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自分の中で変わったこと

昔から思ったことを口にしてきた。
誰もそれを咎めないし、何なら周りの人もそれを見てニコニコしていたので
「喜ばれる」「肯定されている」と思っていた。

ただ、去年古くから付き合っている友人が、あることがきっかけで自分と向き合って一皮むけた。
そこで彼女が口にしたのは「嫌なことは嫌と言っていこうと思った」という言葉。

34歳になって、唖然。
「嫌なことを嫌と言わない人がいるんだ」
もちろん仕事をする上では「嫌」と言ってはいけないが、
友人関係や恋愛関係で「嫌」と言えない感情が私にはなかったので、唖然。

そしてその瞬間から「ニコニコしているからって心でどう思っているかわからん」という以前から少し気づいてはいた、至極当たり前のことが脳で言語化された。

気づいてはいた、というのはもちろん世界にはそういう人がいることは自覚していたけれど、自分の周り(特に親しい人)にはいない、と勝手に自己都合で処理していたのだ。

つまり、私の目の前の友人は高校生の時から横にいてくれるが
私からのお願いやイジりについてもしかしたら「嫌」と思っていたけれど
「嫌」と言わなかった、言えなかった場面があったのかもしれないと思い
ぞ っとした。

自分の軽率さや浅はかさ。ごめんというより、なにかもう取り戻せないなにかを
長い間気づかずこぼしていたことに気づいた感じ。落ち込んだ。
きっと今までも誰かに我慢や嫌な気持ちにさせてしまっていたのかもしれない。

それからの私は、自分の本音をどこまで出力していいかどうかについても
悩むことになるが、まだ答えは出ていない。

この人、本当は嫌だとか思っていないかな?と気にしながら話すのは疲れる。
今まで外に出力したものだけがその人の気持だと思っていたので、
巧妙に隠す人はなんだか気持ち悪い。

でも、それが大人なんだとしたら自分は本当に子供だったんだ。
それに気づくチャンスをくれた友人に感謝した。

考えすぎてもしょうがないし、今更何かを遠慮しながらしゃべるのはすごく難しい。


これが私の初めての記事になるんだけど
自分の気持を文章化したら本音の出力度合いの問題とかを客観視できるんでないかな、ということと、
いつも色々思いついて誰かに聞いてもらいたいと思っているおしゃべりクソ野郎の発散、
こんなことを理由にnoteを始めます!!

もし見てくれている人がいるなら今後はこんな内容を書いていきます
・34歳のもやもや
・仕事のこと(今は #海外不動産  の仲介)
・面白かったアニメやドラマ
・美味しかったご飯・レシピ・お店
・キャンプ

よろしくおねがいします。


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