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大関博美著『極限状況を詠む俳句 ソ連抑留者・満州引揚げ者の証言に学ぶ』

 

コールサック社 (二〇二三年六月刊)

 著者の大関博美氏は俳人で、俳句結社「春燈」に所属する方である。また永年看護士として勤労中の方である。

  大関博美氏の父が「ソ連抑留」体験の持ち主だった。

  生前の父の口からその体験を聞きそびれてしまったという。

  生存者がいて、その体験の「語り」と普及活動をしていること、そして抑留中の過酷な中で、俳句を詠み続けたことを知り、そのすべてを記録したいという情熱が、本書の形となって結実したのである。

 本章は、歴史的経緯の「そもそも」論を、詳細にして簡潔に、前章としてまとめ上げて、読者に提示している。

そのおかげで、読者は俯瞰的視野と、過酷な抑留生活のリアルな現実を知る視野の双方を与えられる。

 

目次のすべてを以下にコピーして紹介する。

 

   ※

目次

 ソ連・モンゴル領内日本人収容所分布・各地点死亡者発生状況概見図

戦後ソ連に抑留された軍人・軍属等の移送状況

 序 章 父の語り得ぬソ連(シベリア)抑留体験

 第一章 日清・日露戦争からアジア・太平洋戦争の歴史を踏まえて

 一 はじめに

二 日清戦争から日露戦争へ

三 日露戦争

四 日露戦争から満州事変へ

五 第一次世界大戦へ

六 ソ連(シベリア)への出兵―七年戦争への道

七 満州事変から満州建国まで

八 日本の国際連盟の脱退

九 満蒙開拓と昭和の防人

十 大陸の花嫁について

十一 日中戦争への道

十二 ノモンハン事件(戦争)から第二次世界大戦・太平洋戦争へ

十三 第一章のおわりに

第二章 ソ連(シベリア)抑留者の体験談

 抑留者・山田治男 ソ連軍の侵攻

抑留者・中島裕 『我が青春の軌跡』より

抑留者の尊厳から学ぶこと

 第三章 ソ連(シベリア)抑留俳句を読む

小田保―ソ連兵より露語盗む

石丸信義―死馬の肉盗み来て

黒谷星音―凍パンと死

庄子真青海―誰の骨鳴る結氷期

高木一郎―炎天を銃もて撲たれ

長谷川宇一―ただ黙否蠅つるみ

川島炬士―大気が重いと病む身

鎌田翠山―サキソールの葉の露を吸ふ

 第四章 戦後七十年を経てのソ連(シベリア)抑留俳句

 百瀬石涛子の証言と句集『俘虜語り』を読む

一 シベリア抑留体験を語る

二 百瀬石涛子『俘虜語り』を読む

 第五章 満蒙引揚げの俳句を読む

 井筒紀久枝『大陸の花嫁』を読む

天川悦子句文集『遠きふるさと』を読む

 全章のまとめとして

 一 極限状況の今ここを支える俳句の働き

二 ソ連抑留での「句座」は生きることへどのように働いたか

三 極限状況の今ここを生きるための俳句(震災詠について)

           ※

 

本章の主旨がよく表れている一節をそのまま引用紹介する。

 

    ※

 

抑留者の尊厳から学ぶこと

  私は山田治男氏と中島裕氏や他の方の抑留体験談を聞き、またその関連する文献で補い紹介してきた中で、次のことを痛感させられた。日露戦争、ロシア革命時代の日本のソ連出兵と干渉戦争、一九四一年の日ソ中立条約があるにも関わらず、ドイツの勝利を見込んで行われた「関東軍特 種演習」(関特演)により、ソ連と日本の間に生まれた数々の負の遺産を抑留された日本兵らが背負わされたのではないかということだ。独ソ戦でたくさんのソ連の兵士が死んだことから、労働力の 穴埋めとして、第二次世界大戦が終結しても、極寒のソ連各地に連行され、約五七万五〇〇〇人の日本人捕虜(俘虜)が過酷な強制労働に従事させられた。それは、ポツダム宣言の第九条に明らかに反する国際法違反であった。 寒さと飢えによる栄養失調や発疹チフスの蔓延などにより、約五万五〇〇〇人の人が命を落としたことなどを知り、国と国との争いは、戦争・支配・暴力 (性暴力) などを生み出すことや生態系や共同体を破壊し生存の危機に見舞われることを改めて感じた。

  抑留の生活については、上級の軍人は国際法上の捕虜として扱われ、その他の下級兵士と比べる と労働や食事の待遇の格差は大きかった。

 またシベリア抑留と表現されることが多いが、抑留地が旧ソ連、外蒙古、欧露と広域にわたることから、それらのすべてを網羅することはできないので、本書では「ソ連(シベリア)抑留」と表現した。

 ソ連(シベリア)抑留の生活では、政治教育から生まれた「アクチブ」によって「反動」と見なされると「吊し上げ」にあうことから、戦友も信用できない。そして常に付きまとう「死の恐怖」。 外からの暴力による圧力と内面に起こる葛藤や疑心暗鬼との闘いでもあった。その真実を私が確かめる術はないが ル・E・フランクル『夜と霧』にこのような記述がある。

 《カポーたちはすくなくとも栄養状態は悪くないどころか、中にはそれまでの人生で一番いい目を見ていた者たちもいた。この人びとは、その心理も人格も、ナチス親衛隊員や収容所監視 兵の同類と見なされる。(略) カポーが収容所監視兵よりいっそう意地悪く痛めつけたことはざらだった。(略) 一般の被収容者の中から、そのような適性のある者がカポーになり、はかばかしく「協力」をしなければすぐさま解任された。》 『夜と霧 新版』(池田香代子訳、みすず書房)

  なぜ、『夜と霧』の例をあげたかというと、カポーを収容者の中から選び出し「密告」させ「暴力」により支配する構造と、シベリア抑留に於ける政治教育で養成した「アクチブ」の活動によって旧日本軍の慣習を保持した労働大隊の組織を破壊し、抑留者同士が互いに監視し合い密告する構造とが似ていると考えたからである。

 「アクチプ」になると食物や労働面で優遇され、「反動」と見なされれば、シベリアの奥地に送られることから疑心暗鬼に陥り、自分より優遇される人への妬ましさ等から「密告」「吊し上げ」が激化してゆく。シベリアの奥地に送られることや独房に入れられることは、死を意味したのではないだろうか。

 極寒の地で重労働と飢えに苛まれ、極限状況にさらされたとしたら、どこの国にもどこの民族に もこのようなことは起きたのだろうと私は受け止めた。

 しかし、このような逆境にあっても自らの尊厳を保ちえた人達も多くいて、そこから多くのことを私たちは学ぶだろう。

 語り部の方たちは現在も、平和を守ることの意味を問いかけ、再び戦争に巻き込まれないためには、戦争が引き起こす悲惨さを知ること、政治の上では知恵を絞ることが大切であると呼びかけている。ソ連(シベリア抑留体験談を聞く中で、私たちが「満蒙引揚げ」についても知らなければ ならないと思ったのは言うまでもない。

 ここに紹介した山田氏と中島氏・依田氏の体験談を踏まえて、次の章では、同じような経験をした抑留者たちがなぜ俳句を通しその経験を後世に伝えていこうとしたかを探っていきたいと考えている。

〔註〕

*2 カポーとは、囚人を監視する囚人のことである。

       ※

  瞠目の記述である。

 わたしも含めて多くの読者が初めて知ることばかりではないだろうか。

 次はその総括部分の文章を紹介する。

      ※

  ここまでをまとめると、個人的な面から見た俳句の役割や機能は、①歴史の証言者であり、俳句作品の証言から学び、子や孫、次世代へのバトンとなること、②俳句は極限状況を生きるときの「ストレス緩衝効果」をもたらすこと、③「鎮魂」という取り組みを通じて死者の魂を鎮め、俳句を詠む人の心を救うこと(自他救済)、④「鎮魂」や戦争体験を「新しい世代」に伝えるのみならず、活動を生涯にわたり続ける際の伴走者(杖・燈火)となり心を牽引してゆくことなどを確認することが出来る。

      ※

  簡潔して的確な総括で読者の血肉として内面化することを助ける記述である。

 次はそんな極限状況にあっても俳句を詠み続けようとしたことの意義について記述された部分を紹介する。

      ※

  ここで取り上げた方々は、それぞれに規模は違うか俳句の座をつくり、または所属し、俳句と俳句の仲間に支えられたと述べている。

 アブラ(ムー(ロルドーマズローは、人間の動機づけに関する理論において、欲求の階層の理論を公表し、①生理的欲求。②安全の欲求、③所属と愛の欲求、④承認の欲求、⑤自己実現欲求かあると公開し、低次の欲求か満たされると、より高次の欲求が現れるが流動的で、一〇〇%満たされなければ、出現しないものでもないとしている。(中野明著『マズロー心理学入門』アルテ)

 収容所において、①の生理的欲求である食事は常に欠乏し飢えており、栄養失調で餓死するものも多かった。②の安全については、酷寒の中、建物に居ることか最低環境であり、弱った者は、毛布にくるまって死ぬものもあった。安全の欲求も満たされていたとは言えない。③の所属の欲求や④の承認の欲求も赤化教育(思想教育)や、それによっておこる密告・吊し上げからくる疑心暗鬼の生活の中で、安心できる状況ではなかった。

 このような不毛の状況で生まれた句座で、仲間を得ることは、生理的渇望を十分満たすものではなかったか、所属の欲求や互いに認め合う承認欲求が満たされることにより、心の安心・安定をもたらし、絆を回復するように働いたことか考えられる。

 芭蕉のいう《人間存在の孤独を自覚するもの同士か、(略)日常とは別の次元の仲間とつながり合う。》場として、仲間を認め合い、励まし合うことか、友情や絆を育み、苦難を乗り越える支え

となったと考えられる(『座の文学』)。

      ※

 マズローの心理学を引いて、その意義を説くところから始める著者の視座の深さに敬服する。

 本書で紹介されている中で、特に強く印象に残った俳句群を揚げる。

 

〇 ソ連抑留者の俳句

 小田保の俳句

 俘虜死んで置いた眼鏡に故国(くに)凍る

 雪割草頭をだしくずれゆく階級

  注 「階級」は所属していた本人の日本軍での階級のこと。

 日本人打つ日本人暗し日本海

 

石丸信義の俳句

 靴音や句帖を隠す雪の中

  

黒谷星音の俳句

 わが入る柵作らむと氷上掘る

 死にし友の虱がわれを責むるかな

 冬銀河凍パンと死と持ちあるく

 

庄子真青海の俳句

 かさね臥し誰の骨鳴る結氷期

 借命や撃たれきらめく宙の鷹

 初蝶をとらえ放つも柵の内

 立ちて死ぬ男にこぼれ雪の華

 昼寝覚め香煙硝煙いずれとなく

 

高木一郎の俳句

 子は膝へ炭火美し妻も来よ

 

長谷川宇一の俳句

 ただ黙秘蠅つるみ終へ身づくろう

 棺打つやこだまもあらず秋の風

 紅白のコスモスに笑み囚徒となる

 

川島炬士の俳句

大気が重いと病む身ほそらす秋の風

 

鎌田翠山の俳句

 俘虜おわり 人間となる なり得べし

 日本の 涙 汗 こぶしで拭ふ

 ひまはりの種 嚙む 昔 俘虜なりき

 

百瀬石涛子の俳句

 咲く萩の兵は偽装にひた走る

 虎杖身丈を超ゆる子捨て谷

 身に入むや眠り怖れし虜囚の地

 存念の蛇の眼窩の深みどり

 逝く虜友(とも)を羨ましと垂氷齧りをり

 海明けを知らぬ俘虜の死遺品なし

 

〇 満州引揚げ者の俳句

 井筒紀久枝の俳句

 雪の曠野よ生まるる子の父みな兵隊

 極寒や男装しても子を負ふて

  注 男装するのはソ連兵による強姦の対象となるのを避けるため。

 蚤虱じわじわ飢えて死にし子よ

 子を売って小さき袋に黍満たし

 

天川悦子の俳句

 流言飛び星飛び背中吾子眠る

 蛍火に嬰児の重み血の重み

 失せし平和来たりし平和墓洗う

      

 ほかにも印象深い俳句がたくさんあるが、引用はここまでにしておく。
 ここに紹介した方々の体験談と俳句作品のひとつひとつに、著者の解説が付されていて、それも圧倒される思いである。

 わたしの鑑賞文は控えさせていただく。

  本書の最後の節では、戦時下の極限状況だけではなく、自然災害の被害現場をリアルに詠んだ俳人たちの作品を取り上げている。

 震災詠というものの在り方に関する、一つの有意義な視座の提示だと思う。

     ※

  少し違う角度で考えると、本書で取り上げた方々は、危機的状況で、九死に一生を得た体験を持つ。この体験は思考の混乱を呼び、喪失感や自責の念を抱かせるが、一方で生かされた命の一瞬一瞬を、大切に使おうとする思いは、前向きに生きようとする力を生み、積極的な句作、平和の尊さを語り継ごうとする活動などの動機となる。俳句は悲しみや悔しさ、怒り、嘆き、優しさといった感情を伝える器であり、受け取った大に共感を呼び起こし心の癒しを与える。そして俳句を詠んだ大と読む人を、互いに支える杖(伴走者・燈火)となり、難局を切り開き、未来へっなげる働きをするのだと私は考えた。そして、これは特別な人のことでなく、俳句を支えとして境涯を生き抜く決意をした大に、共通にもたらされる働きであると思う。

 平和への祈りとして、戦争や敗戦、難民としての引揚げを伝える俳句は、時代の貴重な証言であると書いた。戦後七十七年を経た現在、日本は大きな紛争や戦争に巻き込まれず、平和を享受できている・平和の果実かあるならば、実を結び始めたばかりなのか、成熟した状態か、様々な段階があるか、必死で守ってやらなければ、腐って落ちてしまうかもしれない。誰かがもぎ取ってしまうかもしれない。

 日本の外に目を向ければ、内戦や紛争を続けている国がたくさんある。二〇二二年二月二十四日からのロシアによるウクライナ侵攻か始まって一年を超え、いまだに停戦のテーブルに両国がつくことは無い。市民や子供まで巻き込む戦闘か繰り返され、罪のない人々か命を絶ち、血を流し、ウクライナの国民は避難生活を余儀なくされている。(略)

 私は、一日も早く世界の戦いが終り、平和の日々が戻り、穏やかな日常を俳句に詠むことが出来る日が来ることを祈って止まない。

     ※

  そして巻末の「おわり」さらに著者が辿り着いた、もう一つの総括が提示されている。

      ※

 おわりに

 私は一九六〇年安保闘争の時代に幼少期を過ごし、父の応召した戦争も、母たちが体験した内地の耐乏生活も、ユーラシア大陸の東に日本の築いた傀儡国家満洲帝国のあったことも知らずに、七〇年代安保闘争の学生運動のニュースを連日テレビの画面から見て育ちました。しかし、父の若かった時代の歴史を知らなければという思いは、常に心の中にありました。

 子育てが終わり、父の体験した、ソ連(シベリア)抑留について詞べ始めたのは、冒頭で約八年と書いたが、本の形になるまでに約十年の歳月か流れました。

 その当時、辺見じゅん氏の『ラーゲリから来た遺書』を拝読し、主人公山本幡男氏のソ連(シベリア)抑留生活で、自分を見失わず誠実に大に接し、正義を貫いた生きざまに感動し、涙を流しました・この作品は、令和四年十二月九日。「ラーゲリより愛をこめて」という映画となり公開されました。この映画を観て、山本氏のようにソ連による満州侵攻と満州の崩壊に、巻き込まれた、抑留者約五十七万五千人、当時の満州の日僑難民一五五万人の過酷な運命と物語があることを忘れてはならないと、私は感じました。

(略)

 この本が日本のたどった戦争の時代に生きた方々の体験をひもとき平和について考えるきっかけとなり、また極限状況にある人を支える俳句の力について、伝えることかできたなら幸いなことだと感じます。

     ※

 以上、ほとんどが本文の引用に終わったが、これ以上、わたしから付け加えることはない。

 鎌田翠山氏の次の俳句、

   俘虜おわり 人間となる なり得べし

  日本の 涙 汗 こぶしで拭ふ

  ひまはりの種 嚙む 昔 俘虜なりき

 を引いて、ひとことだけ感想めいたことを付記しておく。

 俘虜体験などなく、のうのうと平和戦後日本を生きてきたわたしは「人間となり得て」いるのだろうか、と自問した。

今わたしが本書を読みつつ流した涙は「日本の涙」と、自分の存在をかけて感受されているだろうかと、自問した。

 改作返句を記しておこう。

   ひまはりや昔俘虜なる日本あり     武良竜彦

  ぜひ、本書を手にとってたくさんの方に読んでいただくことを、強くお勧めする。

 

 

 

    

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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