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振り返っておくこと (ブログ「武良竜彦のページ」開設のご挨拶)

※ これは私の最初のブログを2011年04月15日に開設したときの、最初の| エッセーです。この度、noteへのブログの移動の当りここに再録しておきます。


 東日本、特に東北三県はこれから長く厳しい苦難の復興への時間を過ごすことになります。
  東京中心主義のこの国の誤った政策によって、多くの苦難を背負わされた東北の、歴史的位置からの脱却を目指す、新たな政治と文化の創造の道となることを祈っています。
 今度こそ、それは東北の人たち自身の手に委ねられなければなりません。無責任な国の手による差別的施政との決別が不可欠です。
 敗戦時、米の生産地だった台湾と朝鮮を失うと、非都市部の地方、特に東北は、政策的に米の生産供給地にされ、戦後の工業成長期には低賃金の労働力確保の対象とされ、その後は危険な原子力発電所を含む電力供給基地にされてきました。
 そんな政治と決別する地方自治と文化の興隆を願ってやみません。

 簡単に原発建設の歴史を振り返っておきます。
 1945年8月6日に広島に、9日に長崎に「戦争の早期終結」という名の下にアメリカによって原爆が投下されました。
 そのとき大量の放射線に被曝した方たちの悲願の「原爆反対」の思いの延長として、原子力発電所建設反対の声が上がりました。
  しかし「原子力の平和利用」という名の下に踏みにじられます。
 アメリカの深層心理に、非人道的な原爆を人類に対して最初に使用してしまったことへの、国際的な非難を避けたい思惑と、少しばかりのうしろめたさがあったものと思われます。
 その心理が「原子力の平和利用」と言う欺瞞的な、論点のすり替えを急がせたのでしょう。
 1951年12月に、アメリカは世界初の高速増殖炉による原子力発電に成功します。
 そして1953年12月には、アイゼンハワー大統領が国連で「原子力平和利用」の演説をします。ここで犯罪的なすり替え行為は完了したのです。
続く1954年3月1、4月1力委員会が発足します。
 被爆国日本が、アメリカの核の傘の下で経済発展だけを目指し、原発開発に踏みだしたことに対する危惧と違和感は、このころの国民の多数が共有していましたが、被爆者の方が亡くなり、その数が減ってゆくのと比例するように忘れてしまったのです。
 原子力発電所が建設されてゆく過程で、各地に上がった建設反対の声は、「日本の経済発展のための電力の安定供給には原子力発電以外ない」という、恣意的な宣伝によって封じられました。
 最近は先進国が挙って行っている地球温暖化問題を背景に、問題の本質をすり替えた「二酸化炭素を出さないクリーンエネルギー」という強迫的なキャンペーンによって、原発建設を推進し、そのプラントを外国に輸出しようとしています。
 百歩譲って原発建設を推進したロジックにも耳を傾けてみましょう。
 たぶんのその主張の骨子はこうです。

「新しい科学技術を現実社会の進歩のために応用するときは、いろいろな問題や事故は起こるかもしれない。でもリスクばかり言いたてて反対されたら、科学や産業は一歩も前に進めなくなる」

 論点をすり替えてはいけません。
 そんな理由で原発が危惧され、建設反対の声が上がっていたのではありません。
 原子力の応用以外の科学技術の実用過程で不幸にも生じた問題や事故の規模と、原子力を実用化してゆく過程で生じる問題と事故は規模が違うのです。
 どうしても建設するのなら、「安全性」だけを強調し、宣伝するのではなく、一度事故が発生すると制御困難になり、甚大な人的・経済的被害が出る上に、事後処置に莫大な経費と年数がかかってしまう危険な設備であることを、素直に認めた上で是非を問うべきでした。
 危険性を認めた上での建設であれば、施設の安全性だけでなく、例えば原発から半径百キロ圏内は立入禁止ゾーンにして、民家はもちろん産業施設は建設せず、ただ原発による電力生産地帯にするほどの覚悟と合意が必要なはずです。
 不幸にして、それらのことが真摯に検討されないまま、ただただ「安全性」だけが強調、喧伝され、強権的に推進されたのです。
 原爆の被爆国でありながら、原発は必要だと思い込ませ、その建設の是非を「安全性」の議論へと矮小化して、小手先の安全対策を講じることで裁判所をも欺いてきたのです。司法はときに国の手先となります。
 また建設後の原発の事故隠しの手口は、戦後の公害や企業犯罪での偽証工作の姿勢と共通しています。
 今ごろになって自然エネルギーへの転換の大合唱が起きています。
 原発批判者を孤立させ、変人扱いをして嘲笑してきたことを忘れて、後になって「正義」を振りかざし、みんなで生贄を探して気が済むまで袋叩きにする。
 そして気が済むとすぐ忘れてしまう。
 今、そんな著しく品性を欠く言葉がマスコミと巷に溢れています。
 言葉をそんなふうに使ってはいけない。
 そんな言葉に人を内側から突き動かし、明日を切り拓く力はありません。  冷静な合意の形成に耐える辛抱強さを身につけなければならない。
 言論の真空状態を作ってはいけない。
 これまでのそんな集団的精神の幼稚さに対する猛反省こそが、今最も必要ではないかと自戒を含めて思います。

 最後に、被災された皆さんの健康と安全が守られることを願っています。

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