カタストロフと美術のちから展に行ってきました。

 先週、一泊二日で東京に行ってきました。そして、かねてから行ってみたいと思っていた、森美術館で行われている「カタストロフと美術の力展」に行ってきました。

 カタストロフとは、インターネットで調べると、① 自然界および人間社会の大変動。変革。 ② 劇や小説の悲劇的な結末。と出てきます。今回の展示の解説では、括弧書きで「大惨事」とかかれています。自然災害、戦争やテロ、難民問題、個人的な悲劇、これらに出会ってしまったとき、美術はそれをどう表現するのか、美術は社会をよりよくできるのか、などをともに考える展示です。

 今回の展示では、東日本大震災、阪神淡路大震災、9.11、難民問題などの展示が多くされています。美術で大惨事をあらわすことはどういうことなのか、その中で美術はどのような力を持つのか、美術でなにができるか、それらを作品を観ながら考えさせられます。私は、物心つく前に阪神淡路大震災を経験し、高校生のときにテレビの向こうで東日本大震災を見ました。カタストロフは身近にありることを実感すると同時に、それらが「美術作品」として表現されていてなにを感じるかを考えさせられました。

 これらだけでなく、映像作品では、「そもそも美術作品の価値とは?」という疑問を投げかけるオークション会社のインタビュー映像などがありました。美術のちからを妄信的に信じていいのか、という疑問をここで強く感じさせられました。

 今回の展示会を観て、大惨事を美術で表現することは、個人的には有意義だと思いました。それぞれそのとき人がどのように感じ、そしてその後をどうするかを考えさせられるからです。その一方で、作者の伝えたいことがチープであっても、洗練されたものであっても、不特定多数の人を傷つけることが多くあるのだろうなと思いました。かつて、震災があった直後に発表された美術作品で、著しく人権を侵害する作品が生み出されました。美術だ、アートだ、個人の意見だ、と言われれば、引き下がるしかなかった人もいるでしょう。アート無罪という揶揄する言葉もそのころよく聞きました。美術は薬にも毒にもなるのだということを、理解しなければならないと思います。


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