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かつて「反ワクチン」であったことを告白します

白状しますが,わたしは学生時代にはいまでいう「反ワクチン」の人間でした.きっかけは岩波新書の「私憤から公憤へ―社会問題としてのワクチン禍」を読んだことでした.著者の吉原賢二氏は東北大の理学部教授でしたが,娘さんがインフルエンザワクチンを受けたあとに脳炎となり,重度の障害をおったことがきっかけで,ワクチン禍の全国訴訟を組織し,のちに全面的勝訴により国家賠償をかちとることになります.

わたしも吉原氏を直接たずねたことがきっかけで,すこしだけ活動のお手伝いをしました.当時はあの前橋スタディが報告された直後であり,インフルエンザワクチンの有効性にも疑問符がうたれていた時期でもありました.また国内ではほぼ天然痘が根絶されていたにもかかわらず,種痘をなかなか中止できないという事情があり,そこにはワクチン生産メーカーの保護の意図が見えかくれしていました.種痘ワクチンの副作用は強く,あきらかな後遺症が多発していました.

医学部の新聞部員であったわたしは,そんなことを新聞の一面を使って論じたことがあります.いろいろなルポや論文を読み,吉原氏をふくめあちこちに取材して書いた自信作でしたが,某ウイルス研究所の研究者のお話を聞きにいったとき,「いろいろ問題はあるかもしれないがお手柔らかに頼むよ」と言われたことが記憶に残っています.そのときは若さゆえの直情径行で「問題は問題として書きます」と答えたのですが,その言葉もいまはなんとなくすこしわかるような気もします.

インフルエンザワクチンの質が向上したせいか,いまは有効性はともかく副反応の頻度はだいぶ低下しました.むかしのような因果関係のあきらかな重度の障害というのはあまりみかけなくなりました.任意接種に移行したという事情もあるかもしれません.

わたしが学生時代の1980年代はイヴァン・イリイチなどが流行っていて,医療は社会統制の手段であり,ひとびとから人間性をうばい,健康どころか病気にしてしまうと主張されていました(脱病院化社会).いまからみると極論でありやや常軌を逸していますが,学生運動に挫折した当時の人間に強い影響を与えていました.いまの反ワクチンにいたる源泉のひとつとなって,たとえばいまの立憲民主党の立役者たちの思想的背景のひとつになっていると思います.

わたしはその後臨床の道にはいりましたので,エビデンスに立脚した方法論をとるようになり,ワクチン推奨の立場となれたのは幸いです.ただ方法的な懐疑主義,社会構築論といった考えかたは一応理解できるので,反ワクチンについても単なる頑迷とか陰謀論とかでかたづけられないことはよく理解しているつもりです.さてさてどのように対応していったらいいのか.

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