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カミングアウトって?

一般的に今の社会では、LGBTQ当事者が自身のセクシュアリティを他人に打ち明けることをカミングアウトと言います。

でもそもそもカミングアウトっていう言葉自体堅苦しすぎて良くないんじゃない?
だってシスジェンダーのヘテロセクシュアルの人はいちいち恋バナをカミングアウトとは呼ばないじゃん、、、
そんな風に考えているギリギリJKによるカミングアウトについてのお話です。

17歳「LGBTQ +」を知る

私の初めてのカミングアウトは高校3年生の春でした。

今思えば自分の環境が特殊だったのだと思いますが、私の通っていた高校は国際系だったこともあり、性別の垣根を超えて恋バナをすることがよくありました。
だからその時は、異性に対しても同性に対しても恋愛感情を持ったことがあるから私はバイセクシュアルだ!という思考には至らなかったんですよね。

私が同性に対して恋愛感情を抱いた時も普通に友人に打ち明けていたし、友人の同性相手の恋愛相談とかも普通に受けてました。
今思えば本当に周りの環境に恵まれていたおかげで、LGBTQ当事者が困難を抱えている社会には目を向けることができていなかったというか、、、

そんな環境で高校3年生になり、聖書系の授業で「LGBTQ+」に関する発表を行うことになりました。
キリスト教って同性愛禁止!みたいなイメージがあったから、興味があってそのテーマを選んだって感じで、その時点で自分に置き換えて考えるってことはなかったですね。マジで17歳の私、社会のこと知らなさすぎ!!!

そこで初めてLGBTQに関する本などを読んで、日本では同性同士では結婚できないことや、実際に困難を抱えている当事者が沢山いることを知りました。
初めて読んだ書籍はこちら。

この本で世の中には「LGBT」だけじゃないセクシュアリティを表す言葉が無限にあるんだということを知りました。
この辺りから、あれもしかして自分って当事者に分類されるんじゃ、、?と思うようになります。


私って何に分類されるんだ、、?

そんな感じで沢山書籍を読むうちに、私は世の中から見たら「LGBTQ当事者」に分類されるんだということを知りました。
ですが自分の気持ちを簡単には受け入れることができず、今まで深く考えてこなかったけど、私って何者なんや、、、っていう厨二病ちっくな考えにまで陥りました。

当時、自分をさらけ出せる線引きみたいなものは自然とできていたので傷つくことが無かったんですよ。
でも、自分はLGBTQ当事者だという事実をいきなり目の前に突きつけられると、言葉に言い表せない感情が私を埋め尽くしました。
その当時は、所謂LGBTQコミュニティといったものに入ることにすごく抵抗がありました。こんなどっちつかずみたいな存在の私を受け入れてくれるのか、、って。

もう考えれば考えるほど、苦しくなっていきました。
誰かに自分の感情を言語化して話したかったけど社会の現状を知った今、簡単に口には出せませんでした。
特に、ネットなどのネガティブな話ばかりが自分の中に先行してしまって、自分を打ち明けることが怖くなりました。

初めてのカミングアウト

そんなこんなで、私の発表準備はなかなか進まず。誰かに話したいモヤモヤする気持ちと、自分を受け入れてくれるのかという不安や恐怖が相反していました。

そんな時に、聖書科のM先生が相談に乗ってくれることに。
そこで、自分の心のうちを全部聞いてもらいました。気づいたら涙が止まらなくて、あぁ私誰かに理解してもらいたかったんだなって。
でもなぜか、その後はずっとスッキリしてました。きっと心のうちを誰かに話したかったんだと思います。M先生に話すことで自分でも理解できていなかった頭の中を言語化できて、自己理解にも繋がりました。
改まって、自分のセクシュアリティを言葉にして人々に伝えるのはとても勇気がいることだけど、
自分自身を受け入れられたり、生きづらさを感じている人々の心が軽くなる手段なんじゃないかなと思いました。

今後やりたいこと

そんな自分の経験から、誰にもカミングアウトできなくて(自分をさらけ出すことができなくてという表現の方が正しいかも)悩んでいる人の力になりたいと思うようになりました。
私が代表をしているレイブリには、スーパーポジティブなメンバーが沢山います。
なので、みんなが笑顔になれるような座談会や交流会をしていきたいです☺︎



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