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最上三十三観音ご開帳 【第一番 若松観音】

私の住む山形県では、出羽三山信仰、草木塔、出羽百観音など自然を尊び感謝することから生まれた文化が多くあります。
今回、2年延期の末2022年実施された最上三十三観音ご開帳、全札所を春から秋にかけて巡りましたので、それぞれの札所を回を分けてご紹介してゆきます。

1・出羽百観音とは

出羽百観音は、最上三十三観音、庄内三十三観音、置賜三十三観音、番外、首番を含めた103あります。山形県は、最上(もがみ)、村山(むらやま)、庄内(しょうない)、置賜(おきたま)の4つの地域に大きく分かれており、最上三十三観音は、村山地域も含まれます。
3つの三十三観音を合わせて百観音と呼ばれるものは、全国に日本百観音・東海百観音・出羽百観音とありますが、1つの県で完結できるのが山形県の出羽百観音となります。
三十三観音信仰は、詣で祈る人の願いに寄り添い、三十三の姿となって救うとされており、山形県内各地域では、観音様を祀る三十三か所をお参りする巡礼が古くから行われてきました。

2・最上三十三観音一覧

最上三十三観音巡礼マップより
第1番 若松観音 第2番 山寺千手院 第3番 千手堂 第4番 圓應寺 第5番 唐松観音 第6番 平清水観音 第七番 岩波観音 第8番 六椹観音 第9番 松尾山観音 第10番 上ノ山(湯ノ上)観音 第11番 高松観音 第12番 長谷堂観音 第13番 三河観音 第14番 岡観音 第15番 落裳観音 第16番 長岡観音 第17番 長登観音 第18番 岩木観音 第19番 黑鳥観音 第20番 小松沢観音 第21番 五十沢観音 第22番 延沢観音 第23番 六沢観音 第24番 上ノ畑観音 第25番 尾花沢観音 第26番 川前観音 第27番 深堀観音 第28番 塩ノ沢観音 第29番 大石田観音 第30番 丹生観音 第31番 富沢観音 番外 世照観音 第32番 太郎田観音 第33番 庭月観音 

3・第一番 若松観音の歴史・由来

今を去る事千三百年前、飛鳥時代、和銅元年(708)に元明天皇の勅命によって東国巡錫の途にあった行基菩薩が、鈴の音に導かれ登山し、山上に於て光り輝く三十三観音像を感得した事から開山された霊場である。

御本尊は行基菩薩自ら一刀三礼の則で刻んだ等身大の聖観世音である。しかしながら御本尊は、行基菩薩が他見を禁じられたため永久の秘仏となっている。

開山後百五十年、平安の御代には弘法大師空海や貞観年中の慈覚大師円仁の登山により、当山は一大仏教霊地に発展した。又鎌倉期には、当時山形の政治、文化の中枢に位置した成生荘の政所、藤原真綱一族が当山の熱心な信者となり、弘長三年(1263)に二世安楽を願って、今日最高傑作と評価される金銅聖観音像懸仏を奉納した。江戸期には山形の大名最上義光が寺領二百三十石を寄進し、徳川三代将軍家光がそれを御朱印地として安堵した。

最上三十三観音HPより

3・第一番 若松観音からの眺め

若松観音は、温泉と将棋で有名な天童市にあります。鈴立山の中腹にあり、鐘楼堂からの眺望が素晴らしい場所です。
訪ねた時期は新緑が美しい5月。残雪を頂く月山が見えます。
「目出度目出度の 若松様よ 枝も (チョイチョイ) 栄えて葉も茂る (ハ ヤッショ マカショ シャンシャンシャン) ・・・」花笠音頭にも歌われている若松観音は縁結びのご利益もあるとか。
山形特有、冥界婚の風習「ムカサリ(婚礼)絵馬」も奉納されています。
ムカサリ絵馬についてもいずれ書きたいと思います。

若松観音のある鈴立山中腹からの眺め 
遠くには残雪が残る月山が見えます
鐘楼堂

4・国指定重要文化財 若松観音堂

若松観音堂 5色の御手糸(みていと)が観音さまと繋がれています
*御手糸とは観音さまと握手し縁を結ぶためのものです
立派な鰐口(わにぐち)です
鰐とは爬虫類のワニではなく、鮫のことです
サメが口を開けた形に似ていることから名付けられたとか
堂内には大きな数珠が下げられています
引っ張ると、結構な勢いで数珠の玉がカンカンカンカンと落ちてきます

国指定重要文化財 若松寺観音堂

室町時代に建立したとされる「観音堂」は、慶長年間に山形城主の最上義光が大改修したあと、文部省が昭和41~43年にかけて解体修理を行った五間四方で単層(平屋)入母屋造り銅板葺きの御堂である。
奈良や京都の寺院の多くはヒノキやケヤキを主材料にしているが、義光は山形の最上地方に多いブナ材を主材料にして解体作業を行った。

建築学的にみて建造物には不向きといわれるブナ材を基調にしている当観音堂は、全国的にも珍しい御堂といえる。内部構造は中敷居に格子戸をはめ、上部に菱欄間を入れて内外陣を区画し、内陣には須弥壇を設けて厨子を安置する形で、東北地方における密教本堂の遺構として貴重なものである。なお、観音堂内部に残っている落書きは、主に江戸期のものと思われるが、当時の参拝者が書いたもので、最上札所の第一番霊場として、また諸願成就の祈願寺として当山がいかに多くの人々に親しまれたかを物語る貴重な資料となっている。

若松寺HPより
河北町の慎万次郎が江戸期に寄進した「聖観音立像」
絵馬
力強い馬の絵馬
びんずる様 目力強め

賓頭廬尊者 びんずるそんじゃ

お釈迦様の偉い弟子で、十六羅漢のひとり。親しみを込めて「おびんずる様」、「撫で仏」とも呼ばれている。神通力は第一で、昔からおびんずる様の体を触り、その手で自分の体を撫でると病気が治り、頭も良くなり、節々の痛みも軽くなるといわれ、深く信仰されてきました。お酒が好きな仏様(体が赤いのもそのせい?)で、天童の地酒を奉納すれば、ご利益が大きいかも…。観音堂内の下陣に祀られています。

若松寺HPより
行基が鈴の音に導かれ開山されたからか?鈴が奉納されています

5・若松観音御朱印


ご開帳専用の御朱印帳を求めました
専用ご朱印帳は、既に観音様の姿が印刷されています
「おすがた」というものも頂けます
コレクション心をくすぐります

6・若松観音アクセス

鈴立山 若松寺
住所:〒994-0021 山形県天童市大字山元2205-1
電話:023-653-4138


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