカムイが
「健全な」人間社会から爪弾きにされたであろう「五ツ」から
「達者でな」と優しい言葉をかけられ
カムイもまた「五ツ」に手を振って見送る場面に
白土先生の「祈り」に
常に目頭が熱くなるのである。

アニメ「忍風カムイ外伝」は第20話で
週刊少年サンデーに連載された全20話分を消化。
第21話以降は白土先生が基となるアイディアを提供され,
脚本の田代淳二をはじめとする
アニメ側のスタッフが肉付けをしていったのである。
アニメ版の10年後(1982年)白土先生がビッグコミック誌で
「カムイ外伝」の連載を再開され,
「はんざき」(全4回)に続くエピソードとして
アニメ版の第21話から第26話に相当する
「スガルの島」(全15回)を展開されている。
原作漫画で言えば第20話(1966年11月)と第21話(1982年1月)の間には
16年の歳月が経過しており,
当然ながら絵柄が激変し「スガルの島」編は劇画タッチとなっている。
文庫本で言えば2巻の途中から
「絵柄が変わってる」のはそうした経緯があるのだ。




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