私の中にいる「司令塔」と「実行者」
たまに、無気力な感情に陥ることがあった。面倒なことは全て投げ出して、出来ればずっと楽をしていたい、みたいな。
それが悪いという訳ではないけれど、無気力になると一生懸命生きていない気がして、どこか罪悪感を感じてしまう。そして、自分自身が嫌になるのだ。
ここ数ヶ月は自分が嫌になったりネガティブな感情になったときは、「優しい文章」ばかり見ていた。
ここで言う「優しい文章」とは、嫌な自分を否定せずに、正当化して優しく包み込んでくれるような文章だ。
それらを読むと、とても気持ちが楽になる。
けれどしばらく経つと、結局は何も前に進まず、モヤモヤとしたままなのだ。
優しいだけの文章は、時に危険なのかもしれない。
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ずっとこの「無気力感」は何故起こるんだろう、と考えていたのだけれど、最近ある言葉に出会った。
"なりたい自分がなければ、嫌な自分を正当化するようになる"
その言葉は、私の胸にぐさりと刺さった。まさに、今の私だった。
自分はこれぐらいだと勝手にレベルを付けてどこか妥協し、なりたい自分像をイメージすることもなかった。
なりたい自分像(=目標)がないということは、行き先のない道を呆然と歩くのと同じ。
それから私は、なりたい自分像を紙に書き出してみた。すると、驚くほど沢山出てくる。
その紙に描かれている自分は、これまでにないくらいキラキラしているのだ。
「こんな自分になりたいなぁ…」
紙に書き出したことで、頭の中がスッキリした。きっとここ数ヶ月、なりたい自分像を考える機会を作ろうともせず、「今のままでいいや」と自分自身を諦めていたのだと思う。
私は、落ち込んだりネガティブになった時に、その紙をいつでも見れるように保管しておくことにした。
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最近改めて、人生において目標を持つことは大切だと考えさせられる。
目標とは、夢を達成するための方法と捉えられることが多い。
でも実は、もう一つとても大切な機能があるように思う。
それは、自分自身を見失わないという機能だ。
目標がないと、自分を見失ってしまう。数えきれない程ある道のりの中で、どこに進めば良いのか分からなくなってしまうのだ。
そんな状況下にいると、自分自身にストレスがかかってしまうし、目標のない人生は時間が止まっているようなものだ。
数ヶ月前から、私はこんなことを思うようにしている。
自分の中には二人の自分がいて、一人は「司令塔」、もう一人は「実行者」だ。
「司令塔」の自分が決めた道のりを、「実行者」の自分が黙々と実行していく。
ただ、落ち込むことやネガティブな感情になって、それをポジティブに変換できずに「このくらいの自分像でいいや」と妥協してしまった瞬間。
その瞬間にきっと、「司令塔」の自分は元気をなくして、仕事をする気力を失ってしまう。
だからこそ日頃から、「実行者」である自分が、ネガティブをポジティブに変換する仕事を行っておく必要があるのだと思う。
ポジティブな感情にいる時こそ、「司令塔」の自分は大きな力を発揮するのである。
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日々の生活の中で、落ち込むことやネガティブになってしまった時。
二人の自分が何の仕事もせずに、マイナスの気持ちを胸の中にモヤモヤと留めておく。
その結果生まれるのが、「無気力」という感情なのかもしれない。
この「無気力」感は、自分で自分を苦しめていくことになる。
そんな時こそ、「実行者」の自分が頭の中のネガティブをポジティブに変換する。
そして、「司令塔」の自分が前に進むための道のりを決める。
決めた道のりが正しいか正しくないかは、それほど重要なことではなくて。大切なのは、決めた道のりを自分自身で正解にすることなのだ。
そんなことを考えながら、今日も私は自分で決めた地図を見て、目標に向かって前進していきたいなと思う。
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