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2023.07.13 悪ガキがおっさんになったらただの

有名な人が自死すると、SNS界隈がざわつく。
僕はあまり日本の有名人を知らないので、これ誰だろうって感じなんだけど、多くの人が悲しみに暮れてて、とても好かれてたんだろうって想像がつく。

文句と愚痴と傲慢なマウント合戦ばかりに見えてたツイッターがずっと嫌いで、誰がこんな気分悪くなるアプリ使ってるんだろうって思ってたんだけど、1000人に1人くらい面白い人もいるし、中には優しい人も使ってる事を知ってから、ちょくちょく使う様になった。

これまではこっそり心の内で思ってただけの世界から、それを文字にすることがよっぽど気持ち良いのか、死ね死ね団が後を経たない。



小中学校の時、近所に住んでた友達が結構ガキ大将的な感じで、俺が喧嘩で一番になる!とか言ってて、ちょくちょく別の友達とも喧嘩したり、あいつ無視しようぜ!とか言い出して、時々面倒を起こす人だった。

でもふたりの時は普通に優しい男子で、僕はその一面も知ってたので、嫌いになれなかったんだけど、なぜか学校へ行って複数人になると、俺がリーダーだ!的なスイッチが入ってオラオラが始まる人だった。
高校に入ってからは自然と会うこともなくなり、それから彼の事をすっかり忘れてしまった。


それから20年くらい経ったある日、僕が海外で放浪生活から一時帰国したタイミングで、その友達と久しぶりに飲むことになった。

その彼は昔みたくオラオラな感じが全くなくなってて、当時の自信に満ち溢れてた感じはなくなり、どちらかというと、大人しい感じの大人になってる。

一体どうしちゃったんだろうと思いながら、僕らは昔話をした。

するとその彼が、
「こんな俺なんかとまだ会ってくれてありがとうね。」
と言うじゃないか。

これまで彼が人に謝ったり、感謝を伝えるなんて姿を見たことなかったのだけど、とてもすまなさそうに話す姿を見て、中学卒業後、なんか色々あったんだろうなあと想像した。

人は誰かを傷つけてそのままにしてると、それを忘れられなくて、表には出さなくても、心の奥底に一生その重りを背負って生きているのかもしれない。

きっとその彼も根は優しいもんだから、そんな言葉が出たんだろうと思った。


ツイッターなんかで、ふざけてるつもりで死ね死ね団やってる人の中にも、実はそんな人もいるんじゃなかろうかと思う。
例え名前や顔を伏せてても、自分の中の十字架は一生消えない。
同情はしないけど、自分で自分の首を絞める行為は心の自殺と同じだ。

あと、死ね死ね団と同様に、絶対死ぬな、死んだら負け。とか、マニュアルの様にとにかく一方的に死ぬはダメ。ってその人の背景も何もわからない人が言ってるのも、生きてる人の一方的な意見だなあと思う。
死ぬを選ぶことが不幸せだと、死んだ事のない誰が言えるんだろうと思うし、じゃあどうすればって原因と解決には誰も触れない。
そんな大勢の知らない正義の人が書く定型分をSNSで見た人が、楽になれるとは思わない。


どうも人間の中には一定数、努力なしで自分は他の人よりも強くて、常識を知ってるって見せたい人種がいるみたいで、それが厄介極まりない。
自身のない人が強くて下品な言葉を使いたがるなんてのは、もう誰でも知ってることなのに、わざわざそんなキャラを演じてくるのは何故なのか、僕にはさっぱりわからない。
そして、その内キャラ慣れして離れられなくなる。


自分がこれまでツイートしてたのが全て公になった時、一体家族や友達になんて説明するんだろうか。
歳だけ重ねた子共のツイートに乗っかるのも、吸い寄せられるのも結局同化しちゃう。
それこそ自死を考えるほど恥ずかしいんじゃないだろうか。

本当にダサい人は、服装や髪型じゃなくて、心がダサい。
今頃、せっせと自分の過去のツイートを消してる人なんかは本当にダサいから、とっととそんな自分を卒業して、おもろいツイートでもして欲しいなあと思う。

人生なんて永遠じゃないし、あっという間に終わっちゃうんだから、色んな人と助け合って好かれ合ってる方が2000万倍楽しい。

どうせしょうもない事するなら、誰も傷つけない本当のしょうもない事やろう。

ツイッターもSNSも遊ぶ道具だぜ。









ベルリン中の地下鉄の駅を巡るアカウントです。
本にしたい!




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